二人で食べる朝ごはん

 いつもと変わらない朝のつもりで目を覚ましたのに、寝ぼけた視界に映った壁紙は自分の部屋のものではなかった。ネイビーのカーテンの隙間から射し込む光が重たいまぶたを撫でる。迷子のような気持ちで寝返りをうつと、身体をすっぽりとくるんでいるタオルケットの匂いが鼻をかすめた。それを吸い込むと、そわつく心がゆっくり落ち着いていく。ウチは一人でベッドの真ん中に横たわっていた。

 少し離れたところで物音がする。その方に顔を向けると部屋のドアが開いていて、洗濯機とキッチンの流し台が見えた。一緒に眠っていたはずの上鳴はそこにいるようだった。水を流す音や、食器同士が触れ合う音が聞こえる。何をしているのかはすぐに分かった。
 上鳴が朝からテキパキ動いているのを意外に思う。寮生活をしていた高校時代、平日の朝はいつも半分寝ているような様子で朝食を食べていたし、休日はなかなか起きてこなかったやつなのに。てっきり朝が苦手なタイプだと思っていたけど、プロヒーローになって克服したんだろうか。

 手伝った方が良いかと心の中で迷いつつ、身体を起こす気にはまったくなれなかった。素肌にまとったタオルケットの感覚が気持ち良いから。
 穏やかなまどろみを手放したくなくてもう一度目を閉じ……たけど、はっと我に返って、慌ててタオルケットの中を覗いた。何となく分かっていたけどウチは、上半身は裸で下はパンツしか履いていないっていうとんでもない格好をしていた。ちゃんと服を着てから眠ろうと思っていたはずなのに、いつ寝たのかは記憶にない。
 勢い良く起き上がり辺りを見渡すと、上鳴が寝ていたところに服がたたんで置いてあるのが目に入った。昨日、最初にシャワーを浴びた時に貸してもらったTシャツとハーフパンツだ。それから、その上に淡いラベンダー色のブラが乗っている。
 ウチはこんなご丁寧なことをした覚えはない。ということは……。その先を想像しかけたけど、やっぱり知らなくて良いって思い直して、そのイメージを払うように頭を振った。ブラを引っ掴んで背後を気にしながら手早く身に着けると、続けてTシャツを被る。


「あ、起こしちゃった?」
 頭を出したところで声がした。袖に腕を通しながら振り返ると、上鳴が部屋の中へ入って来ていた。おはよ、とリラックスした調子で話し掛けてくるこいつはちゃんとTシャツを着てズボンも履いていた。
 対してウチは、まだ上しか服を着ていない。急いでタオルケットをかき集めてお腹まで隠す。上鳴はそんなウチをばっちり見ていたけど、この仕草に関しては何も言わなかった。それが逆に恥ずかしさを煽って、顔を伏せる。
「なあ、なあ。すげー良い感じに目玉焼き焼けたの。絶対美味いぜ」
 子どもみたいに無邪気な声が頭の上に降ってくる。拍子抜けしてしまって、照れくささでこわばっていた身体の力が抜けた。
 いきなりそんなのん気なことを言われたから、
「良かったね」
 と、どこか他人事みたいな返事をしてしまった。上鳴は特に気にしていないようで、ご機嫌なまま短く、おう、と言った。そのままウチの隣に腰掛けたから、ベッドが少し沈む。
「よく寝れた?」
「うん」
 目覚めの瞬間は自分のベッドの上に居ると勘違いしていたくらいだから、ぐっすり眠れたんだと思う。それでも、まだ寝ようと思えば寝られそうな気怠さを身体は残していた。
「よだれ垂らして寝てたもんな」
「えっ、うそ?」
 思わず口元を指で拭いながら目を上げると、歯を見せて笑う上鳴の顔があった。漫画だったら、イヒヒ、と顔の横に書いてありそうな雰囲気だ。
「うっそー!」
「ちょっと!」
 反射で大きい声が出た。ウチは女っ気がないと周りから思われているだろうし、自分だってそれを自覚しているけど、さすがに初めて「彼氏」と一緒に過ごした夜にそんなだらしないことはしたくない。

 普段は友達みたいな上鳴が相手だからと言って、いやだからこそ、たくさん緊張したし気も遣った。柄じゃないと分かりつつ、下着は控えめにレースがあしらわれたデザインのパステルカラーを選んだし。上鳴がどれだけちゃんと見ていたかは知らないけれど。
 そんなウチのなけなしの乙女心が怒って、自然と耳たぶのプラグが攻撃態勢に入った。先端が上鳴の顔を真っ直ぐ指している。全然悪気がないんだろう上鳴はそれを適当にかわし、手のひらをそっとウチの頬に添えた。指先で耳たぶをいじられ、ゆっくり体温が伝わってくる。
 たった今の冗談っぽい調子とはうって変わって、指の動きには昨夜の余韻がまだ残っているようだった。身体のすみずみまで、たどたどしくも優しく触れられた感覚を肌が思い出して、とくん、と心臓が跳ねる。プラグは恥ずかしいほど素直で、感情に合わせて大人しく垂れ下がった。
「枕の跡、ついてる」
 上鳴は、へへっと眉を下げて笑い、ウチの頬を武骨な指で撫でる。自分の指でも頬をこすってみたら、確かに浅くでこぼこした感触があった。今度は嘘じゃなかった。
「朝飯、食おう」
 上鳴の言葉に黙って頷くと、上鳴は満足そうな表情をしてキッチンへ戻って行った。少しして、再び朝食の準備をする音が聞こえ始める。ウチはタオルケットをどかし、上鳴のハーフパンツに脚を通した。



 昨夜、二回目のシャワーを浴びた後に服を着ようとしたら、そのままが良いと上鳴にごねられた。身体が冷えないようにとわざわざエアコンの温度まで上げてくれて。それであんな格好で寝てしまったのだ。
 普段だったらどんなにわがままを言われても自分のことは自分のしたいようにするのに、従ってしまったのはやっぱり、慣れない甘い雰囲気にあてられて多少調子が狂っていたのかもしれない。
 両親以外の誰かと身体をくっつけ合うのも、一緒のベッドに入るのも、生まれて初めてのことだった。むしろそれ以上の親密さがあった。
 手探りで触り合った行為が上手くできたかどうかは、お互い初めてだったからよく分からないけど、終わった後に素肌を合わせて目を閉じるのは確かに心地良かった。直に感じる上鳴の体温がじんわり皮膚の内側に溶け込んでいくと、後で服を着るという計画はあっけなくまどろみの中へ消え去ってしまった。



 ウチがキッチンを覗くと朝食はほとんど出来上がっていたから、手伝ったのはテーブルに並べることだけだった。いただきますをしてすぐ上鳴は麦茶を一口含むと、目玉焼きの黄身にフォークを入れる。
「俺天才。半熟具合サイコーじゃん」
 一人で大喜びしながら、とろけた黄身を焦げ目のついたベーコンで器用にすくって口に運ぶ。朝から元気で笑ってしまった。何? ともぐもぐしながら聞かれたけどそれには答えずに、ウチはサラダに入っている黄色いミニトマトを食べた。
「起こしてくれたら良かったのに」
 昨日、勤務が終わって一緒に外食をした帰りにスーパーへ寄った。野菜売り場でウチが赤いミニトマトをカゴに入れようとしたら、こっちが良いと上鳴が黄色いのを選んだ。甘くて美味しいから、こっちで正解だったなと思った。
「だって気持ち良さそうに寝てたから。起こすのかわいそうだなーって思って」
 フォークを置いて、上鳴はロールパンを手に取る。これも昨日、スーパーで買ったものだ。一袋に六個入ってるやつ。
「俺七時くらいに目覚めたんだけど、そっから寝ようとしても寝れなくて。しばらくスマホいじってたんだけど、どうせなら朝飯作って待ってたら耳郎びっくりするんじゃねって思って」
 そして、パンを一口大にちぎって口に入れる。
「ほんとは全部テーブルに並べてから起こそうと思ってたんだけど、その前に起きたな」
 上鳴は何やらずっと嬉しそうだ。尻尾を振ってじっと見つめてくる犬が頭の中に思い浮かぶ。褒めて欲しくてたまらない仕草をしている犬。
「充分びっくりしたよ。ありがと」
「マジで? やったぜ」
 ただでさえ明るい表情が、さらにぱっと晴れる。
「あんなに寝坊常習犯だったのに」
「ま、普段はギリギリまで寝てるけどな」
 けろっとそんなことを言うと、上鳴は手に持っていたパンを全部口に放り込んだ。顔はずっとにやけ切っている。

 今日は二人ともオフだ。浮かれた上鳴を眺めながら、休みで良かったと心から思った。今の上鳴が個性を使ったら、勢い余りまくって一瞬でアホになる予感しかしない。
 それを言おうかどうか迷ったけど、結局口には出さなかった。ウチに喜んでもらいたくて朝食の準備をしていた相手をからかうのは、ちょっと気が引けたからだ。そして、そんな上鳴をうかつにも可愛いと思ってしまった自分も似たようなもんだと思ってしまったから。

 上鳴は今度、コーンスープの入ったマグカップを口元に寄せて、ふうふう息を吹きかけている。そうとう熱そうだからウチは後回しにすることにした。
 何を食べようか迷って視線をうろうろさせると、そういえば手つかずだった目玉焼きに気づいた。黄身をフォークでつつくと小さい穴が開いて、上鳴がさっきそうした時と同じようにゆっくり黄身が流れ出す。それを白身と一緒に口に入れた。本当はウチは、もう少し固めに焼いた方が好みだ。だけど今は、この半熟の方がずっと美味しいと思えた。


 頑張って焼いてくれたベーコンエッグと、レタスをちぎって半分に切ったミニトマトを乗せただけのサラダ、熱湯で溶かした粉末のコーンスープに、スーパーでもコンビニでも売ってるロールパン。こんなに簡単な朝食が、とても美味しく感じられるのはなぜだろう。
 皿から目を上げると、上鳴がスープをちびちびすすりながらこっちを見ていた。咀嚼している卵を飲み込んでから口を開ける。
「上手くできてんじゃん」
 そう言って、今度は上鳴がしたみたいにベーコンと一緒に黄身を食べた。二口目も美味しかった。ウチのその言葉を待ってたみたいで、だろぉ、と満足そうに上鳴が笑う。小学生でも作れる料理でこんなにも自慢げな態度を取れるこいつがおかしくて、ウチも笑ってしまった。


 ずっと友達の頃と変わらない空気感を維持してきたウチらが、一晩一緒に過ごすことで何が変わるんだろう、変わるとして悪い方向に転んだらどうしようと、頭の片隅でぼんやり考えていた。だけどそんな心配は要らなかったみたいだ。変わったことと言えば、好きなものがちょっと増えたくらいだ。

「今日めっちゃ天気良いな。どこ行く? 暑いからカキ氷行っちゃう?」
 上鳴の言葉につられて窓に目をやる。レースのカーテンが明るく照らされていて、その向こうに真っ青な空の色が透けて見えた。八月は終わったけど、まだまだ真夏日は続きそうだと思いながら頷く。
「白玉乗ってるやつ食べたい」
「お、良いじゃん。決まり~!」
 パチンと指を鳴らすと上鳴は、スマホも何も見ずにすらすらと色んな店の名前を教えてくれた。興味のあることならこんなに覚えられるんだなと感心する。行先が決まる頃には、お互いの食器に乗っていたものは綺麗になくなっていた。

 ご馳走様をしながら、次に一緒に朝を迎える時はウチが朝ごはんを作ろうと、心の中でつぶやく。少し固めに焼いた目玉焼きをテーブルに並べて、それを上鳴が美味いと言って食べてくれたら良いな。




2019.09.13



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