someday

「ほい、耳郎にお土産!」

 玄関を開けてすぐ目に飛び込んできたのは、声の主である上鳴の姿じゃなくて小ぶりの花束だった。黄色とピンクのガーベラ、白いカーネーション、霞草、あと名前の分からない花もある。
「……男で花貰って帰って来る人、初めて見た」
「綺麗っしょ?」
「うん」
 顔の前に差し出されたそれをとりあえず受け取る。花の匂いがふわっと香ったその瞬間、すぐに抱き締められた。花を包んでいる透明なセロハンがカサカサ音を立てる。上鳴が肩に掛けている白くて大きな紙袋が揺れて、ウチの身体に当たった。
「へっへっへ、ただいま」
「何そのテンション。キモイ」

 長い前髪を後ろに流してワックスで固めている上鳴は、普段と雰囲気が違う。服装もそう。黒い細身のスーツにライトグレーのベスト、シルバーのネクタイ。黙っていれば大人っぽく見える格好をしているのに、いつも以上にへらへらしているから全然様になっていない。
 ウチが素っ気ない態度を取っているのもお構いなしに、上鳴は頬をウチの頭にすりすりと寄せた。お構いなしどころか、わざとやっている。これは冷たい素振りをすればするほどヒートアップするやつだと、経験上すぐに悟った。
 そもそも一時間半前にいきなり、「今日泊まり行っても良い!?」とやたら高いテンションのメッセージが届いた時点で、面倒くさいノリで来るのは何となく予想していたけど。

「酔っ払いウザい」
 花をかばいつつ、上鳴の頭を軽く手で押しやる。
「えー、そんな飲んでねえよ」
「じゃあシンプルに上鳴がウザい」
「なあ、ただいま!」
「ここウチの家なんだけど」
「耳郎の居るところはただいまでいーじゃん」
「……はいはい、おかえり。とりあえず靴脱いだら」
 まともに抵抗するのも疲れて、顔を押しやった手でそのまま頭を撫でてやると、上鳴は「はーい」と子どもみたいな返事をして大人しく離れた。
 今日がオフで良かったと心から思う。勤務が終わった後にこのテンションで来られたらぐったりしてしまう。まあ上鳴も、ウチが休みなのを分かっていたから突然押しかけて来たんだろうけど。





 冷蔵庫から出したミネラルウォーターのペットボトルを、そのままローテーブルに置く。
「式、どうだった?」
 ウチがさっき渡したハンガーに上着を掛けていた上鳴は振り返った。カーテンレールにそれを吊るすと、ネクタイを緩めてからボトルを手に取る。
「めっちゃ良かった。先輩すげえ幸せそうだし、奥さんも綺麗だったし」
「へえ、良かったね。見たかった」
 上鳴はごくごく喉を鳴らして水を飲むと、ふーっと息をついた。

 今日は上鳴と同じ事務所に所属するヒーローの結婚式があった。ウチもその人とは知り合いだ。一緒に仕事をしたことはないけど、上鳴と三人で食事に行ったことが何度かある。面倒見の良い穏やかな人だから、その人が幸せを掴んだというのは嬉しいニュースだった。

「花嫁の手紙のとこでちょっとうるっとしちゃったわ」
「あんた奥さんと初対面でしょうが」
「そうなんだけど。涙ぐみながら手紙読んでるの見てたら、何かこう胸がぎゅーっと」
 ウチは適当に返事をしながら食器棚を覗いて、あまり使っていないグラスを奥から一つ取り出した。それの半分くらいまで水道水を注ぐ。上鳴からもらった花束の包装をほどいて、そこに花を入れた。花同士が重ならないように高さを調整する。
「お、良いじゃん」
 耳元で声がした。いつの間にか上鳴はウチの背後に回っていて、ぐっと背中にのしかかってくる。容赦なく体重を掛けてくるから、潰れないようにシンクの縁に手を置いた。
「……重い」
 文句を言ったけど、全然聞いてくれない。そのままウチのお腹に両腕を回してきて、身体が密着する。
 何が嬉しいのか、機嫌の良さそうな吐息が耳に当たる。上鳴がウチを抱いたまま好き勝手に動くから、それに合わせてこちらの身体も揺れた。
「もう、さっさとシャワー浴びれば? タオルも着替えも風呂場に置いておいたから」
「えー、何だよそんな。どっか行けみたいな」
「だって重いから」
「もっと重くしてやろ」
「マジで止めて」
 腕をウチのお腹に巻き付けたまま、ぐぐっと上鳴は前屈みになった。多少加減はしているのは分かるけど、やっぱり重いもんは重い。あぁ、酔っ払いって本当に面倒くさい。そう思ってため息を吐こうとしたら、ふっと背中が楽になった。
「じゃー、シャワー浴びるわ」
 意外にあっさり上鳴は離れた。酔っ払いのテンションってよく分からない。ウチが振り返ると、画面の点いたスマホを差し出される。
「ほら、今日の写真。見てて」
 そこにはアルバムが表示されていた。上鳴はウチの手の中に自分のスマホを預け、浴室に入っていった。

 上鳴はいつも、簡単にウチにスマホを渡す。ウチは(やましいことはないけど)自分のスマホを誰かに好きにいじらせることはないから、上鳴のこの行動には最初かなりびっくりした。何も気にしていない持ち主に対して、預けられたこっちの方が落ち着かない。付き合う前には一切なかったことだから、誰にでもやっていることではないと分かるんだけど。




 花を入れたグラスを持って、部屋のローテーブルの真ん中に置いた。ウチの部屋のインテリアと合っている自信はないけど、花を飾るのはなかなか悪くないと、可愛らしい色合いのそれを眺めながら思う。
 クッションに腰掛け、ウチは上鳴の撮った写真を一枚ずつ見た。挙式に披露宴に、かなりの枚数がある。

 タキシードを着た先輩ヒーローの姿は新鮮だったし、純白のウェディングドレスに身を包んだ奥さんはとても綺麗だった。上鳴や見知ったヒーローが映っている写真も沢山あって、楽しそうな様子が伝わってくる。そして何より、新郎新婦の優しい笑顔が印象的だった。
 ウチも去年、事務所の先輩の結婚式に呼ばれて出席したことがあった。その時のウチの先輩も、初めて見るような柔らかい表情をしていた。演技ではきっとできない、喜びと結婚相手への信頼がそのまま顔に表れているような、幸せであることが一目で分かる眩しさがあった。自分にもこんな表情をする日がいつか来るんだろうか。その結婚式からの帰り道、一人でぼんやりとそんなことを考えたことを今思い出した。

 ウチに結婚する可能性があるなら、その相手は上鳴だけだろう。別れる気はないし、仮に別れるようなことになっても、他の人と付き合う自分を想像できないからだ。そう思うのは、上鳴としか付き合ったことがないからなのかもしれないけど、上鳴を知ってしまった以上、ウチはきっともう誰とも付き合う気になれないんだろうと直感的に思っている。


 高校を卒業して一年後に彼氏彼女という関係になって、四年が経った。
 付き合って一年目の終わりに、上鳴から同棲を提案されたことがある。だけどウチはそれを断った。一人で居る時間も大切にしたいと上鳴には言ったけど、一番の理由は、一緒に住む自信がなかったからだ。プロヒーローとして任せられることが増えてきて、まだまだ自分のことで手一杯だった。
 断ることで気まずくなるんじゃないかと心配したけど、特にそういうこともなく、付き合いは普通に続いている。そしてその間に、上鳴はすっかりウチの日常に溶け込んだ。

 家族のことも友達のことも上鳴と会う前のこともあらかた語り尽くして、上鳴になら自分のことについて何を喋っても大丈夫、という感じになっている。ウチも上鳴の身の回りのことはだいたい把握しているし、地元の友達にも会ったことがある。物事を判断する時の基準とか感覚が似ていることもこの付き合いの中で分かった。
 たまに口喧嘩をすることはあるけど、気まずさを引きずることは年々減ってきていて、一緒に居ること自体にストレスはほとんど感じない。毎日顔を合わせることはなくても、毎日上鳴のことが思い浮かぶ。考えようとしなくても常にウチの中に居座っている感じだ。

 もしも今あの時と同じ提案をされたなら、ウチはきっと迷わずオーケーするんだろうなと、最近は思うようになった。そもそも一緒に住むくらいなら、その先のことだって真面目に考えても良いんじゃないかとすら思う。ヒーローという仕事をしているからこそ、帰る場所をきちんと作りたいという気持ちが芽生えているのかもしれない。
 だけど上鳴とそういう話はしたことがない。同棲の話題も、その一回きりだった。断った自分が待ちの姿勢でいるのは良くないと思いつつ、今の上鳴がどんな気持ちでいるのかも、どこまで先のことを考えているのかも分からないから、とりあえず現状維持をしている状態だ。プロヒーローとしてはもう新人だなんて言われる立場じゃないけど、年齢だけを見ればウチらはまだまだ若いと言われる。今のところ結婚した友達もまだ居ないし、あまり現実的じゃないのかなとも思う。



「ごめん、シャンプーめっちゃ使っちゃった」
 部屋着を着て、しっかりセットしていた髪も下りて、すっかりオフモードになった上鳴が現れた。飲みかけのペットボトルを手に持っている。
「いいよ、シャンプーくらい」
 うっかり将来のことについて考え込んでしまっていたから、勝手にばつが悪かった。それを悟られないように上鳴のスマホに視線を落とす。内容はあんまり目に入っていないけど、ちゃんと写真を眺めているふりをして、時々画面を指でスライドさせる。
 上鳴は隣にやって来て、水を飲みながらウチと一緒になって画面を見始めた。ファーストバイトでスコップのような巨大スプーンでケーキを食べさせられている先輩ヒーローの写真が映ると、その時を思い出したのか上鳴は笑った。
「良い結婚式だったなー。そんなに規模も大きくなくてさ、アットホームな感じで」
「へえ」
 ヒーローは顔が広い人が多いから、どうしても結婚式の規模が大きくなってしまう傾向にある。ウチが招待された結婚式もそうだった。だからあえて、身内だけで簡素に済ませる人も最近は多いと聞く。

「そういうの、良いね。ウチも小ぢんまりとした方が良いかも。お互い仲の良い人だけ呼んでさ……」

 スマホを見ていると思っていた上鳴の目がこちらに向いていることに気がついて、ウチは思わず言葉を止めた。きょとんとした瞳にじっと見つめられて、ウチは今自分の言ったことを頭の中で復唱した。
「いや、だから別に……。何だって話なんだけど」
 らしくない言葉だったと気がついた。たらればの話ですらウチは、二人の将来に関わるようなことを言ったことがなかった。なのに今、無防備にぽろっとこぼしてしまった。さっき一人で色々と考えてしまったせいだ。
 写真の続きを見るふりをして、慌てて顔を伏せる。画面をタップしようとした時、背中がじんわりと温かくなった。お腹に上鳴の腕が回る。背後からふわっと、ボディソープと上鳴の匂いが混ざった香りがした。

「気が合うな。俺もそう思う」

 抱き着く腕に力がこもる。さっきキッチンで力任せにじゃれてきた様子とは全然違う、やわらかく優しい力の込め方だった。
「……そう、なんだ。意外かも」
 固まってしまったウチをよそに上鳴は身じろいで、ウチの身体を自分の脚の間に入れるようにして座った。
「だって、せっかく来てくれた人とは全員喋りたいじゃん」
「そっ、か」
「うん」
 ぎこちなくしかならない自分の受け答えに、かっと顔が熱くなった。よくよく考えたら、結婚式の規模がどれくらいが良いかなんて、何の予定もないウチらからしたらただの雑談に過ぎない。さらっと流して良い話題だった。勝手に意識して、馬鹿みたいだ。
 でも真後ろに居る上鳴からウチの顔はよく見えないだろうから、それだけは良かった。このまま黙って頬を冷まそう。そう思ったところで、今度は耳たぶのコードが勝手にふらふらと揺れ始めてしまった。どういう時にそうなるのか、上鳴はよく分かっている。
 すぐにその変化に気がついた上鳴は、ウチに回した右腕をほどいて笑いながらそれを指でいじり始めた。ついでに何かからかうようなことを言われるかと思ったけど、いくら待っても言葉はなかった。ただただ黙って、時々小さく笑いながら、武骨な指にコードをくるくる絡ませている。
 そのまま数分が経った時、上鳴がようやく口を開いた。

「今日、先輩の結婚式見てたらさ、何かむしょうに耳郎に会いたくなったんだよな」

 それだけ言って、また黙る。指先はウチのコードを構い続けていて、まだ止めないみたいだった。ウチはただ、ふーん、と小さくつぶやいた。
 二人の息遣いの音だけしか聞こえなくて、部屋の中の静けさがやたら際立つ。いじるのを忘れていたスマホの画面がいつの間にか暗くなっていた。上鳴のお腹と触れ合っている背中が熱くて、ほんの少し汗ばんでいるのを感じた時に、ウチは気がついた。「あ、これは上鳴も照れているんだ」って。




2020.10.02



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