THANK YOU

 こんがり焼けたバンズに挟まれた、綺麗に折りたたまれたレタスと輪切りのトマト、牛肉の良い香りがするパティと溶けたチーズ、その中心にゆっくりピックを刺し込んだ。
「で、ちょっと潰して、」
 いただきまーす、と上鳴は一足先にハンバーガーにかぶりついた。ウチの注文したスタンダードなメニューにベーコンと目玉焼きがプラスされている。上鳴に教えられるまま、ゴマの乗ったバンズを軽く押すと、持ち上げた。水平にした方がいーよ、と言われ位置を直す。
「顎外れそう」
「こーやって食うのが一番美味いの」
 嬉しそうに口の端についたソースを指で拭う上鳴の前で、ウチも同じように大きく口を開けてハンバーガーにかぶりついた。



 五月に東京でオープンしたこのハンバーガーショップは、SNS映えしそうなメニューが並んでいて、インテリアはダークブラウンを基調とした落ち着いた雰囲気だ。女子ウケを狙っているだけかと思いきや、ハンバーガーはボリュームがあって男性客も満足できるとか。流行りものもハンバーガーも大好きな上鳴は、開店情報を聞くなり、行きたい行きたいとずっと言っていた。だけど開店当初は絶対混んでいると思ったから、ブームが落ち着いてからにしようとウチは言っていて、そうしたらいつの間にか九月になっていた。
 今日の仕事終わりに夕飯を一緒に食べることはもともと決まっていて、どこに行こうかと先週電話で話していたら、「いい加減あのハンバーガーの店行こうぜ」と上鳴に提案された。というか、電話をくれた時点でもう席を予約していた。上鳴も流石にしびれを切らしたみたいだった。

 今年の春に高校を卒業して、ウチらはそれぞれ首都圏のヒーロー事務所にサイドキックとして入所した。卒業しても連絡を取り合ってこうして会っているのは、一応付き合っているからだ。



「俺ら普通に学生に間違われたな」
 厚切りのフライドポテトを口に放り込みながら上鳴がつぶやく。
 注文をした時にウチらは店員から、「学生証を提示して頂くとセットドリンクが無料になりますよ」と言われたのだった。
「ここの近くに大学とか専門学校とか多いしね」
 店内を見渡せば、同年代くらいの女子グループやカップルの客が多い。ウチらもその中に紛れていた。

 事務所の付近でパトロールをしていればヒーロー名を呼ばれることも増えたけど、メディアに出ていない駆け出しのサイドキックは、コスチュームを脱いでしまえば顔つきも雰囲気も変わるのか、私服に着替えるだけで周りから気付かれることはほとんどない。都会には人が多いけど、その分ヒーローだって多い。知名度を上げるのは大変だ。まだまだ新人とは言え、有名ヒーローを数多く輩出する雄英高校を卒業したプライドはあるから、ちょっと複雑な気持ちだ。

「良いんだか、悪いんだかね」
 ハンバーガーを皿に置いて、上鳴と同じようにポテトをつまんでかじった。揚げたてで美味しい。指に付いた塩を払っていると、いーじゃん、とのん気な声がした。
「俺らはさ、そのうちこんな堂々とデートできなくなるくらい有名になるんだから、今は楽しもうぜ」
 顔を上げると、上鳴は無邪気に笑った。
「お気楽なやつ」
「えー、ポジティブって言うんだぜ」
「まあ、そうかもね」
「かもじゃなくて、そうだろ」
 耳郎は素直じゃねえなあ、と上鳴は食べかけのハンバーガーを頬張った。無防備な表情で口をもぐもぐさせる姿は、とてもヒーローには見えない。だけどそんな上鳴を見て思う。ただの十九歳になれる時間は、気持ちを切り替えるために確かに大切だって。

 美味い美味いと言い続けている上鳴を眺めていたら、ふっと気が抜けて笑ってしまった。上鳴はウチがどうして笑ったのかは分からない様子だったけど、何となく嬉しそうな顔をする。
「でもさあ、大して遊びもせずに夏が終わっちゃったな」
「一年目なんだからしょうがないでしょ」
「分かってたけど」
 新人の自分たちは、休みの日だってトレーニングや勉強に時間を費やすことが多い。だから、仕事終わりにこうやって一緒に食事を取るのがデートの代わりだ。
「来年はどっか行けたら良いね」
 何の気なしに言った言葉に上鳴は、おう、とぱっと目を輝かせる。
 三月に賑やかだった寮を出た寂しさはあったけど、ホームシックにならずに春と夏を過ごせたのは上鳴が近くにいたからだろう。それを面と向かって言うのは気恥ずかしいから伝えたことはないけど、感謝はしている。


 卒業をきっかけに付き合い始めた上鳴とは、高校時代とあまり変わらない距離感を続けている。恋人らしい時間をつくり上げる前に新生活が始まってしまった、という感じだ。ふとした瞬間に「上鳴が彼氏って現実だっけ?」なんて思うこともある。
 ただ何となく始まった習慣で、どんなに忙しくても、何時であろうと、おはようとおやすみだけは毎日メッセージを送り合っている。それは恋人らしいかもしれない。あと最近は、人通りが少ないところでは時々手を繋ぐようになった。
 でも基本的には今まで通り。教室で机を並べて軽口を叩きあっていた頃と変わらない。自分としては居心地が良いから問題はないのだけど、上鳴はどう思っているんだろう、とようやく最近考えるようになった。

 何せこいつは高校時代、可愛い女の子を見つければ速攻でナンパに行くようなチャラい男子だったからだ。ウチが知る限り成功したことはないから、チャラ男になりきれなかった感はあるけれど。それでも、常にエロいことを考えている峰田と気が合うようなやつだから、付き合ってからもずっと友達みたいな雰囲気を続けていることが正直意外だった。いきなりベタベタされたら何て断ろうかと考えていたくらいなのに、それは取り越し苦労に終わった。



「あー食べた。美味しかったね」
 空になった大きな丸い皿を前に、紙ナプキンで口を拭く。
「腹いっぱい? まだいけるっしょ?」
 先に平らげていた上鳴は、テーブルに両肘をついてこちらに身を乗り出した。
「え? まあ、何かによるけど」
 会話の途中で店員が皿を下げに来て、「美味しかったっす」と上鳴が笑って言ったので、ウチも同じようなことを伝えた。
「ご馳走さまもうちょい待って」
「何、まだ頼むの」
 ウチの言葉には返事をせずに、上鳴はグラスの底に残っていたコーラをあおった。男だってお腹いっぱいになりそうだけど、まだ育ちざかりなんだろうか。そういえばまた背が伸びたとかこの間言っていたっけ。
 だけど上鳴はメニューを見るわけでもなく、椅子の背に凭れている。

 首を傾げていたら、自分たちのテーブルの脇に店員が立った。パチパチという音が聞こえて顔を上げると、白い四角いプレートがウチらの間に置かれる。
 そこにはバニラのアイスクリームが添えられたガトーショコラが乗っていて、花火が刺さっていた。その周りにイチゴやブルーべリーが飾られている。そしてプレートの空いたスペースには、チョコレートで「Thank you !」と書かれていた。思わず顔を上げると、ニッと上鳴が笑った。
「先週で半年だったじゃん」
「あ、」
「記念日なんですね、おめでとうございます!」
 茶色い髪をポニーテルにまとめた可愛い店員さんがウチらに笑顔を向ける。
「ありがとうございます!」
 瞬きをしながら花火を見つめているウチをよそに、上鳴は嬉しそうに彼女に笑い掛けた。
「でも全然覚えてないって顔されちゃって」
「じゃあ、サプライズですね」
「あ、そうっすね!」
「……ごめん」
「いーって、いーって。つーか、俺がやりたかっただけだし」

 お姉さんが気を利かせて、「写真お撮りします」と言ってくれた。上鳴が彼女にスマホを渡して、感情が落ち着かないまま写真を撮ってもらった。記念日なんて全然気にする人間じゃないから、完全に不意打ちだった。うつむいているウチに上鳴がデザートフォークを差し出す。

「好きなだけ食べて」

 いつもより穏やかなその声に促され、大人しく受け取った。アイスクリームとガトーショコラを一緒にすくって口に運ぶ。甘くて冷たい。がっつりしたものを食べた後ということもあってか、とても美味しく感じた。
 記念日をちゃんと大切にしていて、デザートプレートを見たら、わあって喜ぶような素直な彼女じゃないのに、こんなことしちゃって。そもそも半年って祝うもんなのか? よく分からない。上鳴とこういう恋人っぽいことするのは、どうも落ち着かなかった。

「美味い?」
 目を上げると上鳴はニコニコしてウチを見つめていた。締まりのない顔に、初めて見るような優しいまなざし。
「恋人っぽい」んじゃない。ウチらは、ちゃんと付き合っているんだ。半年経って初めて、ウチはそのことを心の底から実感した。上鳴はちゃんと、ずっと、ウチと付き合っているということを考えていたんだ。いつまでも友達の雰囲気だったのは、鈍い自分のせいだったのかもしれない。

「……すごく、美味しい」

 半分にカットされたイチゴを口に入れた。甘酸っぱい味が口の中に広がる。ウチはまだプレートに綺麗に残っている「Thank you !」をじっと見つめた。
 記念日を祝うつもりなら、メッセージは「Anniversary」でも良いはずだ。だけど上鳴はそうしなかった。上鳴らしいというか何というか。シンプルな言葉がじわじわ胸の中に染み込んでいく。
 だけどこの半年間、そんな風に言ってもらえることをウチはしていただろうか。付き合う前とほとんど変わらないノリで接していた気がするし、自分では全然分からない。

 口の中のイチゴを飲み込んで、ウチは口を開いた。
「……ありがと」
 この言葉を伝えるべきなのは、普段素直になれないウチの方だ。
 でもそう思いながら言ったくせに、改まるとやっぱり恥ずかしくて、俯きがちにつぶやく感じになってしまった。
 そっと目を上げると、上鳴は「どういたしまして!」と機嫌良く笑う。たぶん、ただデザートプレートのお礼を言われたんだと思ってる。そうじゃなくて、と思ったけど上手く言葉が出てこない。
「一緒に食べよ」
 ウチは皿を前に押して、まだ使っていないフォークを上鳴に差し出した。上鳴は嬉しそうに頷いて受け取り、ウチと同じようにアイスとガトーショコラを一緒に口に入れる。そして、「美味い!」と笑った。

 二人でデザートをつつきながら、ウチの心の中にはある思いがふっと浮かんだ。
 これを食べ終えて店を出たら、今日は思い切ってウチから上鳴の手に触れてみようかな、と。
 そんなことは今まで一度もしたことがないのに、自然とこんな気持ちが湧いた自分にびっくりした。だけど今日なら、素直にできそうな気がした。それでもう一度、今度は顔を見て、恥ずかしいのを我慢して「ありがとう」って言ってみよう。かな。




2020.10.17



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