惚気話

「ねえ、耳郎~」
「んー、何?」

 課題のプリントにさらさらとシャープペンシルを走らせている耳郎は、顔を上げないまま返事をした。私が躓いてしまっている問題もとっくに過ぎて、何問も先を解いているみたい。

「最近上鳴とデートした?」
「……」

 一瞬だけ、軽快なシャーペンの音が止まる。でもまたすぐにさらさらさら。

「ねえねえ~」
「……課題終わったの?」
「終わるわけないじゃん!」
「いや、じゃあやろうよ」
「だって、集中力切れちゃったし。休憩しよ、休憩!」

 私は勢いよく立ち上がって、部屋のミニ冷蔵庫からチョコレートを取り出した。個包装を破って一つ口に入れつつ、いくつか手に持ってテーブルの上に置いた。ようやく耳郎が顔を上げる。

「ささ、チョコでも食べて」
「あ、これCMしてたやつだよね。いいの、ウチも食べちゃって」
「うん、一緒に食べよ。耳郎これ好きだと思う」
「ありがと。……ほんとだ。美味しい」
「でしょー。でさあ……、ってねえ聞いてる!?」

 またもや課題と向き合い始めた耳郎にあわてて突っ込む。聞いてる聞いてる、と気のない返事が返ってきた。
 やっぱり今日も手ごわい。一対一なら話に乗ってくれると思ったのに、駄目みたいだ。

 私はどうしても耳郎の恋バナを聞きたかった。
 上鳴と付き合い始めてどうやら三ヶ月くらい経つらしいんだけど、未だに耳郎はなれそめも、普段どんな感じで一緒に過ごしているのかも全然教えてくれない。
 耳郎のことも上鳴のことも私は大好きだし、前々からずっと良い感じなんじゃないってコッソリ思っていたから、そんな二人が付き合ったと知った時は自分のことのようにすごく嬉しかった。
 私はまだちゃんと誰かを好きになったことがなくて、でもいつかは彼氏が欲しいなーなんて思ってて、少女漫画も恋愛ドラマも好きだけど、ついに生の恋バナが聞ける! って楽しみにしてたのに。

 つついても、つついても、耳郎は全然話してくれない。今までは不定期に開催している女子会で話を振ることが多くて、みんながいるから恥ずかしくて話してくれないのかなと思っていたんだけど。それで今日は私の部屋に呼んで、二人きりなら恋バナしてくれるかもしれないって期待してたんだけど……、やっぱりはぐらかされちゃう。

 そもそも付き合っていることをうちらに教えてくれたのも、付き合ってすでに一ヶ月経った頃だったし! 全然気がつかなかった!
 その後も、二人きりでいるところをあまり見たことがない。登下校もヤオモモとか私とか葉隠といつも一緒だし、寮でもだいたいフリースペースにいる。
 でも去年から生徒は自宅に帰れるようになったから、耳郎も週末とかは時々帰っていて、もしかしたらその時に上鳴と外で会っているのかもしれない、と私は予想している。

「む~。ねえ、教えてよ~」
「……別にそんな話すほどのことないよ。インターンであんま予定合わないし」
「でもたまには出掛けたり、部屋で一緒に遊んだりするんじゃないの?」
「んー、まあ……たまにね」

 お、今日はいつもよい良い感触。やっぱり一対一の方が良いみたい!
 耳郎のガードが少し緩んだタイミングを逃してなるものかと、私はなるべく野次馬感が出ないように声のトーンを抑えた。

「じゃあ、そのたまにを教えてよ。聞きたいな」

 耳郎は勉強をする手を止めてちらっと私の方を見た。でもすぐに目線を逸らして、右耳のイヤホンジャックをゆらゆらさせながら斜め下の方を眺めている。どうしようか考えているみたい。
 私がチョコレートをもう一つぽいっと口の中に入れて、溶け終わる頃に、ようやく耳郎は口を開いた。

「……こないだ、あいつ誕生日だったじゃん」
「うん」
「だから、まあ、一緒にご飯食べには行ったけど」
「えー、良いじゃん。どこ行ったの?」
「何か、ハンバーガーのお店」

 ぶっきらぼうな言葉や態度の端々から、照れて恥ずかしがっているのがビシビシ伝わってくる。誕生日のお祝いに上鳴の好きなもの食べに行ったんだ、耳郎がお店選んだのかな、プレゼントもしたのかなとか考えると胸がきゅんきゅんしてきた。わー、これこれ! こういう生の話を私は聞きたかったの!

「どこのお店? 美味しかった?」
「ん、まあ、その辺のとこ。美味しかったよ」

 そこまで言うと、耳郎はまた課題に戻ってしまった。どこのお店かはさらっとスルーされてしまった。やっぱり恋愛に関してガードは固いし、秘密主義者だ耳郎は。
 本当は、プレゼント渡した? どんなのあげたの? とか、もっと言えばどこまで関係は進んでいるのとか、そういうのも聞いてみたいけど、今日はもう止めよう。あんまりがっつき過ぎると、もう教えてくれなくなっちゃうかもしれないし。誕生日デートをした事実を教えてくれただけでも収穫ありとしなきゃ。

 でも、やっぱり二人で出掛けているみたいだけど、全然気がつかなかったな。いつ行ってたんだろう? 耳郎だけならまだしも、上鳴からも全然その雰囲気が分からない。上鳴も案外ポーカーフェイスが上手いっていうのが、私には本当にびっくりだ。





 呪文のような数式からぐんぐん集中力を吸い取られて、私は静かに窓の外を見た。わー、綺麗な夕焼け。どうして私はそんな放課後に教室に閉じ込められているのだろう……と現実逃避が始まった瞬間に、突然隣の席から雄叫びが上がった。

「っしゃあ! 終わったぜうぇーい!」
「えっ、嘘! 早くない!?」
「へっへっへっ、終わったぜ。ほら!」

 そう自慢げに言いながら上鳴は、私の目の前に自分のプリントを差し出した。
 本当に全部答えが書き込まれていた。嘘みたい。私はまだ半分しかいっていないのに!

 先週あった数学の小テストが今日返されたんだけど、その結果が散々だった私と上鳴だけ居残りで課題を命じられていた。エクトプラズム先生は用事があって今教室にはいないけど、必ずプリントは提出して帰るようにと言われている。
 上鳴とは一年生の頃から居残り・補習仲間で、こうして二人で放課後残ることもよくあったけど、上鳴の方がこんなに早く課題を終えるなんて初めてのことだった。

「裏もちゃんとやった!?」
「やったー。ほらほら!」

 上鳴がやりそうな凡ミスを指摘したけど、今日はしっかりカバーされていた。ちゃんと表も裏も解き終わっている……。

「っしゃあ~! 今日の俺イケてる~!」
「うざあ~」

 筆記用具をペンケースに仕舞って、いそいそと帰り支度を始めた上鳴を見て私は思わず声を上げた。

「えー、待って待って! 置いてかないでよー!」
「だって俺終わったもーん」
「一人で居残りなんてやだー!」

 そんなのって寂し過ぎる。早く解いちゃおうと思っても、相変わらず数式は呪文のようだった。適当にやってこの場を終わらせることもできるけど、間違いばかりだったら意味ないし、やっぱりちゃんと頑張らなきゃいけない。だってみんなと一緒に卒業したいし!

 上鳴が帰っても孤独に耐えて頑張らなきゃ……、と思ったら上鳴は手に持っていたスクールバッグを机の上に置いた。

「しゃーねえなー! 待っててやるよぉ」
「えっ、本当に?」

 上鳴は頷いてまた椅子に座った。そして「俺でもできたんだから頑張ろうぜ~」と励ましてくれて、何だかんだ上鳴って優しくて良い奴なんだよなーって私は改めて思った。と、同時にハッとした。

「……あー、やっぱいいや! 帰りなよ、悪いし!」
「うぇ、何で? どした急に」

 スマホをいじりかけていた上鳴は、びっくりして私を見た。
 上鳴がこんなに頑張ってさっさと課題を終わらせたのは、耳郎と早く会いたかったからかもしれないと気づいたのだ。でも待っててくれると言ったから約束はしてないのかもしれないけど……。耳郎も今週はインターンがなくて、もう寮に帰ってゆっくりしているだろうし、上鳴は耳郎との時間を過ごそうと思ってたんじゃないのかな。

「いやー……、耳郎との時間邪魔しちゃうかなって」
「ん、耳郎? ……あー、そゆこと? 今日ヤオモモと本屋行くとか言ってたし、別に大丈夫だぜ」
「そっか」

 そもそも、よく考えたら友達の彼氏を私の都合で引き止めるってどうなんだろう、と今さら思う。だけど上鳴はもともと友達だし、こんなこと今までもたくさんあったし、何より耳郎ってそういう風に気を遣われる方が嫌がりそうだし……うーん、難しく考えることは止めよ!

「じゃあ、ちゃっちゃと片付けるね!」
「おう、やれやれい!」


 あれから二十分で何とか問題を解き終えると、二人で職員室にプリントを届けに行った。
 放課後の校舎は昼間と打って変わって静かで、廊下でもあまり誰ともすれ違わない。もしかして誰も聞いていない今がチャンスなんじゃない? と私はひらめいて、会話が途切れた時に話題を変えてみた。

「そういえばさ、耳郎とはどう?」
「ど、どうって?」

 さっきまでいつもの明るい調子で喋ってたのに、急に歯切れが悪くなる。でも嫌っていうんじゃなくて照れてるからだってのが分かる。だってちょっと口元にやけてるし。上鳴なら喋ってくれそう。やっぱり攻めるならこっちからだよね。

「二人が付き合ってること、言われるまで全然気づかなかったし、なれそめとか色々聞きたいのにさー! 耳郎教えてくんないんだよね」

 私が唇をとがらせると、上鳴はちょっと意外そうな顔をした。

「へえ、耳郎女子達にそういうこと言ってねえんだ」
「そうだよ! ……ねえねえ、どっちから告ったの?」
「うぇ、俺に聞くのかよ!?」
「俺に聞かなかったら誰に聞くわけ?」
「……まあまあまあ。良いじゃん、そーゆーことは」
「えー、聞きたいよ! どっちから?」
「どっちって……、どっちっつうか、何ていうか」

 ごにょごにょと上鳴は口ごもった。その反応は予想外。上鳴ならノリノリで教えてくれると思ったのに。

「どちらともなく、って感じ? もしかして告白なしで付き合ったとか!?」
「いや、そうじゃねえけど」

 上鳴は明後日の方向を見ながら落ち着きなく髪をいじっている。

「そうじゃないけどぉ?」
「ま、まあ良いじゃん! そんななれそめってほどのこともねえし!」

 もごもごしていたかと思ったら、上鳴はそう言ってぶんぶん手を振った。ちょっと顔が赤くなっている。何それ、めちゃくちゃ初心じゃん。こんな上鳴初めて見た!
 絶対になれそめが何もない訳ないだろうけど、それ以上追及しても上鳴ははぐらかして答えてくれなかった。上鳴の口は意外にも堅かった。

「もしかして、耳郎に怒られると悪いから言わない感じ?」

 耳郎は照れ屋だし、そんな気がして聞いてみたのだけど、上鳴の返事は、

「それは違ぇーよ」

 だった。口ぶりからしてそれは嘘じゃないってのは分かった。つまり上鳴が言いたくないから言わないってことみたい。
 あんまりしつこくするのも良くないし、いつかの女子会で梅雨ちゃんから言われた「詮索は良くないわよ」という言葉も頭に蘇ってきて、私は上鳴からも恋バナを聞くのを諦めた。

 でも、一つ分かったことがある。あんなにお喋りの上鳴が内緒にするって、きっとよほどのことなんだろうって。誰にも言いたくないくらい、耳郎のことが大切なのかもしれない。

 そう考えたら、耳郎も上鳴も、何も教えてくれないってことが一番の惚気なんじゃないかって、そんな気がしてきた!




2024.09.12



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