番外編 図書館と雨音

 この棚にあるはずなんだけど……。
 ウチは手元のメモに書かれた数字と、書棚に付いた番号が合っていることを確認した。探している本の記号を口の中でつぶやきながら、上から順番に本の背表紙を確認する。
 だけど、目当ての本は見つからなかった。おそらくその本が入っていたであろう箇所に、ちょうど一冊分の空間が空いていた。

 先を越されたのかもしれない、とウチは思った。
 今日の授業で出た課題のために、参考になりそうな本を図書館に借りに来た。つまり、クラスメイトもウチと同じ行動をする可能性が充分にある。ウチは七限が終わってから教室でちょっと駄弁っていたから、その隙に誰かがひと足先に借りていったのかもしれない。

 雄英高校の図書館は普通の学校の図書室とは規模が違う。校舎とは別の独立した建物になっているくらいだから(「室」じゃなくて「館」だ)、この膨大な蔵書の中でどうしてたった一冊が被るんだろう……と悔しいけど、まあ仕方ない。
 小さくため息をついて、ウチは同じ並びの本棚を端から眺めることにした。代わりになりそうな本を探すため、そしてもしかしたら目当ての本が違う場所に返されているかもしれない希望も持ちつつ。

「あれー、耳郎じゃん」
 下の段を見ようとしゃがんだ時に、頭の上から声がした。教室でいつも右隣から聞こえている、すっかり聞き慣れてしまった声。図書館ということを配慮してか、普段よりもボリュームを抑えた声だった。
「そっか、お前も個性史のやつ、」
「……あ、」
 見上げたと同時に思わず声が出た。
「ん、どした?」
 だって、声の主――上鳴――が腕に抱えている五冊の本の内一冊が、まさしくウチが探していた本だったんだから。



 窓際の席に座り、上鳴は鞄からペンケースやレポート用紙を取り出した。ウチも隣の椅子を引いて座る。上鳴と同じものをリュックから出して机に並べ、本を開いた。探していたお目当ての本を。

 上鳴もウチと同じく課題のために図書館に来ていた。でもレポートのテーマが決まらないから、とりあえず手あたり次第目に付いた本を引っ張り出していたそう。そんな時、ウチを見つけたらしい。
 ウチが探していた本のことを伝えると、上鳴はあっさり譲ってくれた。こだわりがあって選んだわけじゃないし、他の四冊から選ぶからいーよ、と。それでウチは無事に希望通りの本を手に入れることができたのだった。

 そしてそのままの流れで、何となく二人で並んで課題を始めることになった。当たり前のように「どこ座る?」と聞かれてしまい、別々に離れて座る方が何だか違和感のある空気になってしまったのだ。上鳴はそういう風に人を近くに寄せる雰囲気がある。ウチはそんなに誰とでも距離を詰める人間ではないのに、上鳴といるとこいつのペースに引っ張られてしまう。







 しばらく四冊の本をぱらぱらと退屈そうに捲っていた上鳴だったけど、どうやらレポートのネタを思いついたらしい。一冊だけ手元に置いて、残りの本は少し離れたところに積んだ。
「な、イヤホンしても良い?」
 そしてウチに小声でそう言う。
「好きにしなよ」
 シャーペンを走らせる手を止めて、ウチは答えた。隣に並んで座っているとはいえ、それぞれ勝手に課題に取り組んでいるだけなんだから、気にしなくても良いのに。

 上鳴は頷いて、スマホに繋いだイヤホンを耳に入れた。数秒操作をした後にスマホを机の上に置く。その時に、上鳴のスマホの画面がふと目に入った。
「……」
 覗き見する気は全然なかったんだけど、ちらっと見えたら気になってしまって、思わずじっと見つめてしまった。一瞬、見間違いかと思ったのだ。でも間違っていない。
「ん、何?」
 ウチの視線に気がついて、上鳴が左耳のイヤホンだけ外す。
「あ、ごめん。別に」
「?」
 上鳴のスマホから慌てて目を離したけど、上鳴は不思議そうにウチを見つめたままだ。勝手に見てしまったのはウチだし、このまま「何でもない」と押し切るのも無理があるし、ウチは思ったことを正直に言ってみることにした。

「……スマホ見えちゃったんだけど。てっきり、音楽聞くのかと、思ったから」
「え? あー、これな」
 ウチが何を言いたいのか察した上鳴が、スマホに手を伸ばす。暗くなりかけていた画面をタップして明るくした。そこには動画アプリが開かれていて、「作業用BGM 雨の音」というタイトルが表示されていた。

「雨の音聞くと集中できんだよ。受験の時もいっつも聞いてた」
「へえ……、何か意外」
 驚いたまま、ウチはぼそっと呟いた。雨の音と上鳴は全然結びつかなかった。
「みんなそう言うんだよな。何でだろ」
 上鳴はそうぼやいて、軽く唇をとがらす。
 みんなって誰のことだろう。A組の誰かがすでに同じことを言ったんだろうか。それとも地元の友達から言われていたんだろうか。とりあえず、その上鳴の周りの人たちに共感する。だよね、と。

「……何か、そういう繊細なものと上鳴が結びつかないからじゃない」
 直感で思いついたことをそのまま言葉にしてみたら、上鳴はぽかんとした表情をした。だけどすぐに我に返って、自分を指差す仕草をする。
「え、俺今ナチュラルにディスられた?」
「ディスってない、ディスってない。素直な感想」
「おい、それはそれで駄目だろ。俺だって繊細でー……でもねえか」
 ははっと、上鳴は控えめに笑った。そして声のボリュームを抑えたまま続ける。
「俺、六月生まれなんだけどさ」
「え、今月じゃん」
「うん、二十九日」
 それならもうすぐだ。すぐもすぐ、あと一週間もない。ウチがそう言うと、「そうなんすよー」上鳴は軽い調子で頷いた。
「で、俺が生まれた日って雨が降ってたんだって。小さい頃に親から聞いたんだけど。それ知ってから、何か雨に親近感あって。好きなんだよな」

 そう話す横顔は、教室で見るよりも少し穏やかに見えた。
 ふいに上鳴の「素」の部分に触れてしまったような気がして、変な心地がする。上鳴はいつだって裏表なく振る舞っているように見えるのに、なぜかそんな風に思った。

 上鳴っていつも誰かに話し掛けていて、声がでかくて、静かにしていることがほとんどなくて……っていう、とにかくそんなイメージだった。だから雨が好きだなんて意外でしかなかった。雨って何となく、大人しくて「静」な印象だし。
 おまけに好きな理由が、「生まれた日に雨が降っていたから」っていうのも意外だった。上鳴ってそういう些細なことを気にしたり、大事にしたりするんだって、びっくりした。だってこいつって軽いから。興味があるのは流行っているものとか、可愛い女子とか、今目の前で楽しいこととか、そういうものばかりだと思っていた。

 ……でも、とここまで考えて思った。そういえば上鳴には、最初から驚かされっぱなしだったんだって。チャラいかと思ったらそうでもない一面を見たり、やっぱり軽くてアホだなと思ったり、印象がころころ変わって忙しい。

 チャラい男は全然好きじゃないけど、ひとつだけ上鳴をすごいなと思うところがある。それは、こうして自分の内面を素直に口にできるところだ。ウチにはできないから。上鳴からしたら内面を見せている自覚すらないのかもしれないけど、それならそれで、そういうことを意識していないのがすごいと思う。

「そうなんだ。……ウチも聞いてみようかな」
「お、良いじゃん。オススメだぜ」
 ウチも上鳴と同じアプリを開いた。「雨の音」で検索すると色々出てくる。上鳴がよく聞いている動画を教えてもらって、ウチは耳たぶのプラグをスマホに差した。

 再生ボタンを押すと、サアー……っと雨の音が流れてきた。ただただ、ずっとそのまま、細かい雨の降る音だけが聞こえてくる。
 確かにこれは気持ちが落ち着いて良いかもしれない。だけど改めて、これを上鳴が好んで聞いているということを意外だと思った。

 上鳴も心を落ち着かせたかったり、静かに考え事をしたかったり、そういう時間があるんだろうか。そういえば、一人暮らしは寂しいって言ってたもんな……。ふと、そんなとりとめのない想像をしてしまう。

 隣に視線をやれば、上鳴は本を開きながらレポート用紙に向き合っていた。そうだ、課題をするんだった。勝手な詮索は止めて、ウチもレポートの続きに取り掛かった。




2022.07.02



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