おめかし

 夕飯を食べた後、響香がリビングで洗濯物をたたんでいると、皿洗いを終えた夫の電気がキッチンから戻ってきた。

「あー、俺がやるって言ったのに!」
 彼は腕まくりしていた服の袖口を直しながら大きな声を上げた。響香は気にせず黙々と作業している。
「そんな気遣わなくて良いから。ほら、終わった」
 そして最後にタオルをたたみ終えると、他の洗濯物の上に重ねて、ポンと手でたたく。電気はちょっと面白くなさそうな顔をしていたが、すぐに気を取り直して無造作に置かれているクッションを一つ手に取った。
「じゃ、今日もお願いしますね!」

 自分のすぐ傍に置かれたそれを見つめた後、響香は呆れたような視線を夫に向ける。

「今日もやんの?」
「やる!」
「あんたも飽きないね。三日で止めると思ってたのに」
「見くびってもらっちゃ困るぜ」
 クッションの横であぐらをかいている電気は元気にガッツポーズしている。響香は小さく息を吐き、大きいお腹を抱えてゆっくり立ち上がると、そのクッションの上に座った。


 響香は子どもの頃から、肩よりも長く髪を伸ばすことはあまりなかった。短い髪が好きだったし、自分に似合っていると思っていたし、洗って乾かすのも簡単だったからだ。大人になってからは、幼い頃からの習慣でショートカットを維持していただけで、こだわりは特になかった。
 別に何の心境の変化があったわけではない、ただ美容室に行くのを後回しにしていたというそれだけの理由で、気づけば肩につくくらいの長さになっていた。
 そんな時、お腹の中に子どもが居ることが分かってヒーロー活動を休止することになり、せっかくの機会だからそのまま伸ばしてみることにした。今は鎖骨を少し越すくらいの長さだ。

 その髪を、彼女の背後に座った電気が櫛を使って丁寧に梳かしている。髪を意識的に伸ばし始めた頃、彼がそのことに喜んで買って来たブナのヘアブラシ。静電気が起きにくいとか言っていた。ドラッグストアで売っているプラスチック製の物で充分だと響香は思っていたが、気がつけば手になじみ、自分のお気に入りの品のひとつになっている。

 電気の指が慣れた手つきで響香の髪をすくう。頭の上の方から下に向かって、少しずつ束にした髪を編み合わせていく。最初は自分の膝の上にタブレットを置いてヘアアレンジの動画を見ながらやっていたが、最近はもう不要となっていた。
 電気はスタンガンヒーロー・チャージズマとして活躍し忙しくしているため、この練習も毎日とはいかないが、最初に始めた日から三週間が経った今、すっかりコツを掴んだようである。
 髪を優しく引かれながら、意外と器用なんだよな、と響香は思う。高校一年生の文化祭の時、ギター初心者にも関わらず彼が一週間でコードをマスターしたことを彼女は思い出していた。



「じゃーん! どうどう?」

 響香は目の前に差し出された手鏡を受け取る。後ろでは、電気がもう一つの手鏡で後頭部を映している。響香は鏡の角度を何度か変えて、髪形をチェックした。綺麗に編み込みされている。ところどころほつれてはいるけれど、それはヘアワックスを使えば解決することだろう。
 ふんふんと頷いて、響香は首を後ろに仰け反らせた。頭は夫の肩に受け止められる。
「良いんじゃないの」
 そう言うと、覗き込んでくる電気の顔がぱっと明るくなった。
「だろだろ? 結構上手くできたぜ。もうツインテールとか普通の三つ編みは余裕だな」
「そうかもね」
「響香が出掛ける時もリクエストしてくれて良いんだぜ~。ヤオモモとかと遊ぶ予定ない?」
「あってもウチは良いかな」
「え~」
 響香が姿勢を正してもう一度手鏡で髪を確認していると、お腹の中が、とん、と蹴られた。その部分をそっと手のひらで撫でる。


 電気が張り切って響香の髪をいじっているのは、彼女のためではなく、彼女のお腹の中にいる子どものためである。
 医師の診断によれば女の子とのことだ。性別がどちらであろうと大切な我が子には違いないが、女の子と聞いてからというもの電気はすっかり張り切っている。衣服や小物を選ぶだけでは気持ちが収まらず、こうしてヘアアレンジにまで手を出したというわけである。
 娘が可愛くおめかしする手伝いをしてあげたいそうだ。あと、「こういうことができる父親とか格好良くね?」だそうだ。生まれる前から娘に媚びを売る気満々である。

 響香も最初は一緒になってチャレンジしてみたが、自分の髪ということもあってか上手くできず、そのうちにどんどん電気が上達していったのでそういうことは全面的に夫に任せることにした。
 そもそも、娘が髪を伸ばしたがる子に育つか分からないのだが。そう言うと水を差すようなので一応黙っている。


「練習するのは良いけどさ、結える長さになるまでどんだけ掛かると思ってんの」
「んー、まあそうだけど。備えあれば憂いなしって言うじゃん!」

 ヘアゴムが取られ、編み込まれた髪が彼の手櫛でほどかれていく。
 本当は、そろそろまた短く切ろうと響香は考えている。子どもが生まれたらきっと毎日バタバタするだろうから、髪を洗うのは楽な方が良い。だけど電気が楽しそうだから、八ヶ月になるまでのあと二週間くらいは待ってやろうか、と思う。
 何度か優しく髪を撫でられた後、真ん中で髪を分けられた。また違うアレンジの練習をするらしい。ツインテールだったら絶対似合わないから、鏡は見ないでおこうと響香は手鏡を太腿の上に伏せた。




2020年2月~4月の拍手お礼SSでした。



| NOVEL TOP |