夜の共有スペースにて

 喉が渇いたけど部屋の冷蔵庫の飲み物を切らしていたから、俺は共有スペースに下りた。新学期が始まったばかりだからか皆早めに部屋に引き上げたみたいで、まだ十一時過ぎだけどもう明かりは消えている。でもエレベーターを降りて少し歩いたら、キッチンの辺りから薄ぼんやりと光が漏れているのが見えた。

「お、耳郎じゃん」
 ペタペタとスリッパの立てる音が響く。シンクの前に立っていた耳郎は水を飲んでいた。


 俺も耳郎と同じように水を飲み、コップを洗った。とっくに用事が終わっている耳郎は、ずっと俺の横で何となく突っ立っている。
 夜中に同級生と一緒に居るのは、何だか特別な気持ちになる。夏休み中に始まった寮暮らしにはまだ完全に慣れていなくて、マジで皆と同じ場所に住んでいるんだなって、毎日他愛のない場面で何度も何度も新鮮な気持ちで思う。
 耳郎は何となく、まだ部屋に戻りたくなさそうに見えた。だから俺は聞いた。
「何かあったん?」
 って。


 今日は授業で、ビッグ3と呼ばれる雄英トップの三年生たちからインターンについて話を聞いた。ていうか聞くだけじゃなくて、実際に通形ミリオという先輩と手合わせまでした。
 先輩一人に対してA組全員で戦ったのに(と言っても爆豪は謹慎中で居なかったし、轟は見学してたけど)、結果は惨敗。「透過」の個性はめちゃくちゃ強くて、全員訳が分からないまま腹パンされて終わった。耳郎はその出来事を気にしているらしい。悔しくて悔しくてたまらないそうだ。

 通形先輩は個性を発動させると、あらゆるものを通り抜ける。もちろん身に着けている衣服も。そうするとつまり、全裸になってしまう。先輩の個性を知らないまま戦い始めた俺らは、いきなり服が脱げた先輩にポカンとなってしまった。そして、とりわけそれに驚いたのが耳郎だった。
 まあ男の裸なんて日常的に見るもんじゃないってのは分かるけど、それにしても耳郎のリアクションはすごかった。顔だけじゃなくて耳や首まで真っ赤にして、手で顔を隠しながら叫びまくってた。


 授業中の先生もいる場で、あんなに取り乱して何もできなかった自分が許せないというようなことを耳郎は言った。その時のことを思い出しているのか、言葉はキツイ割に表情は恥ずかしそうだ。

「……あんな風に騒いでたの、ウチだけだし」
 俺は素直に頷いた。
「うん、確かにお前ばっかデカイ声出してたもん……い、いってえぇぇ!!」

 突然耳郎のイヤホンジャックがもの凄いスピードで迫ってきて、思い切り心音をくらった。耳の辺りがビンビンして、思わずその場にうずくまる。何でそれを先輩にやらないんだよ! と朦朧とした意識の中で思う。あぁ、透過だから無理か。

「はっきり言わないでよ!」
「うぇ、自分から振ったんだろ……」
「自分で言うのとひとが言うのは違うでしょ」
 何て横暴な。耳郎はぷいっとそっぽを向いた。
 あの授業の後、実は男子更衣室で耳郎のリアクションについてちらっと話題になった。絶対にそのことは本人の耳に入れてはいけないと、俺は耳郎の赤らんだ横顔を見ながら思う。明日念のため峰田に口止めしとくか。

 意外に耳郎は手加減をしてくれていたのか、攻撃を受けた余韻はさほど続かなかった。ゆっくり立ち上がる。
「俺も、ていうか皆何もできなかったんだし、同じだよ同じ。あんま気にすんなって」
「うーん……」
 納得していないようだけど反論もできないようで、耳郎は耳たぶのコードを指に絡ませながら曖昧な返事をした。
「気づいたらそれでグルグル巻きだったもんな」
 俺は耳郎の指に巻き付いてるそれを指差す。通形先輩に腹パンされた俺は、先に倒れていた耳郎と一緒になぜか、耳郎のコードで身体を拘束されてしまった。
「あんたが近くにいたのも気づかなかった」
 耳郎はぽつりとつぶやく。まあ、あの様子なら全然周りが見えてなかっただろう。

 耳郎が取り乱したのを見た瞬間、俺はかなりびっくりした。だって入学早々USJで敵に襲われた時は堂々と戦っていた、あの肝が据わって勇敢なやつが、まさかこんなことで簡単に調子を崩してしまうなんて。
 イメージだと、ふーん、って普通に眺めそうな感じじゃん? 「オイオイオイオイ、何でこんなとこでギャップ見せてんだよ!?」ってなぜか俺まで慌ててしまって、完全にフリーズしてる耳郎をフォローしなきゃと自然と足が動いたものの、放電も虚しく空振り、気が付いたら耳郎と背中合わせで拘束されていた。

「仮免取れて、ちょっとは成長できたかなって思ってたけど。こんなにあっさりダメだと、進んでんのか止まってんのかよく分かんないな」
 耳郎は小さくため息をついた。
「なーに言ってんだよ、三年だぜ三年。おまけにビッグ3だし。そんな簡単に勝てるわけねーじゃん」
「……そうだけど」
 ちょっといじけたように口を尖らせたのを見て、すげえ負けず嫌いだなと思った。格上の相手にだって普通に悔しがるのは、誰にでもできることじゃない。耳郎だけじゃなくてヒーロー科にはこういうやつが多くて、あまり競争心がない俺みたいな性格の方が珍しい。

「ま、今日はもう寝ようぜ」
 明日も一日授業がぎっしりある。寝不足で臨めるほどやさしいものじゃない。二人して並んでうとうとしていたら相当目立ってしまうだろう。
 眠気がこみ上げてきて、口に手を当てながら大きくあくびをすると、やっと耳郎が表情を緩めた。
「ほんとお気楽」
「うるせー」
 それから明かりを消して、おやすみと挨拶してからそれぞれの棟へ向かうエレベーターに乗り込んだ。

 昼間の出来事は耳郎にとって面白くないに違いないんだろうけど、俺は耳郎の新しい一面を知れて、ちょっとした収穫を得たような気がしていた。普段クールなんだから愛嬌があって良いじゃんって思ったけど、耳郎に言ったら怒られそうだからずっと黙っておこう。




2020年5月~6月の拍手お礼SSでした。



| NOVEL TOP |