憧れの

 ハーフパンツのウエストの紐をぎゅっと絞って結び、ウチは脱衣所を出た。
「お風呂ありがと」
 部屋のドアを開けると、ソファに座ってテレビを見ている上鳴の後ろ姿が目に入る。テレビにはコント番組が映っていた。ちょうど上鳴が好きな芸人のコントが終わったところみたいだった。上鳴は笑いながらウチを振り返ると、立ち上がってこちらに来た。
「お、似合ってんじゃーん」
「……そうかな」
 そう思わないけど、と思いつつ自分の格好を見下ろす。上鳴はウチを上から下まで眺めて、満足そうに頷いた。


 今夜ウチは、初めて上鳴の部屋に泊まる。
 遊びに来たことは何度もあるから部屋の勝手は分かっているけど、泊まるとなると何だか落ち着かなかった。上鳴のシャンプーやボディソープを使ったおかげで、いつも上鳴からふわっと香る匂いが自分の周りに漂っているのが変な気分だ。
 おまけに今着ているのは上鳴のTシャツとハーフパンツ。上も下もぶかぶかで全然身体に馴染んでいないから、なおさらソワソワに拍車をかけている。ウチはちゃんと寝る時に着る服を用意してきたのに、「俺の服貸す!」と上鳴に押し切られてこんな格好になってしまった。


「ほい、耳郎のアイス」
 ウチがぼけっと突っ立っていたら、上鳴がカップアイスを差し出してきた。夕方二人でコンビニに行って選んだ、ちょっと値段の高いアイス。ウチはキャラメルで、上鳴はチョコレート。風呂上がりに食べようぜ、と子どもみたいな無邪気な笑顔で上鳴が言っていたことを思い出す。
「ありがと」
 受け取ると、お風呂上がりの肌にはひんやりと気持ち良かった。ウチは自分ひとりではこういう高いお菓子はあまり買わないから、ちょっと気分が上がる。しかも夜、寝る前に食べるってのも良い。今日一日のご褒美みたいで。アイスに気を取られてソワソワした気分が少しずつ引いていく。
 上鳴も似たようなことを考えていたみたいで、「風呂上がりに食うアイスって一段と美味いよな~」とスプーンをぷらぷら振りながら言っていた。


 二人でソファに腰掛けて、一口分だけアイスを交換しつつ食べていて気がついた。もしかして上鳴は、緊張した空気にならないように風呂上がりにアイスを食べようって言ったのかなって。
 お風呂に入ってしまったら、後はテレビを見て歯を磨くくらいしかやることがない。そうしたらどうしても、その後のことを意識してしまう。同じベッドで一緒に眠るってことを。上鳴のことだから、こういう風にウチに気を遣ったのかもしれない。結局こうして思い出してしまったから、意識は逸れてないんだけど。
 スプーンをくわえながら上鳴の横顔をそっと伺うと、すぐに視線に気づいたみたいで目が合った。
「ん、もう一口欲しい? ごめんもう食い終わった!」
「違うよ」
 上鳴が空になったカップを見せる。のん気な様子に、緊張していた自分が馬鹿らしくなってきた。
 泊まると言っても上鳴のことだし、普通に寝るだけかもしれない。ベッドに寝そべってからもずっと喋って、気づいたら寝落ち、みたいな。ウチらなら有り得そう。初めて泊まるからと言って、だからどうするなんて、何も決めていないし。……事前に決めるものなのか分からないけど。

 黙々とアイスを食べて最後の一口を口に入れたところで、ふと上鳴の手がこちらに伸びてきた。ちょっと身構えたら、両手でTシャツの肩をつままれた。
「すげえ余ってんな、肩」
「……何にやけてんの」
 目線を上げると、上鳴は締まりのない顔をしていた。
「いやー、良いなあって思って」
「何が」
「彼女が俺の服着てるっていうシチュエーション」
「あんたが無理やり作り出したんだけどね」
「だって、やってみたかったんだよ」
 上鳴の手がぱっと離れたから、ウチはスプーンと空になったカップを目の前のテーブルに置いた。Tシャツの袖が揺れて、肘に当たる。上鳴がこの服を着ているのを見たことがあるけど、こんなに袖は長くなかったと思う。身体にももっとフィットしている感じで、上鳴からすると大きなサイズでも何でもない。
 ウチはTシャツの裾を下に引っ張った。すると、お尻が全部隠れるくらいの長さがあった。
「……上鳴って、意外に身体大きいんだね」

 上鳴は高校時代から比べたら身長は伸びたし、プロヒーローとしてちゃんと筋肉は鍛え上げられているから、一般人よりはずっとしっかりとした身体つきをしている。でも同業者にはもっとごつい人は沢山居るから、逞しい人は見慣れている。それに、どうしても出会った頃のイメージが抜けないのか、上鳴は小柄だとウチは思い込んでいたところがあった。でもそうじゃないんだと、今実感した。

 感心して上鳴の方を見ると、こいつは顔の下半分を手で覆って俯いていた。
「何してんの」
 上鳴はそのポーズのまま、首を横に振った。横髪が揺れて、隠れていた耳がちらっと見える。心なしか赤く染まっているようだった。
「もー、耳郎さあ……」
 上鳴はため息と一緒に情けない声を吐き出す。やっと顔を覆っていた手を外してこっちを見ると、頬も耳と同じ色をしていた。そのまま腕が伸びてきて、あっという間に抱き締められた。ウチよりも高い体温がTシャツ越しにゆっくり伝わってくる。
「な、何……」
「……そーいうこと言われると、やばい」
「は……?」
「やばいの」
 背中に回された腕の力がぎゅうっと強くなる。苦しかったけど、苦しいって言えなかった。上鳴の声が熱っぽくて、そんな声を初めて聞いたからびっくりして身体が固まってしまった。顔が当たっている上鳴の首筋も熱くて、だんだんウチもそれに感化されて、心臓の鼓動が少しずつ速くなっていく。何を言ったら良いか分からなくて、静かに上鳴の腰に腕を回した。
 上鳴が身じろいで、ウチの髪に顔をうずめる。
「良い匂い」
「……あんたと同じシャンプーだよ」
「うん、でも何か違う。良い匂いする」
 鼻を地肌にこすりつけながら、小さく笑う。これもまた、今まで聞いたことのないような甘い調子だった。吐息が耳にかかって一気にわーっと恥ずかしさが湧き上がる。

 二人でただ一緒に眠るだけ、そんな訳ないか。ウチは上鳴のTシャツの背中をぎゅっと握った。




2020年9月~10月の拍手お礼SSでした。



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