おはようは待って

 スマホのアラームが鳴ってすぐに目を覚ましたウチは、二秒ほどでそれを止めた。遮光カーテンのおかげで部屋の中は薄暗いけど、合わせたカーテンの隙間からは朝日がわずかに差し込んでいる。
 隣で眠っている上鳴がもぞもぞと身じろいだ。アラームの音で起こしてしまったかと思ったけど、すぐに落ち着いて静かになる。昨夜寝る時に繋いだ手は、指先がかろうじて絡んでいるだけになっていた。ウチは枕元にスマホを戻して上鳴の寝顔を見つめながら、朝ご飯に何を作ろうか考えた。本当は昨日の夕飯のおかずを今朝も食べるつもりで多めに作ったのに、結局ほとんど食べてしまったのだ。玉子焼きか目玉焼き……と悩んで、上鳴の部屋には玉子焼き用のフライパンがないことを思い出した。


 ここ数週間上鳴は忙しかったようで、アパートにはほとんど寝に帰っている状態だったという。それでウチは、ようやく落ち着いて久しぶりに会えた昨日、上鳴の部屋で夕飯を作ったのだった。ウチは料理が特別上手いわけではないけど、上鳴はここのところ自炊する余裕なんてなかっただろうし、きっと出来合いのものばかり食べていたから、外食よりは良いだろうと思ってそうした。

 下手にやる気を出して失敗したら嫌だったから手の込んだものは作らなかったけど、上鳴は美味いと褒めておかわりして食べてくれた。いつもそう。ウチが作るものより美味しいものなんて山ほどあるのに、たまに手料理を振る舞うと上鳴はすごく喜んでくれる。昨日は身体を気遣って外食にしなかっただけ、とウチは自分で思っていたけど、一緒に夕飯を食べ始めた時に、この嬉しそうな顔が見たかったからご飯を作ってあげたのかも、と気づいてしまった。
 上鳴と付き合い始めてからというもの、自分のために料理をする時も、レシピをネットで探しながら「これ上鳴好きそうだな」とか、いざ上手くできたら「今度上鳴にも作ってみようかな」とか無意識に考えてしまっている自分が居る。実際そのおかげでレパートリーはそこそこ増えた。まさか自分がこんな風に尽くして喜びを覚えるとは思ってなかったから、正直くすぐったいし、このことは絶対上鳴には言いたくない。


 ご飯は昨晩炊いたものがあるから、目玉焼きと味噌汁を作れば良いだろう。あとは少し残っているおかずを並べればちゃんとした食卓になりそうだ。昨日買っておいたリンゴも剥こう。
 そこまでイメージするとウチは、上鳴のことを起こさないように絡んでいた指をそっと抜いた。そしてゆっくり身体を起こしてベッドから足を下ろそうとした……けど、不意に腕を掴まれてウチは動きを止めた。振り返ると、枕にうつ伏せたまま上鳴がウチを引き留めていた。

「……トイレ?」
 寝起きのぼんやりとした声で上鳴が呟く。そして顔を少しだけ上げてみせたけど、まだ眠たいのか目は開いていなかった。
「ううん。朝ご飯、作ろうと思って」
「……昨日の残り温めるだけじゃねえの」
「ほとんど食べたじゃん。だから目玉焼きと味噌汁は作ろうかなって」
 んん、と上鳴は小さく呻いた。ようやくまぶたが重たそうに持ち上がって、今日初めて目が合う。
「いい」
 上鳴は短くそう言うと、ぐいっと強めにウチの腕を引いた。それは、幼い子どもが母親の気を引きたくてやるような仕草に似ていた。
「昨日のおかずと飯だけで良いから、まだ寝よ」
「え?」
 朝も喜んでもらえたらと思ってせっかく早めにアラームを掛けたのに、ウチの思惑と違うことを上鳴は言う。ウチが聞き返すと、上鳴はまた枕に顔を埋めた。そして少し黙ってからこう呟いた。

「……もうちょい居て」
 腕を掴む力が、ぎゅっと強くなる。
「……なあ、いーだろ」
 駄々をこねる子どもみたいな口調で言い、それからウチの腕を揺すった。手首がぷらぷら揺れる。上鳴はそのまま顔を上げずに、ずっとそれを続けていた。
 上鳴がこんな風にあからさまに甘えたことをしてくるのは珍しい。ウチらは付き合い始めてからもずっと高校時代と変わらないノリでいるから、どうも素直に恋人らしい雰囲気になるのがお互い下手くそなのだ。いつもどちらかかが茶化すようなことを言い、甘いムードよりは笑い合う方を選んでしまう。ウチは新鮮な気持ちで上鳴を見つめた。


 また新しく作ったものを「美味い」と言いながら食べてくれるところを見たかったけど、こうして引き止められるのも悪くないか、とも思う。それに恥をしのんで甘えてくる上鳴の気持ちを無下にするわけにもいかないし。だってこいつ、絶対照れてるから顔を上げてないんだもんな。

 ウチはめくった掛け布団を元に直して、もう一度ベッドに横になった。上鳴と向かい合うように寝返りをうち、まだ顔を伏せている上鳴の頭に手を伸ばす。少し寝癖が付いている金色の髪はやわらかい。寝癖がもっと酷くなるかもしれないことはお構いなしに、ウチはわしゃわしゃと髪をかき混ぜるようにして上鳴の頭を撫でた。
「あんた何歳?」
 笑いながら尋ねると、上鳴はいそいそとこちらにすり寄って来て、ウチの身体を抱き締めた。そして間抜けだけど満足気な声で、にじゅっさい、と答えた。




2021年1月~3月の拍手お礼SSでした。



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