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「ジャックも帰る?」
『了解』のスタンプを送信したところで、先輩の声に顔を上げた。彼女はグラスに残っていたカクテルを飲みながらこっちを見ている。
「はい、帰ります」
「私も。一緒に帰ろ~」
 ラストオーダーから十五分が経った今、電車の時間がどうとか、二次会どこにしようとか、個室の中はそろそろお開きの雰囲気だった。事務所の有志で集まった少し早い忘年会。
 今声を掛けてくれた先輩とは家の方面が同じで、普段から一緒に帰ることがよくある。だから今日も当たり前のようにそう言ってくれたんだけど。

「すみません、今日は、ちょっと」
「ん?」
「あの、」
 今日は一緒に帰れない。その理由を正直に言おうか迷って、言葉が上手く出てこなかった。どもったウチを先輩が不思議そうに見つめている。
「……えーっと」
「どしたの?」
 のん気な調子で尋ねられて、躊躇っている自分が馬鹿らしく思えてきた。だから正直に言うことにした。というかそもそも、こんな風にもったいぶることではないんだから、さっさと答えれば良かったとさっそく後悔している。
「……今日は、迎えが来るので」
 手の中のスマホがぶるっと震えた。きっとスタンプでも返ってきたんだろう。
「あ、チャージ君?」
「……はい」
 先輩がにやっと笑ったのを見て、ウチは視線を外した。思わず顔が熱くなる。
「なーに照れてんの。そうならそう言えば良いじゃない」
「照れてないです」
 嘘なのはバレバレだけど、そっぽを向いたままそう言う。自分の口から彼氏云々の話をするのがいつまで経ってもどうしても慣れなくて、上鳴と付き合ってもうすぐ一年が経つ今もこんな調子だ。逆にこういうリアクションを取ってしまうのが恥ずかしいよな、と自分で分かっているんだけど。
「へえ、優しいんだね。迎え来てくれるなんて」
「いや、あいつ今年車買って運転にハマってるから、運転する口実が欲しいだけですよ」
「まーた、そんなこと言って」
 茶化すように先輩はウチを小突いた。



 それからしばらくして一次会は終わり、電車に乗る先輩とは駅まで一緒に行って別れた。上鳴が駅まで迎えに来てくれることになっていたのだ。
 ロータリーで十五分ほど待った頃、見慣れた車が近づいて来てウチの傍で停まった。十二月の夜の中じっと立っているのは寒かったから、すぐにドアを開けて乗り込む。
「わりぃ! 道路混んでてさ。お疲れ」
 ウチが助手席に座るや否や、上鳴は申し訳なさそうに謝った。さみい? と聞きながらエアコンの温度を上げる。
「ううん。むしろ悪かったね。わざわざ来てもらって」
「ぜーんぜん。てか、俺から行くって言ったんだし」
 上鳴はそう言ってウインカーを出し、後方を確認する。アクセルをゆっくりと踏み込み、車は走り出した。

「もうお風呂入った?」
 隣の横顔を見ながらウチは聞いた。上鳴の髪の毛は大人しく下りていて、さらさらに見えた。服装もスウェットのパーカーというラフな格好だ。
「うん? 入ったよ」
「じゃあ、そんなわざわざ良かったのに」
「何で?」
「だってお風呂入った後に外出るの怠くない? 身体冷めるし」
 ウチの場合、夜帰って来て入浴を済ませてしまったらもう完全にオフの気分になるから、そこから出掛けようとは基本的にならない。自分のための用事だとしても絶対に面倒くさい。しかも上鳴は明日休みだから、なおさら邪魔してしまったかなと思う(ちなみに明日はウチも休みで、午前から二人で出掛ける約束をしている)。
「べっつにー。車乗ってるだけだし。俺、運転好きだし」
 だけど上鳴はのん気な調子で、何てことないようにそう答える。

 今年上鳴が車を買ってからというもの、こんな風に時間が合えば勤務終わりや飲み会の後に迎えに来てくれるようになった。上鳴のアパートとウチのアパートは同じ方面じゃないから、上鳴はただウチの用事のためだけに遠回りをしたり外出したりすることになるんだけど、よくこんなことをやってくれるなと思う。自分で言っている通り運転が楽しいんだろうけど、そうだとしてもだ。

――へえ、優しいんだね。
 さっき居酒屋で言われた先輩の言葉がよみがえる。あの時はそんなんじゃないと返したけど、実際のところはウチもそう思っている。
 上鳴が周りに対して優しいというのは付き合う前から、それこそ高校生の頃から知っている。それは、上鳴のことを「良いな」と意識するようになったきっかけの一つだったと思う。でも皆に対して親切だからこそ、彼女になった自分にだけ「特別」と感じられるようなことはあまりないのかもしれない、付き合い始めの頃はそう思っていた。

 だけどそんなことはなかった。ウチと付き合い始めてからも上鳴は相変わらず皆に優しいけど、ウチは上鳴の中で特別な場所に置いてもらえているんだなと感じることができている。周りに対してとウチに対して、何が違うのかと聞かれれば上手く答えられなくて、何となく、だけど。


 イルミネーションできらきら光る駅前通りを抜けて、車は静かなベッドタウンへ向かう。夜の十時を過ぎた道路は空いていて、ストレスなくすいすいと進んでいく。
 あと五分くらいでウチのアパートに着く、そんな時だった。

「……なあ、俺もこのまま耳郎んとこ泊っても良い?」
 黄色信号を見て減速しながら、上鳴がぽつりとつぶやいた。
「え?」
「いや、ほんとは送ったら普通に帰るつもりだったんだけど……」
 静かに車が停まる。上鳴は前を向いたまま、そう続けた。暗いから表情はよく見えないけど、声色でどんな気持ちなのかは分かった。普段の元気な調子とは全然違う、少しトーンを落とした声。落ち着いているのにどこかそわついていて、ほんの少し甘えているようにも感じられる声。
「顔見たら何か、帰りたくなくなって、きた」
 たとえばこんな時だ。上鳴にとってウチはちゃんと彼女なんだなと実感できるのは。上鳴の特別を貰えているという気持ちになる。

「……明日、会うのに?」
「……うん、会うのに」
 気恥ずかしくてウチがそんなことを言うと、上鳴はそのまま返した。上鳴もそうとう照れているらしく、全然こっちを見ようとしない。
 上鳴はいつもとても素直だ。回りくどいことなんてしない。そういうところに触れてウチは、自分のことを素直じゃないなと思う。そして、こういう雰囲気の時くらいは素直でいようと後から反省するのだった。

「……好きにしたら良いじゃん。この間置いていった部屋着、あるし」
「ん。じゃー、そうする」
 信号が青に変わる。
 発進する前にふっと上鳴の手がこちらに伸びてきて、ウチの頭を撫でた。ほんの一瞬のできごとで、気がついたらもうその左手はハンドルを握っていた。
 車がふたたび動き出し、上鳴はさっきと同じように前を向いている。
 たった今の撫でられた余韻は、全然消える気配がない。ウチも上鳴から視線を外して窓の外を見ながら、早くアパートに着かないかなと思っていた。




2021.12.12



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