Stray mind / p.1

 パソコンとにらめっこして、さっき出動した案件の報告書を作っていた。時計の針は夕方の六時半を差している。たまたま皆席を外していて誰もいない事務所で、ウチがキーボードをタイプする音だけが響く。
 今日は何事もなく終わりそうだったのに、四時過ぎに出動要請が来た。凶悪な敵ではなく、個性を持て余したチンピラが暴れているだけで、だけというのも何だけど、幸い怪我人もなく、事件は早々に解決した。騒ぎを起こした男を警察官に引き渡し、状況を説明していたら思いのほか遅くなってしまって、事務所に戻ってから慌ててパソコンを立ち上げた。
 本当は今日は六時で上がるつもりだった。だけど、黙々と報告書を作成していたらこの後の用事を先延ばしにしたかったような気もしてきて、ウチは目の前の作業に没頭していた。

 ふとコーヒーの香りがして顔を上げると、先輩が隣に立ってパソコンの画面を見ていた。湯気の上がったマグカップを口元に寄せ、ずずっとすする。
「同窓会なんだから、もう帰ったら?」
「明日、休みなので」
 ウチは一度上げた視線を画面に戻し、文字を打った。
「所長明後日までいないし、確認するのは戻ってきてからだから、ちょっとくらい遅れても良いよ」
「やらない自分が嫌なんです」
 心なしかキーボードを叩く力が強くなってしまって、先輩が笑った。
「わかったよ」
 そしてそう言うと、自分の席に戻っていった。
 




 今日は雄英高校の一年生の時の同窓会がある。卒業してからもうじき丸二年が経とうとしているけど、皆なかなか忙しく開催はこれで二回目だ。前回は勤務で行けなかったから、今日が初めての同窓会参加になる。
 とは言っても、女子同士ではたまに集まっているし、男子とも現場で会ったり、研修が一緒になったりで、ついでにご飯を食べに行くこともあるから、全員まったく久しぶりという訳ではなかった。
 幹事の芦戸から同窓会の連絡が来たのが二ヶ月前。参加を即決したけど、実は少しだけ足が進まなかった。それは上鳴のせいだった。
 


 ウチは高校の時からずっと、不本意ながらあのアホに片思いをしている。軽くてチャラい男なんて全然タイプじゃなかったのに、落ちてしまったのだから人間て不思議だ。
 中身のない冗談で笑い合ったり、勉強を教えたり、一緒に音楽を聞いたり、時には真面目にどんなヒーローになりたいかなんて話したりして、ウチにとって上鳴は何てことない友達の一人だった。まあ、一番話しやすくて気を遣わなくて良い男子だとは思っていたけど。

 その気持ちに変化があったのは、高校三年の夏休み、ヒーロー科の有志で夏祭りに行った時のことだった。
 最初は皆でまとまって回っていたのだけど、上鳴が射的をやりたいと言い出して、何となく二人で立ち止まった。どーせ当たらないよ、と言うウチの言葉は無視して、上鳴は得意気に射的銃を構えた。
 好きなもん言えよ、取ってやる、と言われて、並んだ景品を見渡したけど、大して欲しいものもなかったから、残らないもの、とだけ言った。
 結局取れたのは、手のひらにすっぽりと収まるくらい小さな、カメラのフィルムケースみたいな入れ物に入ったラムネ菓子だった。
 だっさ、と上鳴をからかって、さっそく開けて二人で食べてしまった。そんなことをしていたら皆とはぐれていた。適当に歩いていれば誰かしらに会うだろうと、わざわざスマホで連絡を取ることはせず、とりあえず歩き出した。

 人がごった返す中で、歩幅が違う上鳴とウチの距離は自然と離れた。上鳴の金髪は目立つからその姿を見失うことはなかったけど、人にぶつからないように気を付けているとなかなか真っ直ぐ進めなくて、歩くのに苦労した。
 それに気付いた上鳴が立ち止まって、ウチが追いつくまで待ってくれた。ありがと、と言ったのとほぼ同時に、上鳴がウチの手を握った。

「はぐれると悪いから」

 この時に跳ねた心臓の音は、昨日のことのように覚えている。
 耳郎は小さいから、と馬鹿にしたように笑った上鳴に腹を立てたふりをして、ウチも手を握り返し、一瞬ぎゅっと手の甲に爪を立てた。上鳴は、いってぇ、とうらめしそうにこちらをにらんだけど、手を離しはしなかった。そのまま二人で人混みの中に戻った。
 上鳴の手の厚みや、並んだ時の身長差を改めて意識して、何だか落ち着かなかった。入学したての頃は、コイツはそんなに背が高くなかったし、腕だってもっと細かったのに。口では冗談を言い合いながら、ウチはそんなことばかり考えていた。
 ただ仲が良いだけ、そう思っていた上鳴のことを、本当は言い聞かせていただけなんだと自覚した瞬間だった。

 蒸し暑い夜、人混み、焼きそばやお好み焼きの鉄板の熱気、それから何より緊張のせいで、つないだ手のひらにびっしょり汗をかいてしまって恥ずかしかった。
 遠くに切島の赤い髪を見つけるまでつないでいて、それはたぶん十分くらいだった。
 自然と手を離して、ぬるい風が汗で光る手のひらを撫でた。上鳴は汗をからかったり、気持ち悪いと言ったりしなかったし、手をズボンに拭ったりもしなかった。

 男子と手をつなぐことなんて今までなかったから、この思い出は強烈に残っている。この時は、もしかしたら何か関係が変わるかも知れないなんて思ったけど、実際は何も起らなかった。軟派な上鳴のことだから、これくらい普通なんだろう。自分が初心すぎるだけなんだ、と言い聞かせた。変に意識して近づいて、そんなつもりじゃなかったなんて言われるのだけは嫌だった。そんなのって痛すぎる。インターンや授業、卒業後の準備に追われ、三年の秋と冬はあっという間に過ぎていった。

 気づけばもう二十歳だ。
 上鳴とは卒業してからも連絡を取り合って、最初の頃は時間を見つけては遊んでいた。上鳴とだけじゃなく、他のクラスメイトとも最初はよく会っていた。インターンはしていたものの、初めて飛び込むプロの世界。皆、戸惑いや不安や愚痴を共有したかったんだと思う。でも半年くらい経った頃から、自然と会う頻度は減った。それぞれが、新しい環境や人間関係に馴染んだ証拠だった。

 上鳴と最後に会ったのは、一年前、十九歳の三月。
 半年ぶりに会って一緒にライブに行って、ご飯を食べて、帰った。それだけ。




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