Stray mind / p.2

 報告書を終わらせて事務所を出たのは、七時を回った時だった。ちょうど同窓会が始まった頃だろう。上手くバスに乗れたから、三十分くらいの遅刻で済みそうだった。芦戸には連絡を入れておいた。他にも遅れて来る人いるから気にしないで、と返事が来た。
 窓に頭を預けると、ひんやりと気持ちが良かった。バスに間に合うようにと走ったから、少し身体が火照っている。きらきら光る街のネオンや街灯を見つめながら、上鳴に会ったらどんな気持ちになるんだろう、とウチは考えた。
 最近はもはや、惰性で片思いを続けているだけかもしれないと思う時がある。だって、もう一年も会っていないんだから。周りに良い人がいないから、何となく青春の思い出にしがみついているのかもしれない。それならそれで良かった。
 だけどきっと、そうじゃないんだろうというのは、自分で分かっていた。これから同窓会で、自分の気持ちを再確認するのが何だかひどく億劫だった。





 会場の居酒屋に着いて店員に案内された個室の引き戸を開けると、すでに聞こえていた笑い声がいっそう大きくなった。遅れたことを謝る前に、すぐそこに座っていた芦戸がウチに気付いて声を上げた。
「耳郎! お疲れ様ー。久しぶり!」
 靴を脱いで座敷に上がると、芦戸が嬉しそうにウチの手を握った。
「ごめん、遅れて」
「全然オッケーだよ」

 芦戸と手をつなぎ何となく立ったまま、戸の近くにいた仲間と一言二言、言葉を交わす。すると、一番遠くの席で金髪が揺れるのが視界の端に映った。
「耳郎おせーよ!」
 上鳴がいつもの軽い調子で、テーブルの端で声を上げた。芦戸が手を離して、上鳴の方に身を乗り出す。
「良かったねえ、耳郎ちゃんが来て」
 そして再びウチを見た。
「上鳴ずっと、耳郎まだ? 耳郎まだ? って何回もうるさくてさ。さっきなんて、ほんとに来んのとか聞いてくるし」
 にやにやする芦戸に上鳴がむきになって言い返す。
「そんなに言ってねーよ! 二回くらいだろ! 話盛るな!」
 少なくとも二回は言ったんだ、と心の中で苦笑する。
 ウチは上鳴を見て、キモ、と短く笑ってやった。上鳴も笑いながら、ひっでーと言った。ああ本当にこういうとこ、と思う。

 高校の時からそう。ウチだって何の手ごたえもなくコイツに恋心を寄せていた訳ではないのだ。もしかしてウチのこと気になってんの? と勘違いさせるような言動がいくつも数え切れないほどあった。今の発言もそう。上鳴がこうしてウチが遅れていることを気にしてくれていたのは、悔しいけど嬉しくて、でも素直に喜べば肩透かしを食らうことも分かっていた。
 ずっとそう。思わせぶりなことばかりして、ウチがどぎまぎしている間にもう、へらへらとどっかへ行ってしまう。今だってもう、ウチのこと気にしてたなんて忘れたみたいに男同士で馬鹿みたいな話して盛り上がってる。

 こっちが勝手に振り回されているだけで、思わせぶりだなんて感じるのは勘違い。あー痛い痛い。心にブレーキを掛けるこの呪文を繰り返すたび、塞がりかけたかさぶたを剥しているような気持ちになる。
 隣においでと手を振ってくれた葉隠の隣に腰を下ろした。上鳴が座っている場所から一番遠い、端の席。



 注文したジントニックが来て、芦戸がもう一回乾杯しよ! と皆に声を掛けてくれたけど、長テーブルの反対側では男子がやたら盛り上がっていて、というか爆豪が相変わらず何かにキレてて、上鳴や切島が中心となって彼をいじってがやがやしていた。
 声が届かなかったことに芦戸がむくれたのを見てウチは、いいよいいよ、と彼女の肩を押した。梅雨ちゃんと麗日も側に来てくれて、じゃあ女子だけで、と小さく乾杯した。ヤオモモは今日来れないと、事前に本人から聞いていた。ウチらに気づいた緑谷と轟と飯田が、グラスを合わせに来てくれた。

 皆で近況を話して一段落した頃、隣の葉隠がトイレに立った。すると入れ替わりで誰かがそこに座った。
「じろー、おっつー」
 上鳴だった。
「すげえ久しぶりじゃね? あのライブ以来だよな」
 そう言って、持ってきたグラスを目の前で軽く持ち上げる。そうだね、と言って軽くグラスをぶつけた。二人のグラスの中にあるライムが、溶けかけた氷の上で揺れる。同じのだ、と上鳴がちょっと嬉しそうに言った。そして続ける。
「今もベースやってんの?」
「やってるよ。二年目になってから私生活に気を遣う余裕も出てきたし」
「わかる」
「中学の時の仲間とたまに遊びで演奏してるよ」
「いーな、そういうの。俺、卒業してから全然ギター弾いてないんだけどさ、つーかずっと耳郎の借りてたからそもそも持ってねえし、でも何か最近むしょーにやりたくて」
 上鳴がギターを弾く真似をする。
「俺、まだ弾けるかな?」

 高校時代、散々練習した日々を思い出す。一年の文化祭が終わった後も、意外に上鳴は熱心にギターの練習をしていた。できるとどんどん楽しくなる、と目を輝かせてウチの部屋に押しかけて来てたっけ。そんな素直な上鳴の気持ちが、純粋に嬉しかった。上達していく様子を見ているのがウチは好きだったんだ。
「最初は指動かないかもしれないけど、身体で覚えたことはそうそう忘れないから、またすぐできるようになるよ」
「じゃあ今度買っちゃおうかな。でも俺ひとりじゃよく分かんないから、買う時付き合ってよ」
「いーよ」
「やったぜ」
 上鳴が子どもみたいな無邪気な顔をして、ウチは直視できなくて目を逸らしてしまった。
 そこで何となく会話が途切れて、二人とも目の前のグラスに手を伸ばした。

 皆のはしゃいだ話し声がいっしょくたになって、耳に流れ込んできては通り過ぎて行く。最近良い感じの人がいるとか、この間の現場がどうだったとか、くだらない猥談とか。本当は何でも良いからもう少し上鳴と話したいのに、話題が出てこなかった。でもあまり間を空けたくなくて、適当に話し始めようとしたら、上鳴があぐらを崩して片膝を立てた。斜め向かいの方を見て笑っている。
「おーい、峰田」
 上鳴の視線の先には峰田と瀬呂がいた。しょうもないエロい話をしていたのはこの二人だ。
「そーいう話は俺が居るところでしろよな!」
 峰田がニヤッと笑って、お前も好きだな、と言った。
 上鳴がグラスを持って立ち上がる。そして、じゃあまた、と席を移動する。ウチは上鳴の背中に向かって、
「すけべ」
 と一言だけ投げた。





 酒は弱い方ではないと思うけど、何だかすっかり酔ってしまった。原因は、昨日あまり寝ていなかったことや、皆に久しぶりに会えた安堵感、それから上鳴に対する緊張、色んなものが重なったんだと思う。ただひたすら眠くなって、気づいたら船を漕いでいた。芦戸の肩に寄り掛かって、むにゃむにゃしてたのは何となく覚えている。気づいたら座布団を枕にしてまどろんでいた。眠ったのか、それともかろうじてずっと起きていたのかも分からなかった。

 そろそろお開き、という雰囲気を感じた。麗日が酔ったぽやぽやした声で、耳郎ちゃんの寝顔可愛いと言っているのが聞こえた。耳郎がこんな風に無防備なの珍しいな、と何人かがウチを見に来ていたのが音で分かったけど、反応する気にならなかった。
 お金払わなきゃ、と思いつつまどろんでいるのが気持ちよくて身体を起こせずにいたら、上鳴の匂いがした。すぐ近くで顔を覗き込まれているのがわかった。じろー、と小さく呼ばれたけど、なぜか寝たふりをした。何を期待しているんだろう。起こしてもらうとか? 速くなる鼓動がうるさかった。

 上鳴の手が、頭に伸びてきた気がして、心臓がどくんと跳ねた。だけど気のせいだったのか、ちょっと待ってみても何もウチの頭には触れなかった。上鳴の身体が離れる。
「おい、女子誰か起こしてやれよ」
 葉隠と梅雨ちゃんに肩を叩かれ、ようやく上体を起こした。気持ち悪い? と聞かれて、ごめん眠いだけ、と答えた。乱れた髪を手ぐしで整える。
「今日は二次会の計画立てなかったから、まだ飲み足りない人は勝手にやっちゃって!」
 芦戸が酔いで頬を赤くしながら、皆に言っていた。するとその芦戸に上鳴が近づいて肩を叩き、ちょっと声をひそめるようにした。
 ウチは自分の個性を、任務以外で盗み聞きに使わない。そもそもあまりひとの秘密に興味もないし。だけど今は、頭がぼんやりしているせいもあって理性が働かず、二人の会話に耳をすましてしまった。
「耳郎送ってやって。住んでるとこ近いっしょ」
 上鳴が芦戸にそう言っていた。送ってやってなんて、コイツは何の立場でそんな言い方をするのだろう、と一瞬腹が立ったけど、何だか腹を立てるのも馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「良いけど、あたし最近引っ越したんだよね。夜なんだから上鳴が送れば良いでしょ。か弱い女子二人じゃ、夜道しーんぱい」
 芦戸がおどけてみせる。
「そこいらのチンピラより、お前らの方がよっぽどこえーわ」
 上鳴の軽口に、芦戸がグーでアイツの腕をなぐった。二人でケラケラ笑っている。

 まだ何か話していたけど、ここで盗み聞きを止めた。
 ウチはこの片思いを誰にも言っていない。芦戸がああ言ったのはたまたまかもしれないけど、もしかしたら気づかれてるのかな、と少し思った。とりあえず、芦戸が上鳴を押してくれれば良いと思った。
 手持ち無沙汰で鞄からスマホを取り出しいじっていると、畳の上に投げ出した脚が軽く叩かれた。顔を上げると、鞄を肩に斜めに掛けた上鳴が中腰になってウチの顔を覗いていた。
「耳郎さん、帰りますよ」
 心を見透かされたくなくて、叩かないで、とひどくぶっきらぼうな返事をした。




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