しょっぱい味噌汁作りに行く / p.1

「五百円です」

 白い三角巾を頭に被った店員さんが、弁当の入ったビニール袋を俺の前に置いた。アルバイトかな、俺と同い年くらいの若い女の子。
 財布を探って百円玉を一枚、二枚、三枚、四枚……と取り出したものの、あと一枚あると思っていたのが実は五十円玉で、俺は小銭を握ったまま千円札をトレーに置いた。
「すいません」
 もたついたことを軽く謝った声は、マスク越しで少しくぐもる。よく見たらトレーに、「千円札が不足しています、ご協力ください」という紙が貼ってあって、あ、良いことした、なんて思った。
 女の子がレジを打ちながら、キャップを被った俺の顔を覗くようにちらちらと見るから、どうしようかなとほんの少し迷ったけど、結局人差し指でマスクをすっと下げた。

「俺の顔、何かついてます?」
 冗談っぽく言って笑うと、彼女はぱっと目を輝かせて、俺に返すおつりとレシートをぎゅっと握りしめた。
「やっぱり、チャージズマさんだった」
「さんなんていらないっすよ」
「え、もしかして、この近くに住んでるんですか?」
「そーなんすよ。でも、あんまり言わないでもらえると」
「もちろん」
 女の子は手の中でくしゃくしゃになったレシートに気付いて、あ、と手を開いた。笑って手を差し出すと、彼女は頭を下げてレシートに包まれた五百円玉を俺の手のひらに乗せた。弁当を持って行こうとすると、ほっそりした指がそのビニール袋を引き留めた。女の子は、また来てください、と言って、レジ脇にあったインスタント味噌汁の小袋をそっと弁当の袋の中に入れた。


 高校卒業と同時に、関西でプロヒーロー・チャージズマになって約一年半が経った。
 俺は、他県からもばんばん仕事の依頼が来る大手の事務所でサイドキックとして働いていて、ひよっこの頃からあちこち同行させてもらっている。
 雄英高校在学中は週六日の授業に加えてインターンもしていたから、三年間で体力に自信もついたし、アイテムを使いつつ個性のコントロールも上手くなってアホになることも滅多になくなった。事務所からは即戦力だって言ってもらえて、俺は意気揚々とプロの世界に飛び込んだ。

 けど、やっぱり最初はきつかった。思えば今まではずっと、苦手なこともしんどいことも全部、クラスの皆と励まし合いながら乗り切ってきたのだ。いざ雄英の制服を脱ぎ捨てて一人の見習いヒーローになってみると、結構心細いものがあった。特に赤点常習犯だった俺は周りの仲間に助けられていたから、四月五月は全国に散らばった同級生たちを思い浮かべては、柄にもなく感傷に浸ったりしていた。
 だけど、雄英高校卒っていうブランドを背負って入所したからには弱音も言ってられない。毎日訓練に明け暮れた身体を信じて、この一年半やってきた。
 助けた人達からもらえる感謝の言葉や声援がこんなにも力になるなんて知らなかった。それは俺のガソリンとなって、へとへとでも全然へーき、笑顔でいられた。憧れだったヒーローってやつになれてんじゃないのって、ついこの間までは思ってた。



 何かスースーするな、と思ったらマスクを下げっぱなしだったことに気づいた。でも、この帰り道はもう閑静な住宅街を進むのみ。マスクをしているのは別に風邪を引いているわけでもないから、耳から外して適当にズボンのポケットに突っ込む。
 左手首を揺すって腕時計を見ると、もうすぐ九時を回るところだった。思ったより早く帰れて良かった。

 一年目の終わりから俺は、ぽつぽつとメディアに露出するようになった。デビュー前から注目されていた轟や爆豪、緑谷なんかはとっくにテレビに出ていて、目立ちたがり屋な俺はそれを見ながら、いーなぁ、なんてのん気に思ってた。
 だから、初めて依頼が来た時はよっしゃーってガッツポーズした。事務所も更なる宣伝になるからと喜んでたし、俺も面白いからとりあえず、来た仕事は何でも引き受けてた。まあ、俺はどうしてもノリが軽くて余計なこと喋り過ぎるから、いじられキャラって感じで人気もそこそこだったんだけど。

 ところが、二ヶ月前に初めてテレビコマーシャルの仕事をしてから、ちょっと様子が変わった。
 それは炭酸飲料の宣伝で、俺の台詞はたった一言、「シビレテミル?」。その何だか気障なキャッチコピーを、流し目で低く呟くという演出だった。撮影の時にカメラマンから、今までで一番エロ格好良い顔してください、っていうめちゃくちゃ雑な注文を受け、それに応えるのに半日もかかったけど、その甲斐あって映像はかなりクールに仕上がった。

 それが放送されると、あれ、チャージズマって実はイケメンじゃない? って十代、二十代の女の子を中心に話題となって、SNSでCM動画が拡散され、あれよあれよと人気に火が付いた。
 もともとこの顔だってのに、何がきっかけになるかなんて分かんないもんだ。俺のファンは圧倒的に若い女の子が多くなって、街を歩くとしょっちゅう声を掛けられるようになった。色んな可愛いお姉さんと話すのは楽しいし、俺のファンがいるって分かって単純に嬉しかったから、最初はオフの時間でも愛想良く応えていた。

 だけど最近知らない間に、私服でいるところの写真を撮られてSNSに上げられているのを見つけた時に、あ、ちょっと嫌かもって思った。ヒーロー活動中のなら全然良いんだけど。この仕事は人気商売みたいなところがあるから、ある程度仕方ないのは分かってるけど、ぼーっと気を抜いて歩きたい時もあるし、コンビニで何買ってるか見られたくない時もあるし、ゆっくり外で飯を食いたい時もある。
 そういう訳で最近は、ヒーローコスチュームを着ている時以外は帽子を被って、たまにはマスクをしたり眼鏡を掛けたりするようになった。

 でもまあ頭の片隅では、こういうのは一時のブームだからそう長くも続かないだろうって、思ってた。誰でもやりたいからってできることじゃないし、俺のこと見たいって望んでくれてる人がいるならと思って、依頼の来た仕事はほぼ全部こなしている。本業もおろそかにしたくないけど、最近はどうしてもメディアの仕事の方にスポットが当たっているのは明らかだった。
 このままじゃ良くねえよなあ、と内心思いつつも、人って求められるうちが華じゃんって思うと、持ち前のサービス精神が疼くのか、せっかく得た注目を手離すのが勿体ないのか、どっちつかずのふらふらした心のまま、俺は多忙をやり過ごしていた。

 そんな中、最近よく思い出すことがある。高校に入学したての頃に耳郎に言われたことだ。





「あ、充電切れそう」
 隣の席で耳郎がスマホを握りしめ、ぽつりと言った。完全な独り言に対して俺は、ほれ、と手を差し出した。いぶかしげに耳郎が俺を見る。
「何?」
「充電してやるよん。俺の個性、そういう風にも使えんだぜ」
「知ってる。でも、いい」

 耳郎は速攻で断ると、手元のスマホに目を落とした。別にいじらなきゃ帰りまで持つし、とまた独り言っぽく呟いた。
 えーありがとー、で良いじゃん? 可愛くねーのって思った。何だか面白くなくて、俺は出したままの手をぷらぷらと振った。
「遠慮すんなって」
 耳郎が真顔で俺を見た。目つきに凄味があって、俺はちょっと引いた。入学間もなくて、クラスメイトと打ち解けるにはまだ充分な時間がなかった頃だったけど、それでも当時の耳郎の表情はかなり硬かった。びびってたら、抑揚のない声でこう言われた。

「だって上鳴最近、色んな人に充電頼まれてんじゃん。大変じゃない? あんた人が良いから引き受けちゃうんだろうけど、嫌な時はちゃんと断りなよ」
 思いがけない言葉だった。こんなこと言われたの、初めてだった。しかも可愛くねーなんて思ってた耳郎から言われるなんて。なぜか俺は急に気恥ずかしくなって、ちょっと大げさに笑ってた。
「全然嫌じゃねーよ。誰かのためになるって、嬉しーじゃん?」
 おまけに声がちょっとうわずってしまった。耳郎は、ふーん、とすまし顔で俺を見た。それからちょっとだけ、目元を緩めた。
「ほんと、お人よし」

 あれ、耳郎ってこんな顔するんだって、最初に思ったのはこの時。
 それから俺は何度も耳郎の色んな表情を見つけることになって、その度にこう思って、可愛くねーなんて思ってたことはすっかり忘れて、気がついたら好きになっていた。

 今では大切な俺の彼女。長いこと友達でいたけど、高校三年の夏休み明けに耳郎の誘導尋問に引っ掛かって、(いや引っ掛からせて頂いて)付き合い始めた。彼女は今、地元の静岡でプロヒーロー・イヤホン=ジャックとして黙々とヒーロー活動に勤しんでいる。

 俺は別に格好付けて耳郎にああ言った訳じゃなかった。本当に、俺のできることで誰かの役に立てるのなら、結構軽く引き受けてしまう。良いように使われてる、なんて言う時もあるけど、実際のところは別に嫌じゃなかったりする。でも、耳郎がこういう人だから俺、ずっと一緒にいるんだろうなって思ってる。




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