しょっぱい味噌汁作りに行く / p.2

 何だかむしょうに寂しくなって、空を見上げた。この頃ずっと、毎日毎日耳郎に会いたくて仕方なかった。慣れないことばかりで疲れているのかもしれない。思い立った時に電話して、行っても良い? って気軽に聞ける距離だったら良かったのに。そうしたら俺、コンビニで耳郎の好きなアイスでもお菓子でも買って、走って会いに行くのに。

 ただただ暗い夜空が広がっていて、家やマンションがひしめいている帰り道はしーんとしていた。こんな時くらい星出てろよな、と罪のない空に文句を言ったら、ジーパンのポケットに突っ込んでいたスマホが震えた。取り出すと、耳郎からの着信だった。こういうタイミングで電話が来ること、時々ある。
「もしもーし」
「もしもし。今、電話大丈夫?」
「大丈夫。ちょうど帰り道だった」
「そう。何か最近忙しそうだからさ、どうしてるかなって思って」
 やっぱり俺は疲れている。こんな一言でじーんとしてしまっているから。切なさを振り切るようにおどけてみせる。
「ちょうど今、響香ちゃんのこと考えてたんだぜー」
「あんたのインタビュー載ってる雑誌、本屋で見つけたから買ったよ」
 華麗に無視された。まあ、良いけど。

「どれ?」
 最近色んな雑誌のインタビューに答えてるから、ただ雑誌と言われてもどれかよく分からない。耳郎は、二十代の女性向けファッション誌の名前を言った。あ、見られたくないやつだ、とすぐ思った。
 俺のファン層のため、タレント的なインタビューを受ける時はいつも、恋愛の話を振られる。と言っても大抵は、「好きな女性のタイプは?」くらい。
 だけどこういう若い女性向けの雑誌は、恋愛経験ありの前提で話が始まるから、結構根掘り葉掘り質問されたりする。この手のインタビューはその日の気分で適当に答えていて、全然耳郎に当てはまらないじゃんっていうこと言ってたりする。好きな女の子のファッションとか、ぐっとくる仕草とか、彼女と喧嘩したらどうするかとか。

 ガッキガキのロックファッションいーっすよね、照れながら耳たぶについてるコードいじってる女の子ぐっときますね、一時間以内に自分から謝ってぎゅっとしますよ、なんて言えないじゃん。最後のは別に誰がどうって話じゃないけど、言ったら絶対耳郎にぶっとばされるから言えない。
 俺が口先で答えてるって耳郎も分かってると思うんだけど、女の子の髪型はゆるふわなウェーブが好きで、デートにはパステルカラーのワンピース着てきて欲しい、なんて言ってるの読んでも面白くねえよなって思う。
 俺らが付き合ってることは、高校のクラスメイトと身内くらいしか知らない。お互い事務所にも言っていない。雄英出身のプロヒーロー同士がカップルなんて知れたら、変な風に名前だけ売れてしまうんじゃないか。卒業前に耳郎がそう心配していたからだ。今の俺の状況を考えると、本当にやたらと言いふらさなくて良かったと思う。

「本物の何倍も格好良く撮ってもらって良かったね」
 耳郎は雑誌を手元に置いて、めくりながら喋っているみたいだった。ほらこれ、青いカーディガン着てるやつ、なんて言ってる。
「元がいーの」
「はいはい」
 電話越しだから見えないのに、俺は不貞腐れたように唇を突き出した。でも、と思う。
「格好良いって言ってくれるなんて珍しいじゃん」
 表現方法はどうであれ、もしかして初めて言われたかもって浮かれてたら、
「だって、彼女には格好良いって言われたいって、インタビューに書いてあったから」
 と大変無表情な声で言われた。
「おい、感情」
 と突っ込むと耳郎は、あははと笑った。俺をからかう時のいたずらっぽい顔が思い浮かぶ。あーデコピンしてやりてえって思った。やる前に個性で弾かれるだろうけど。住み慣れたベッドタウンを進む足音が、何となく物寂しい気がした。


 別に遠距離恋愛がそこまで嫌ってわけでもない。普段離れている分、会えるとめちゃくちゃ嬉しくて一緒にいる時間を大切にできるから。それに、友達期間が長かった俺らがちゃんと恋人同士の雰囲気になれたのも、なかなか会えないっていう距離のおかげだったと思う。
 でも、近ければ近いに越したことはないなってのが本音。限られた時間だからなるべく楽しく過ごしたいって考える俺は、直接会った時も電話する時も、あんまり弱音や愚痴を言わないように気を付けている。

「今日、俺さあ」
 だけど今日は何だかダメダメだった。疲れてる時に耳郎の声を聞いているとどうしても弱ってしまう。明らかに愚痴りますって声色で切り出したけど、やっぱり止めて違う話しようかなって迷って黙っていると、耳郎が小さく、ん、と言って続きを促した。こういうところがずるい。
「パトロールしてる時にちびっ子から、テレビに出てるチャラい兄ちゃんって言われちゃったんだよね。俺がヒーローって知らなかった」

 今日はメディアの仕事がなくて、一日ヒーロー業に専念できる日だった。もちろん何も起らないことが一番だけど、何があっても俺に任せろって、張り切ってパトロールに出掛けた。
 ところが、開始たった十分で五歳くらいの男の子にそんなことを言われてしまったのだ。

「まあ、顔覚えてもらえるだけで嬉しいし、チャージズマって覚えてねって言えば良いだけの話なんだけどさ。……何かショックで。何でだろ」
 子どもの言うことなのに、何時間経っても気にしてる自分がおかしかった。いや、子どもに言われたから胸に刺さったのかも。お姉さん方に応援してもらえるのは嬉しいけど、やっぱり子ども達に俺のこと見て、「カッケー!」って言ってもらいたかった。ガキの頃の俺がヒーロー見てそう言ってたみたいに。
「早く帰って寝なよ」
 ハスキーボイスが優しげに響く。あぁ、気使ってくれてる、って思った。一番愚痴を言いたくない相手は耳郎なのに、俺は耳郎にしか本当の愚痴が言えない。
「最近、本業よりメディア出てやったことの方ばっか目立つんだよ、俺」
 何とも情けない声が出た。耳郎の言うことが正しい。今日は早く寝た方が良さそうだった。こういう気分って、寝れば大抵リセットされるから。せっかく電話してくれたのにこんなこと言って申し訳ないな、と俺にしては珍しくぐるぐると負のスパイラルに陥りそうになった時、耳郎が言った。

「そろそろ、しょっぱい味噌汁でも作りに行こうかな」
 俺の沈みかけた心がふわっと上昇する。





 お互いプロヒーローになってから、つまり遠距離恋愛を始めてから、四ヶ月ほど経った時に、初めて耳郎が俺の部屋に泊まりに来た。二連休だった耳郎は初日の昼間にこっちに来て、なんと夕飯を作って俺の帰りを待ってくれていたのだった。

 猛暑の中、個性を暴走させた引ったくり犯を追い掛けたせいでぐったり帰宅した俺は、クーラーの冷気と、エプロンを着て出迎えてくれた耳郎のおかげで生き返った。部屋に入ると、ちゃんと栄養バランスを考えつつも、俺の好みも分かってる彩り良いおかずが、狭いテーブルの上に隙間なく並んでた。
 寮生活をしていた時に皆で料理をしたことはあったけど、耳郎が一人で全部作ったものってそういえば食べたことがなかった。ご飯をよそってくれるのを見て、新婚ってこんな感じ? ってめちゃくちゃ感動したのを覚えてる。当時は俺も頑張って自炊していて、それなりに色々作れたけど、ひとが作ってくれるご飯の有難さったらなくて、しかもそれが耳郎だから尚更嬉しくて、一口食べるごとに美味いって言ってた。いちいちうるさい、って耳郎は言ったけど、喜んでいるのは一目瞭然で、俺いま世界で一番幸せって思った。
 味噌汁をすすって、俺は素直な気持ちでこう言った。

「耳郎の作る味噌汁しょっぱくて美味いね」

 俺の実家はなぜか味噌汁だけ味が薄くて、そのせいで子どもの頃からあんまり好きじゃなかった。インスタントの方が美味いって思ってた。でも耳郎が作ってくれたのはちゃんと野菜も入ってんのにしょっぱいから、美味しいって俺思ったんだけど、耳郎はいきなりテンションを下げて、
「ごめん、気を付ける」
 って言った。お椀を手に取って一口飲み、そーかもって呟いた。微妙な反応に俺は慌てて、褒めたんだって言ったけど、やけに耳郎はそれを気にしていた。

 それからというもの、耳郎はこっちに遊びに来ることを、わざわざ「しょっぱい味噌汁作りに行く」と表現するようになったのだ。耳郎は変なとこで根に持つんだな、って思った。可愛いから良いけど。





 ここのところお互いに休みを合わせられなくて、二ヶ月くらい会ってなかった。数字で表わすと二ヶ月って長いなって思うけど、過ぎてる実感としてはあっという間だ。特に俺は環境の変化があり過ぎた。まだしばらくは合わせるどころか、丸一日の休みも取りづらいな、と現実にげんなりしつつ聞いた。

「いつ頃来るの?」
「あんたが良ければ、明日」
 耳郎にしては突拍子もないことを言った。あんなに毎日顔を合わせてた高校時代だって、耳郎は急に誘うってことをあんまりしなかったのに。
「明日? 休みなの?」
「ううん。でも明日は帰り早いの。すぐ新幹線乗れば、たぶん七時前には着けるよ。明日は夜勤じゃない?」
「え、うん、違う。……たぶん今日と同じくらい、かな」
 明日のスケジュールを思い浮かべる。余程のことがなければ帰宅時間は読めそうだった。
「じゃ、行く」
「何、明後日が休みなの?」
 いつになくぐいぐい話を進めてくる耳郎に正直戸惑う。どうしたんだ、珍しい。そんな俺の気持ちをよそに、耳郎はさらっと言った。
「仕事だよ。だから、朝ごはん食べたら帰る」
 何だそれ。思わず腕時計を見て、耳郎の滞在時間を数える。夜の七時に来て、次の日は早くても昼から勤務なんだろうけど、八時くらいには帰るのか……?
「いやいやいやいや、新幹線代もったいねーよ?」
 半日ちょっとしかないじゃん。しかもそのうち半分くらいは睡眠時間だし。まあどれくらい眠るかは俺らのテンション次第だけど。
「別に、もったいなくないよ」
「でもさあ、疲れるぜ、それ」

 口ではそう言いつつ、本当はすげー嬉しかった。だって、たった一晩会うためだけに来てくれるんでしょ?
「新幹線の中で寝てられるし、いーよ。ウチCDとこれくらいしかお金使わないし」
 何てことないじゃんって感じの耳郎の言葉が、じわじわと俺の中に染み込んでいく。そして、本当に明日会えるんだ、っていう実感に変わっていく。心の奥がゆるんで、思わず目元が熱くなった。明日何も起るなよ、どうか平和な一日でありますように、と俺は見えない星に向かってマジで祈った。
「俺、絶対今日より早く帰る」
「よろしく。時間的に手の込んだものは無理だけど、何か夕飯作っとくよ」

 顔からスマホを離して、ずっ、と小さく鼻をすすった。そうしたら、さすが耳郎聞こえたらしい。再びスマホを耳に付けた時に、泣いてんの? って聞かれた。
「泣いてねーよ」
「あ、そ」
「嘘、泣いてる」
 今さら強がることでもないな、と思い直して指で涙をぬぐった。格好悪いけどもう愚痴ったんだから、今日は素直でいよう。耳郎がため息まじりに笑って、疲れてんねえ、って言った。

「確かに最近はメディア活動の方が目立ってるなーってウチも思ってたけど、少なくとも同業者はチャージズマのこと、ただのチャラい兄ちゃんだなんて思ってないよ」
 子どもに言い聞かせるみたいに、少しゆっくりと語りかけてくる。励ましてくれる時、耳郎はこういう話し方をする。クールな見た目に反してもともと耳郎は優しかったけど、プロヒーローになってからの方が穏やかになった気がする。
 潜入捜査や災害救助に行くことが多くて、業務上色んな機密情報を扱って、俺よりもずっと神経使うことしてるのに、いつまでも真っ直ぐな心でいる耳郎の強さが好きだ。少しでも俺の存在がガス抜きになると良いんだけど、っていつも思ってる。現在こんな調子だけど。
「あんたに助けられた人だって沢山いるし、テレビとか雑誌見て喜んでる人がいるのも良いことなんだから、胸張ってやんなよ」
 耳郎の言ってくれたことは、全部自分で分かっていた。分かっていたけど、いまいち自信が持てなかった。でも耳郎の声を通して聴くと、そうだよなって素直に身体の中心に落ちていく。うん、うん、と情けない声で俺は頷いた。

「俺、万年サイドキックで終わらないように頑張る」
 いつか耳郎に言われたことがぽろっと口から出た。電話の向こうで呆れたような笑い声がする。
「そんな、何年前のこと根に持ってんの?」
「根に持ってるっていうか、何か耳郎の言うことって当たりそうじゃん」
 濡れた頬を手の甲で乱暴にぬぐう。耳郎の優しさで胸がいっぱいだった。
「でも俺、もっと実績積んで、金貯めて、経営とかもちゃんと勉強して、近い将来、耳郎のとこ行くから。独立して事務所建てるなら、そっちって俺、決めてるから」
 一息で言うと、そこで言葉に詰まった。

 これはずっと前から考えていたことだった。だけど、まだ誰にも言ったことがなかった。もちろん耳郎にも。
 何で今日、格好悪く泣きながら、しかも電話越しにこんな大事なことを言ってしまったんだろう、と今さら気づく。続く言葉はひとつだけど、今の俺が言うには頼りなさ過ぎる。何も言えることがなくて、だから……、と口ごもったら、あっけらかんと耳郎が言った。

「待ってるなんて言わないよ」
「え、」
「だって、ウチが独立するのが早いかも知れないしぃ?」
 わざとらしく語尾が跳ね上がる。絶対生意気な顔してんだろうなって調子だった。それできっと、耳たぶのコードを指にくるくる巻き付けてんだろうな。
「そしたらあんたのこと、サイドキックとして雇ってやっても良いよ。あ、そうしたら本当に万年サイドキックだね」
 憎たらしい言葉に、このやろ、と呟くと耳郎が笑った。
「俺の方が先だよ! ぜってー先!」
「ま、せいぜい頑張りなよ」

 あの優しかった耳郎ちゃんは一体どこへ。息まく俺とは対照的に、すっかりクールな平常運転に戻ってしまっていた。耳郎の方が格好良くて悔しかったけど、俺は一生この人に頭が上がらないんだろうなって思った。だって、電話する前の気分が嘘みたいに今はすっきりしているから。

 それから少し雑談して電話を切ったら、ちょうどアパートに着いたところだった。
 いつも通り、俺の部屋を見上げると窓は暗い。だけど明日は明るく灯って、俺の帰りを待つ人が中にいる。何かプレゼントでも買って帰ろうかな。いや、それより寄り道しないで早く帰った方が良いか。この頃ずっと、重たい足を引きずるようにして上っていたアパートの階段を、今日は跳ねるように駆け上がった。部屋の鍵を開ける。

 明日はこの玄関のドアを開けたら、廊下の狭いキッチンに立つ耳郎に、大きい声でただいまって言おう。




2019.01.25 pixivへ投稿
2019.08.23 サイト掲載・修正



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