卒業 / p.1

 会話が途切れたところで、さて、と部屋の主の芦戸が手を叩いた。
「そろそろお開きかな」
 その言葉を聞いてふと掛け時計を見ると、八時を回るところだった。あれ、と思う。授業があった頃ならともかく、卒業式すら終わってしまった春休みの今、まだまだ早い時間だろうに。
 麗日が醤油煎餅をかじる、ぱりっという音が鳴った。

 ウチらA組の女子は六時過ぎに早々に夕飯を済ませて、みんなで芦戸の部屋に集まっていた。ほとんどのものがダンボール箱に詰められた、すっかり空っぽに近い部屋の中で輪になって座り、芦戸と麗日が昼間買ってきてくれたお菓子を広げ、どうでも良いような話題ばかりを選んでたくさん話して笑っていた。

「早くない?」
 素直な感想を口にすると、芦戸がニヤッとした。そしてウチの右隣にいる葉隠が、すかさずそんな彼女に肩を寄せる。個性が透明化の葉隠の表情は見えないけど、きっと同じような顔をしているんだろう。
 あー、分かった。これから何を言われるか。
「だって、上鳴が待ってるでしょ?」
 黒いつぶらな瞳で見つめられる。やっぱりな。
「今夜がここで過ごす最後の夜なんだから、二人でどうぞ甘ぁ~い夜を」
 芦戸は合わせた桃色の手を頬の横につけて、首を傾ける。今夜の女子会は、A組女子の中で最初に寮を出るウチのために開いてくれた会だった。
「私、今日は三奈ちゃんのお部屋に泊まろうか!」
 ウチと同じ階に部屋がある葉隠が、やわらかいクッションを抱き締めてはしゃいだ声を上げた。完全な悪ノリである。思わず耳たぶから伸びるコードがふわっと浮く。
「何言ってんの! ウチら高校生だからね!」
 悪気がないのも、ジョークなのも分かるけど、こういう話題でいじられるのは全然慣れない。上鳴と付き合って一年以上経つというのに、いつも今みたいに顔が熱くなって、つい口調が強くなってしまう。子どもみたいな照れ隠ししかできない。
 息を荒く身を乗り出したウチの背中を、左隣に座っている梅雨ちゃんの大きな手がたたいた。

「冗談よ」
「からかってはいけませんわ」
 ヤオモモがちょっと眉を寄せて、プリプリしながら芦戸と葉隠をたしなめる。二人は先生に注意された小学生みたいに、はーい、と肩をすくめた。その様子を煎餅を食べながらのん気に眺めていた麗日が口を開いた。
「耳郎ちゃんと上鳴君、せっかく付き合ってるのに、あんまりデートとかできなかったでしょ。夜だって二人ともよく共有スペースに居たし」
 名前通りののどかな話し方に、沸騰した心が少し和んだ。
「まあ、ね」
 上鳴に丸め込まれて気づいたら付き合い始めてたウチらだけど、雄英高校のヒーロー科にいる以上、普通の高校生カップルみたいなことができるとは最初から期待していなかった。日曜日しか休みがないのに週末もインターンに行くことはよくあったし、休みなら休みで溜まった課題や自主練に勤しまなければ授業に置いて行かれる状況だった。本当にハードな三年間だった。
 ウチからすれば、そもそも彼氏ができたこと自体びっくりだ。よりによって、目の前にいる可愛い女の子達にではなく、女子力のないウチに。未だに他人事みたいに思える時がある。

「みんなに気遣うところもあったと思うんよ。だから、今夜ぐらいは二人でゆっくりお喋りして欲しいなって」
 好きなの持って行って、と麗日はまだ開けていないお菓子の袋を適当にウチにすすめた。ありがと、と言って、その中からポテトチップスを選んだ。
「どーせ、あいつまだ全然部屋片付けてないから、様子でも見てくるよ」
 ウチの言葉にみんなが笑った。いつもそばにあったこの笑い声が揃うことも、もうしばらくないんだなって、今急に実感が湧いた。
「みんな、ありがとう」
 空気で膨れたポテチの袋をぎゅっと両手ではさむ。
「でも別にウチら気遣ってたわけじゃないよ。ウチも上鳴も、みんなといるのが楽しかったからそうしてただけで」
 口先で言ってるんじゃなくて、本当にそう思っている。朝から晩まで賑やかな毎日が大好きだった。
 それに、上鳴との時間もそんなになかったわけじゃない。早起きして一緒に走ったり、放課後に図書室で勉強したり、授業が終わって寮に帰って来てから夕飯までの時間にどちらかの部屋に行ったりして、忙しい時間の隙間を見つけては二人きりで会っていた。

「耳郎ちゃん!」
 唐突に葉隠に抱きつかれ、花のような甘い香りがふわっと鼻先をかすめた。後ろに手を付いて彼女の身体を支える。とっさにポテチを横に避けた自分の反射神経を褒めたい。
「わー、一気に寂しくなってきた!」
 芦戸は大きな瞳をうるうるさせている。その向かいでケロッと梅雨ちゃんが優しく微笑んで、人差し指を下唇に当てる仕草をした。
「お別れが寂しいって思えるのは素敵ね。みんなとお友達になれて本当に嬉しいわ」
「梅雨ちゃん更に泣かせないで!」
 芦戸が叫んだ。雰囲気に呑まれた麗日も顔をくしゃっとゆがめて、今にも泣きそうだ。
「上鳴君と幸せになるんよぉ~」

 すっかりセンチメンタルなみんなを前にして、ウチは逆に何だかおかしかった。それぞれが好き勝手なこと言ってて、それでもまあるくなるこの感じ、好きだなって思った。ヤオモモはいつも通りのクールな顔でいて、でもウチと目が合うと悪戯っぽく笑って見せた。その時に綺麗な黒い瞳が控えめに揺れた気がして、やっぱりちょっと切なくなる。

「そういう幸せの前に、立派なヒーローになるんだから……」
 そう言って、抱きついたままの葉隠の背中をさすった。




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