ビリじゃダメ / p.4

 あんなにテストに張り切る理由を言い渋っていたくせに、その夜上鳴はあっさり白状した。
 みんなが部屋に引き上げた消灯後の共有スペースに呼び出されて、常夜灯だけが照らす薄暗い空間の中で、二人でソファに腰掛けていた。
 上鳴のやりたかったことを聞いたウチは固まってしまった。上鳴は顔を真っ赤にしてうつむいている。共有スペースは何時まで人が居たんだろう。エアコンの温かい空気がぼんやり残っていているだけで、エレベーターを降りた時はちょっと寒いと思ったのに、今はめちゃくちゃ暑かった。というか熱い。

「耳郎に告りたかったんだよね」

 と言われた。それきり呼び出した本人は黙り込んでしまった。ウチも何と言ったら良いか分からず口を閉ざしたまま、いつから、とか、ウチのどこが、とか、色んな言葉が頭の中でぐるぐる回っていた。
 上鳴の心臓の音と呼吸音がよく聞こえる。ウチのプラグがいちいちその音を拾って、コードを通って、身体の中に流れ込んでくる。それに感化されて、ウチも似たような鼓動を刻んで、どんどん緊張してしまう。

 どうしようどうしよう。沈黙が痛過ぎて、膝の上で汗ばむ手をぎゅっと握った。もしかしてウチが何か言うのを待ってるのかな? ウチが返事をする番だったっけ? 自分の記憶が信じられなくてテンパりそうになった時、上鳴が勢いよくこちらを向いた。
「俺、次の期末こそは絶対頑張るから! そん時にちゃんと言うから! それまでに返事考えといて!」
 開き直ったのか、きっぱりとした口調だった。顔は相変わらず情けないくらい真っ赤だけど。上鳴の瞳は、暗い部屋の中でもガラス玉みたいにきらっと光っていた。

 言葉を飲み込んで、ちょっと気が抜けた。何だ今すぐ答えを出さなくて良いのか。確かにちゃんと「好き」とかそういう言葉はまだ言われていない。
 じゃあこいつは今、告白の予告をしたわけか。何だそれ。そんなことってありなのか。生まれて初めてされた告白なのにイレギュラー過ぎて頭が混乱してきた。
「……そ、そんな、中途半端な。そんなんならテスト終わってから言えば良いでしょ!」
「うぇ、怒んなよ……」
 上鳴はスリッパを脱いでソファの上で体育座りをした。パーカーのお腹のポケットに両手を突っ込み、首をすくめる。
 行き場のない思いをどう発散させたら良いか分からなくて、うっかり大きい声が出てしまった。怒りたかったはずじゃないのに、腹の底がムカムカイライラしてくる。しゅんとした上鳴を見て、ごめん、とは思ったけど。

「今日、ガム貰って嬉しくてさー……」
 上鳴は揃えた膝の上に顔を伏せる。いつもより一回り小さくなってしまったみたいだ。二回呼吸をして、そのままの姿勢で言った。
「そしたら、何か、黙ってらんなくなった」
 ちょっと不貞腐れているような口調は照れ隠しなんだろう。健気な様子にうっかりドキッとしてしまった。
 半分ネタで贈ったガムだったのに。
 自分のやったことが相手にどんな風に響くかなんて分かんないもんだな、とどこか冷静に思った。そういえばおまけに、順位なんか気にしなくて良いとも言ってしまった。知らなかったとはいえ、自分で自分への告白のアシストをしてしまったわけだ。めちゃくちゃ恥ずかしい。いや、知らなかったんだからしょうがないんだけど。
 それでも、やっぱり順位にこだわるのは止めないみたいだ。
「何で、ビリじゃダメなの」
「え?」
「何で?」
 今ならウチも聞く権利があるだろうと思って尋ねた。でもこんなことを言ったら、告白をねだっているように聞こえるかもしれない。言ってから気づいたからもう遅いけど、上鳴はそうは受け取らなかったみたいだった。体育座りの膝から顔を上げて、うーん、とか、えー、とかしばらくもごもごしている。たっぷり十秒経ってから、ようやく口を開いた。
「……だってさ、ビリの彼氏とかカッコわりーじゃん」
 顔だけじゃなくて首まで赤く染まってる。そんな珍しく初心な上鳴を、何度も瞬きしながら見つめた。

 何だ、そんな理由だったのか。何だこいつも、一丁前に格好付けたいとかそういうプライドを持っているのか。

 上鳴がウチのせいでこんな表情をして、こんなことを言うなんて、意外以外の何物でもなかった。ていうかだいたい、何でもう彼氏になる前提で喋ってんだって話だ。ほんとにせっかちでアホだな、と思ったら自然と笑いが込み上げてきた。ぴんと張り詰めていた緊張がほどけていくのを身体で感じる。
「わ、笑うんじゃねーよ!」
「うっさい」

 上鳴がアホなのは仕方ないとして、こいつが今言っていることを有り得ないと思うなら、ウチは今ここで一蹴してしまえば良い。だけどそれはせずに笑ってしまっている。さっきまでイライラしてたけど、きっとそれは、三月の上旬までこの宙ぶらりんな気持ちを抱えていなきゃいけないっていう、はっきりしない現状に対するものだったんだと思う。
 つまりウチは、待ってやるつもりみたいだ。自分の気持ちなのに湧いてからその理由を考えている。
 突然目の前に差し出されて向かい合わなきゃいけなくなって、咄嗟に出た感情がこれなら、きっと本音なんだろう。何だか居心地悪いけど、受け入れるしかない感じだ。

「ま、考えといてやるよ」
 ソワソワ落ち着かない耳たぶのコードを指に巻き付ける。胸の中にある気持ちを表に出さないようにしたら、結構そっけない声色になってしまった。そんな自分を可愛くないと思う。だけど上鳴は気にしてないみたいで、へへっと笑った。
「前向きによろしく!」
 おまけに親指なんか立てちゃってる。
 あぁ、もうほんとにこいつはアホ。だけどそんなやつにドキドキさせられてしまったウチも同類なんだろう。

 話は終わった気配がするけど立ち上がるタイミングが分からなくて、座ったままでいた。上鳴が勢いをつけてソファから降り、どこかへ向って歩いて行く。目でその姿を追うと、クリスマスツリーの前で立ち止まった。
「なあ、これもう明日片付けんのかな?」
 すっかり普段の調子に戻ってる。まだ冷めずに火照っている自分の胸が恥ずかしくなった。静かに深呼吸する。
「明日か、まあ明後日には片付けるんじゃない」
 ちゃんと今の上鳴の調子に合わせた、緊張していない声が出せた。そのことに内心ほっとする。
 上鳴は、そっか、と小さくつぶやくとその場にしゃがみ、何かを探し始めた。すぐにツリーの足元から電気コードを見つけ出し、プラグ部分を指でつまむ。と同時にツリーの電飾がパッと灯った。赤や白、黄色といった小さい光が規則的に点滅して、天井や壁や窓に映っている。
 ウチも上鳴の傍に行き、同じようにしゃがんだ。見上げる上鳴の顔の上で、光がピカピカ躍っている。ウチの顔も同じリズムで照らされている。見慣れた横顔が、今は何だか恥ずかしくて、慌てて目を逸らした。

 来年は、あの広場にあったようなクリスマスツリーやイルミネーションを、二人で見に出掛けたりするのかな。それともまた、ガムをプレゼントする羽目になっているのかな。こいつのことならやりかねない。それはそれで面白いからいっか。
「暗いとこだとキレーだな」
 空いた方の手でコードをいじりながら、上鳴が言った。
「うん」
 そうだと思ったから、素直に頷いた。
 去年も今年も何回も見た電飾のはずなのに、いつもより元気よく、めいっぱい光っているように見えた。上鳴の電気を使っているからなんだろうか。もちろんそんなわけはないんだろうけど、今まで見たクリスマスツリーの中で、一番綺麗に見えた。




2019.12.18



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