ビリじゃダメ / p.3

 実技試験も無事に終了し、冬休み初日の夜はクリスマスパーティーで盛り上がった。日程がクリスマス当日じゃなくてイブの夜になったのは、休みと言えども大晦日までの平日は学校の演習場を借りて各自訓練を続けることになっていて、土曜日の夜の方が心置きなく楽しめるからだ。
 テスト期間が終わってもどことなく元気がなかった上鳴も調子が戻ったようで、むしろ今まで静かだった分を取り戻すかのように、うるさいくらいはしゃいでいた。

 そして日曜日。予定通り上鳴とショッピングモールへ出掛けた。お目当てのCDは最初に買いに行って、適当に服とか靴を見た後に、上鳴の希望でマックに入った。お昼には少し早い時間だったけど結構混んでいて、上鳴が目ざとく見つけてくれた窓際のカウンター席に並んで座ることにした。
 大きな窓はモールの外にある広場に面していて、行き交う人の姿がよく見える。広場の中央には首を仰け反らせて見上げなきゃいけないほど大きなクリスマスツリーがあって、あちこちにイルミネーションが飾られている。昼間だけどどこもかしこもピカピカ光っていた。服やアクセサリーのショップ袋を提げ、手を繋いで歩く恋人同士の多いこと多いこと。店内ではクリスマスソングがエンドレスで流れている。

 カップルばっか……、と気づいたら声に出ていた。別に羨ましいとか悔しいとかそういうんじゃなく、ただの感想だ。上鳴がハンバーガーの最後の一口を頬張りながらウチを見る。
「なあなあ、食ったら見に行く?」
 包み紙をくしゃくしゃっと片手で丸めて、上鳴が窓の外のツリーを指す。ウチはまだ半分しか食べてないのに、上鳴はハンバーガーだけは早食いだ。ちゃんと噛んでいるんだろうか。
「え、何であんたと二人でイルミネーション見んの」
 そう言ってバーガーにかぶりつく。こういうテンションは挨拶みたいなもんだ。どうせ引っ張られて行くことになるんだろうな、と思っていたのに意外にも上鳴は簡単に引き下がった。へーい、といじけたように首をすくめると、コーラをストローでズズッとすする。
 そんなに無愛想に響いたかな。ウチはいつもこんな感じだと思うんだけど。上鳴の読めない横顔を見た後、「人多いし……」とフォローするように、食べかけのバーガーに向かって言葉を落とした。
「ま、確かにな」
 ちょっと笑って、上鳴はポテトを口にくわえる。ウチも一本つまんだ。ほんのり温かい。
 やっぱり変なの。人が集まるところこそ、上鳴が面白がって行きたがる場所なのに。
「行きたかったら、行くけど」
 ウチの言葉に、上鳴は素直に首を横に振った。
「いんや、いいって。それより俺、雑貨とか見たいかも。部屋の雰囲気ちょっと変えよっかなーとか思って」
「あれ以上物増やしてどうすんの」
 棚にぎっしり雑貨が並んで、壁にはダーツボードやヘッドホンが掛かっていて、床にバスケットボールが転がっている部屋を思い浮かべて、思わずため息が出た。よくもまあ、あんなにごちゃごちゃと色々集めたもんだ。逆に感心する。
「いーじゃん。結構綺麗にしてるよ? 俺」
 確かに、物は沢山あるけど散らかってはいない。上鳴は大雑把なように見えて、実は几帳面なところもある。だけどあれ以上何が欲しいんだろ……。そこでふと、思い出した。
「そういやさ、テストでビリじゃなかったらやりたかったことって何?」
「えっ!?」
 変なことを聞いたつもりはないのに、上鳴は肩をびくっと震わせてデカい声を出した。全然想像していなかったリアクションに面を食らってしまったけど、続ける。
「教えてよ」
「え、やだ」
「何でよ」
「……何でも」
 変な間を空けて、上鳴はぷいっと顔をそむけた。その様子になおさら好奇心が掻き立てられる。
「ちなみにそれは、まだ続いてんの?」
「へ?」
「次のテストでビリ脱出したら、そのやりたいことやんの?」
「んー……。そのつもり」
「ふーん」
 次の大きなテストは三学期の期末テスト。三月の上旬だからあと二ヶ月以上ある。何か欲しいものがあったなら、在庫がなくなったり旬が過ぎたりしてそうだ。スマホの機種替えとかじゃなさそうだ。

 なんてことを考えながらバーガーを黙々と食べていたら、上鳴がウチの目の前で手のひらを振った。
「おいおい、予想立てんな! ダメ!」
「別にそんなんウチの自由だし」
 ウチもようやくバーガーを食べ終わって、包み紙を適当にたたんだ。紙ナプキンで口を拭う。
「順位が上がんないとダメなんだ?」
 途中から飲むのを忘れていたオレンジジュースをストローで吸うと、氷で薄まった味がした。
「もう何も答えませーん」
 上鳴は子どもみたいに両手を口の前で重ねてみせる。ますますつついてみたくなったけど、これ以上聞いても口は割ってくれない気がした。いつもへらへらしてるのに、こいつは変なところで頑固だったりする。
 教えてくれたって良いじゃん、とどこか面白くない気持ちがした。
 ウチは周りの音を拾いやすい個性を持っているから、ひとの内緒ごとについては人一倍気を配う。自然とそういうことは詮索しない性格になった。
 だけど上鳴にこんな態度を取られると、気になって仕方がない自分がいる。というか、ちょっと突っ込んで聞いてみたら、教えてくれるんじゃないかと思っていた。そういう仲だと思っていた。
 だけどこんな理由で不貞腐れるのも馬鹿馬鹿しいから、子どもみたいな不機嫌はすぐに心の隅に追いやった。
「はいはい。分かったよ」
 それに上鳴の様子が、テストが帰ってきた日のしょんぼりした感じに似ていたから、もうこの話題は止めた。

 それからは本当にツリーは見に行かずに、広い雑貨屋に入った。小瓶に細い棒が差してあるディフューザーが並んでいる棚の前で、真剣にサンプルの匂いを比べて、「嗅ぎ過ぎてよく分かんなくなってきた!」とか言ってるやつはそこに放置して、ウチは一人で回り始めることにする。
 マフラーや耳あてのあったかグッズ、来年の手帳にカレンダー、年賀状、コスメ、健康器具。全部よく見ていたら時間が足りないくらいたくさんのコーナーがある。寮に入ってからは、自分の好きなタイミングでいつでも出掛けられる生活じゃなくなってしまったから、こういうところに来るとずっと居たくなってしまう。
 ゆっくり歩きながら商品のポップを目で拾っていると、ふとあるコーナーが目に入った。ウチはそこで足を止めた。





 私用で外を長くぶらつくのを控えるのは、すっかり身体に染み付いた習慣になっている。ウチらはまだまだ明るい二時半ごろにモールを出て、寮への帰り道を辿った。鞄の中にしっかり仕舞ったCDを思い出せば、帰るのも楽しい。上鳴もさんざん悩んだ挙句ディフューザーを買ったようだ。
 五分ほど歩いた先にあるバス停に着いたら、誰も居なかった。
「あ、バス行ったばっかじゃん。ついてねー!」
 時刻表を指でなぞりながら、上鳴が肩を落とす。雄英高校方面の次のバスは十五分後。文句を言っても待つしかないから、二人で屋根の下にあるベンチに腰掛けた。
 ひゅうっと冬の風が身体の正面にぶつかって、思わず顔をしかめた。歩いていた時はさほど気にならなかった冷たさを、じっとしているとやたらと感じてしまう。寒さを紛らわすように軽く足踏みをした。上鳴も、うー、と無駄に声を出しながらコートのポケットに手を入れて、身体を揺すってる。

 今でいっか、と思ってウチは鞄の中から雑貨屋で買った物を取り出した。サンタクロースやトナカイのパターンがプリントされた、ザ・クリスマスという感じの小さな紙袋。英語でメリークリスマスと書かれた金色の丸いシールが貼ってある。
 ウチはそれを、上鳴の太腿の上にぽいっと置いた。
「はい、これ」
「えっ、何」
「上鳴にあげる」
 寒さをしのぐ動作を止めて、上鳴は目をぱちくりさせながら、自分の太腿とウチの顔を交互に見た。五秒くらいかけて、自分がプレゼントを貰ったのだと理解したみたいだった。ポケットに突っ込んでいた両手をばっと出して、紙袋を手に取る。
「マジ!? えっ、何、くれんの?」
「うん」
「いつ買ったんだよ! さっき? 何で? クリスマスだから?」
「……」
「えー耳郎、マジかよぉ。言えよなー! そしたら俺も何か買ったのに……」
 意味なく手をバタバタさせて、表情をくるくると変えている。何で何でと聞いてくるくせに、ウチが黙っても勝手に喋り続けてたのがおかしかった。
「何かテストのせいで落ち込んでたみたいだから?」
 ちょっと笑って言うと、上鳴は静かになって真っ直ぐウチを見つめた。
「えー、マジかよ」
 透き通った金色の瞳が心なしか揺れている。どうしよう、こいつ泣くのかな。
「やべえ、耳郎が女神に見えてきた……。開けても良い?」
「どーぞ」
 十二月二十五日の朝、枕元のプレゼントを開ける子どもみたいな顔をして、上鳴は紙袋を開けた。カサカサ音を立てながらその口を広げる。

「ん、何だこれ」
 中を覗いてから手を入れる。中身を取り出して確認すると、ぷはっと白い息を吐き出した。それを合図にウチも笑い出してしまった。
「おいー、何だよこれ!」
 上鳴の手の中にあるのは、板ガム。記憶力を維持する効果があるらしいやつ。受験生応援コーナーに売っていたものだ。上鳴は紙袋の中をもう一度覗いた。
「めっちゃガム入ってる! つーかガムしかねえ、ガムばっか! 何個買ってんだよ!」
 全部で十個買った。全部同じ種類なのも面白くないから、二個はストレスを減らすガムにしてやった。ガムだけを買うのに一度に千円以上支払うのは初めてだった。上鳴の期待通りのリアクションを見ながら満足したウチは、呼吸を整えながら口を開いた。
「それラッピングしてくださいって言った時、レジの人に一瞬、え? って顔されて恥ずかったんだからね。上鳴のせいだから」
「俺のせいかよ!」
「そうだよ」
 もうひとつ何かツッコミが入るかと思ったら、上鳴は眉を下げて笑った。
「もー」
 そしてベンチの背に体重を預けて、取り出した二種類のガムをいじる。手の中でくるくる回した後、意外にもちゃんと商品説明の細かい文字を読み始めた。

 ウチも上鳴みたいに後ろにもたれ掛かり、冷たい手をコートのポケットに入れた。
「ま、それ噛んで次のテストに備えなよ。何したいのか知らないけどさ」
 試したことはないからガムの効果は分からない。気休め程度かもしれない。でも、次のテストでまたこいつが落ち込むのは何となく嫌なのだ。その度ウチも気になってしまうし。上鳴のためというよりも、自分のためのプレゼントかも、なんて今思った。
 隣に目をやると、上鳴はウチをじっと見ていた。目が合うと親指を立ててニッと笑う。
「おう、ありがとな!」
 そうそう、あんたはそうやって笑っていれば良いんだ。適当に頷いて満面の笑みから視線を外す。
 ウチもヤオモモの勉強会に出ていたから、上鳴が必死こいて勉強していたことを知っている。だから順位ばっかり気にして、努力自体をないがしろにして欲しくはないな、と思う。
「この間、芦戸が言ってたんだけどね」
「ん?」

 冬休みに入るちょっと前、実技試験も終わった日の夜のこと。葉隠の部屋に女子みんなで集まって、クリスマスパーティー用の飾りつけを作っていた。
 その日、芦戸は全身から浮き浮きとしたオーラが出ていて、梅雨ちゃんが「三奈ちゃん、とっても楽しそうね」と微笑んでいた。
「テストの結果が思ったより良かったんだよね! 皆に比べたらまだまだだけど」
 芦戸は手元の作業を止めて、ニコニコしながら顔を上げた。ちょっと謙遜して見せたけど、嬉しそうなのは一目瞭然だった。
「順位は相変わらず~だけど、前回より全体的に点数が上がったんだ! 何か最近上鳴がやたら気合入れてるから、私も負けちゃいかんと思って張り切っちゃった」

 そんな出来事を、上鳴に話した。
「順位にこだわりたい気持ちも分かるけどさ、自分がどれだけ頑張ったかって方に目を向けてみても良いんじゃない? 出来なかったところが出来るようになったとか、前の自分より成長したとか、そういうのが大事じゃん」
「……うん」
 ボソッと小さい返事が隣から聞こえた。
「そういうことを積み重ねていけば順位だって上がっていくと思うし……。だからただ順位にばっかり固執するのは本末転倒っていうかさ」
 あぁ、どうして上鳴に向かって、こんなに真面目に先生みたいなこと言ってんだか。喋ってて自分で恥ずかしくなってきた。ソワソワしたから足を組んで気持ちをごまかす。
「えー、耳郎めっちゃやさしーじゃん。明日の予報、ドカ雪だっけ?」
 上鳴はにやけながらそう言うと、スマホをコートのポケットから取り出して操作する振りをした。一言余計だアホ。
「うっざ」
 小さくため息をつくと、白い息が浮かんだ。口ではこう言いながらも、上鳴のこの調子を見てちょっとだけほっとしていた。
 いっぱいあるから味見しようぜ、と上鳴はさっそくひとつ開けてしまった。今食べても意味ないじゃん、と思いつつもバスを待つ間二人で苦いガムを噛んでいた。




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