ビリじゃダメ / p.2

 翌日、上鳴は英語の答案用紙を握りしめて震えていた。
「嘘だろ……」
 それなりに手ごたえがあったという上鳴は、プレゼント・マイクに名前を呼ばれると意気揚々と答案を取りに行った。が、貰った途端に表情を失って教壇の横に突っ立ったままである。
 最初は放っておいたプレゼント・マイクだったけど、全員分を返し終わってもまだ上鳴がそこをどかないから、教え子の震える肩に手を置いた。
「ヘイ、解説するぜ! 答案は席で見てくれよな!」
 ハッと我に返ったように、上鳴が顔を勢いよく上げた。
「せ、先生! これ、俺間違ってないっすよね!? 合ってますよね! 何で!?」
 そして自分の答案を指さして必死に訴えかけている。マイクはチョークを掴もうとした手を止めて、上鳴の答案を覗いた。すると眉を下げて憐れむように笑い、何かを上鳴に説明し始めた。それを聞いて上鳴は、がっくりと肩を落として言葉にならない声を漏らす。
 解説がなかなか始まらないのを良いことに、みんな近くの席の人とテストを見せ合って盛り上がっていた。上鳴の情けない声は、ウチじゃなきゃ聞き取れないような小さい音だった。
 上鳴がとぼとぼと席へ戻って来ると、ようやく授業が始まった。すぐに切島が身を乗り出してきて、どうしたんだよ、と小声で尋ねる。ウチも気になっていたから身体を寄せて、会話に入る素振りを見せた。上鳴はしぶしぶといった感じで口を開いた。

 上鳴が抗議していたのは、文法の問題について。それは長文の穴埋め式になっていて、あらかじめ用意されている選択肢の中から正しいものを選んで回答する方式だった。選択肢にはそれぞれa、b、c……と記号が付いていて、空欄になっている括弧の中にその記号を書き込め、という問題文だった。
 だけど上鳴はご丁寧にも、記号ではなく答えの単語をそのまま記入していた。問題文をちゃんと読んでいなかったということで、本来ならば一問につき二点貰えるところを一点に減点されてしまったという。そんなケアレスミスでごっそり十点も引かれていた。
 ウチは無意識に正しく回答していたけど、一応引っ掛け問題だったんだろうか。いや、上鳴がうっかりしているだけか。とにもかくにもまあ、お疲れって感じだ。


 そして授業後のホームルーム。相澤先生から期末テストの順位が発表された。一位から順に呼ばれて、各科目の点数と順位が書かれた紙が配られる。
 上鳴は必死の祈りを捧げたものの、それも虚しく、最後にその紙を受け取った。自分のひとつ前に呼ばれた芦戸と紙を見せ合って、あと五点差だったとか何とか言って騒いでいた。英語の失点は本当に痛かったようだ。
 ホームルームが終わると上鳴は机に突っ伏してしまった。前後の尾白と切島に励まされ、斜め後ろの心操にシャーペンでわき腹をつつかれ、その後ろの瀬呂から通りすがりにドーンマイと言われても、全然動かなかった。日直のウチはその化石の横で日誌を書いていた。

 ガヤガヤとしていた教室が静かになった頃、ようやく上鳴は顔を上げた。机の板に押し付けられていた額が赤くなっている。
「うぉ、みんな帰ってる!」
「当たり前でしょ。何分経ったと思ってんの」
 ウチは書き終わった日誌を閉じた。二学期ももうすぐ終わり。学期ごとに新しくなる日誌はもう、開き癖がついてしまっている。表紙をポンポンと二回叩くと、横を見た。
「あんたさ、何でそんなに順位気にしてんの?」
 上鳴は机に付いていた肘を下ろすと、椅子の背に体重を預けた。ずるずるとお尻を前にずらして、怠そうに凭れ掛かる。
「別に、いーだろ」
「まあ良いけど」
 聞いておいて何だけど、変なことを言っているのはウチの方だ。上に行きたい、一位になりたいという欲は、自分たちの目指す職業には絶対に必要なものだから。
 ウチだってテストは毎回もっと順位を上げたいと思っているし、演習後の講評で誰かが褒められていると、次こそは、と思う。上鳴は目立ちたがり屋ではあるけれど、あんまりガツガツしてるところを見せなかったから不思議な感じだ。二年生になってようやく負けず嫌いになったんだろうか。

 机の中から教科書やノートを取り出して鞄に仕舞っていると、上鳴は、うーん……、と小さく唸った。
「まあ、自分でつくった縛りっつうか……。ビリ脱出したらやりたいことあんだよね」
 ふーん、と気のない返事をしながら、ますます意外だなと思った。思い立ったらすぐ何かやるようなこいつが、わざわざ自分に課題を与えるようなことをするなんて。
 何だろう、やりたいことって。ちょっと考えてみる。スマホを新機種に変えるとか、漫画を全巻大人買いするとか?
 テレビを見ていても雑誌を読んでいても、これ欲しい、あれ見たい、これ美味そう。とにかく何でも即座に反応するやつだから、思いつくことと言えば物欲ばっかりだ。

 でも、頑張った自分にご褒美、というのをやりたい気持ちはよく分かる。ウチは好きなバンドのCDを自分へのクリスマスプレゼントにするつもりだ。今年のクリスマスは日曜日だから、モールの中にあるCDショップに買いに行く予定にしている。ネット通販をしても良かったけど、やっぱり好きなものは自分の手に取って買いたいし、家へ持って帰る間のワクワクする気分も好きだから。
 この買い物には上鳴も付いて来ることになっている。この話をしたら、俺も行きたい! と言ってきたから。日が日だから、「デートじゃん!」と芦戸と葉隠に言われたけど、上鳴と二人で出掛けることはちょこちょこあるから、ウチからすればたまたま今回が十二月二十五日だっただけ、という感じだ。

 上鳴は気を遣わなくて良いし、性格は違うけど話も合う。口には出さないけど、男子の中で一番仲が良いのは上鳴だと思っているし、一緒に居ると楽しい。
 周りもたぶんそれを感じているからか、時々「好きなの?」とか「付き合ってるの?」とか聞いてくる。もちろん付き合っていない。どこまで本気で尋ねられているのかは分からないけど、そういうことを言われると、「そんな風に見えてんだ」と単純に驚いてしまう。どこがどう、そう映っているんだろう、って。上鳴ばかりと一緒に居るわけじゃないのに。
 だけど、「好きなの?」には上手く答えられない。仲が良いんだから、そりゃ好きは好きだ。絶対言わないけど。そうじゃない「好き」を、自分の中でどう見分けたらいいか分からないから、考えないようにしている。

 帰り支度を終えて日誌を持って立ち上がると、上鳴もバタバタと机の中のものを鞄に突っ込んだ。
「待って待って」
 そして先に歩き出したウチの後ろを付いて来る。
 さっきまでの意気消沈した様子も和らいで、今日の昼休みに食堂で物間が爆豪に絡んできた話を始めた。このまま普通に職員室まで一緒に行って寮に帰るのだろう。そんな当たり前なことがほんの少しだけ嬉しい。ウチはただ、その気持ちが胸に湧くまま感じるだけだ。




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