OH MY LOVE / p.1

 大通りから二本外れた静かな道を、耳郎は上鳴と並んで歩いていた。昼間に比べれば涼しいが、さっきまでクーラーがきつく掛かっていた店内に居たからか、夜風はやたらぬるく感じられた。
「なあ、また近いうちに会おうぜ」
 上鳴がのんびりした調子で言う。
「良いよ」
「何する?」
「何って、ご飯食べに行くんじゃないの?」
 今日は上鳴が探してきてくれたカレー屋で夕飯を食べた。香辛料のおかげで代謝が良くなったのか、いつまでも身体がポカポカしていて、額にじっと汗が滲む。
「それもいーけどさ。何か欲しいもんあったら買い物付き合うよ」
「欲しいと思ったらさくっと買っちゃうし。今は特に」
「じゃあ、映画でもカラオケでも、水族館でも遊園地でも」
「え?」
 顔を上げると、上鳴と目が合った。外灯が二人の顔を照らしていて、上鳴も汗をかいているのが見えた。

 高校を卒業して晴れてプロヒーローとなった耳郎と上鳴は、首都圏を活動拠点に選んだ。電車に乗れば一時間以内に会える距離に住んではいるものの、わざわざ誘い合って出掛けたのは上京したばかりの最初の二ヶ月くらい。気が付いたら疎遠になっていた。会おうと思えばいつでも会える距離というのは、もしかしたら一番遠いのかもしれない。
 三ヶ月前に出席した救護関係の研修でバッタリ顔を合わせたのをきっかけに、また連絡を取り合うようになっていた。仕事終わりに食事をするようになって、今日で五回目だった。

「あ、ていうか耳郎も二十歳なったじゃん! その帰りに飲みに行っても良いな」
「何それ。デートみたいじゃん」
 耳郎はつとめて軽く言った。前を向いて、上鳴の方は見なかった。
 二回目に食事に誘われた時に、耳郎は「誰か誘う?」と聞いた。上鳴と久しぶりに顔を合わせて、他の友人たちの近況も知りたいと思ったからだ。東京方面で活動している同級生は他にも何人かいるが、上鳴と同じように会う頻度はだんだん減っていた。
 上鳴も最近は、瀬呂と峰田以外はあまり会ってないと言っていたし、もともとみんなでワイワイ盛り上がることが好きな性格だったから、耳郎は先のことを提案したのだ。上鳴もすぐ乗ってくるだろうと思った。が、珍しく上鳴は渋った。
「えっ。あー……、うーん」
「……」
「えーっと……。そ、そうだな! 誰呼ぶ? 芦戸とか、」
 短期間で二回も誘いが掛かったのは、久しぶりに再会した懐かしさのせいだと耳郎は思っていた。だけどそうではなかったのだと、こうして上鳴がわざわざ連絡してくる理由を、この時耳郎は何となく察したのだった。

 高校三年間ずっと隣の席だったよしみで、上鳴とはクラスの中で特に親しかった。上鳴は、女好きのくせにどこかデリカシーがなくて、チャラついた見た目に反して真面目なところがあって、ひとの良いところを見つけるのが上手で、基本的には能天気でビビりでヘタレで、だけど友達が馬鹿にされた時は本気で怒る、そういう男子だった。
 思春期を近いところでともに過ごした上鳴を、異性としてまったく意識しないというのは無理な話だった。知らない一面を発見したり、落ち込んだ時に励まされたりすると、数日間上鳴のことを何となく目で追ってしまうことがあった。
 だけど耳郎の行動が、それより先に進むことはなかった。「気になる男子」という枠の中に当てはめようにも収まり切らないくらい、耳郎にとって上鳴は色んな意味を持っていたからだ。
 高校三年間はすべて、ヒーローになるための努力に捧げられた。どこを切り取っても女の子らしさからは程遠い、怪我の絶えない汗と埃にまみれた青春だ。
 卒業式の日、涙とともに学び舎へ置いてきたと思っていたやわらかい感情が、上鳴と再会したことで再び胸に湧いてくるのを、耳郎は自覚した。電話の向こうで挙動不審になっている上鳴の言葉を遮って、「やっぱりウチらだけでいいや」と言った。

 高校卒業後も耳郎の日常に浮いた出来事はなかった。ヒーローになるという夢が叶い、忙しく毎日を過ごしているから全く気にしていないが、学生時代のように恋愛不要と思っているわけでもない。あればあったで嬉しい、というのが素直な気持ちだ。
 上鳴が出す微妙なサインを拾って、耳郎も曖昧な言葉を投げ返す。ワンバウンドはさんだキャッチボールをしているようだ。もどかしい、という思いを耳郎は生まれて初めて感じている。

 並んで歩く上鳴の表情を見ようと首を傾けたところで、手を握られた。耳郎は驚いて思わず立ち止まってしまった。だけど上鳴は何もなかったかのようにのんびりと歩き、耳郎の手を引っ張る。耳郎はよろめきつつ、促されるまま半歩後ろを歩いた。上鳴が汗ばんだ手で握り直す。
「そうだよ。俺、デートに誘ってんだもん」
 電柱の明かりが切れかけていて、ジジ、ジジ、と音を立てて、ランダムに点滅している。そこを通り過ぎる時に、上鳴のTシャツの背中を照らした。
「行きたいとこ、考えといて」
 今触れている手にそっとイヤホンジャックを当てたら、上鳴の脈打つ鼓動が聞こえるだろうか。耳郎が意識せずとも、耳たぶのコードが勝手に伸びたり縮んだりして忙しない。だけどそうしたら、うっかり間違えて自分の心音をお見舞いしてしまうかもしれない。使い慣れた個性の扱い方を誤ってしまいそうなくらい、テンパっていた。
「……分かった。考えとく」
 やっとしぼり出した声で返事をすると、上鳴が振り返った。
「よろしく」
 しばらく何となく見つめ合ってしまった。すると唐突に上鳴が、ぎゅっと顔をしかめて変な表情を作った。暗くて彼の顔色はよく見えなかったが、格好付ける自分に耐えきれなくなって照れているのだということは分かった。
「何その顔」
「分かんねえ」
 繋がれたままの手を動かして、耳郎は上鳴の太腿を軽く殴った。その瞬間にそっと握り返す。上鳴はわざとよろけながら、へらへら笑った。
 勝手に手を握ってくるなんてチャラい、と耳郎は思った。だけどそれを言葉にはしなかった。そう言ったせいで手が離れてしまうのが嫌だったからだ。
 十代の頃に少しずつ経験していくようなことを、今ようやく手にしているのだと耳郎は思った。青春の日々をもう一度、上鳴と辿っている気がした。でも高校生の自分だったら、付き合ってもいないのに手を繋がれたらびっくりしてすぐ振り解いたかもしれない。今だから、良かったのだ。

 駅前の大通りに出る前に、どちらともなく手を離した。繋いでいる間は隙間なく喋り続けていたのに、ほどいたらお互い無口になってしまった。駅の改札前でもう一度上鳴から指先を触られ、「おやすみ」と言い合って別れた。
 耳郎は気怠く揺れる電車に身を任せながら、夜の街の景色が流れていくのを見つめた。同じ気持ちなら、大人なら、順番なんてちょっとくらい狂ったっていいやって、そんなことを考えていた。




| NOVEL TOP | p.2 → |