OH MY LOVE / p.2

「手、繋いでみたいかな」

 そう言ったのは麗日だ。
 三ヶ月前から計画していたおかげで、今夜の女子会には元A組女子が全員揃った。カジュアルなイタリアンレストランの個室を予約してくれたのは葉隠だ。前菜や肉料理やパスタをどんどん胃袋に収めながら、お喋りはノンストップで続いていた。
 相変わらず恋バナ好きな芦戸に誘導されるまま、恋愛の話題になる。と言ってもこのメンバーの中で彼氏がいるのは尾白と付き合っている葉隠だけだ。元気いっぱいの惚気話を聞かせてもらった後は、自然と理想や妄想に話が偏ってしまう。

「彼氏ができたら何したい?」というざっくりとした芦戸の問い掛けに、ぼそっと答えたのが麗日だった。さっき葉隠が、長袖以外の服を着ていても尾白は一発でどこに彼女の手があるか分かるというエピソードを披露したから、それに引っ張られているのだろう。
 葉隠の個性は透明化なので、常時顔も身体も髪も見えないのである。冬ならば服の手首のところでおおよその検討はつくだろうが、葉隠が袖のない服を着ていても尾白は手の位置が分かるのだという。「どうして?」と葉隠が聞いたら逆に、「何で?」ときょとんとしていたそうである。

 麗日は両手のひらを自分の方に向けて、そこに目線を落とした。
「私なんて繋いだらうっかり浮かしちゃうかもしれないからさ」
 そして今度は皆に手のひらを見せる。すべての指の先には丸い肉球がついている。五本の指で触れたものを浮かすことができる個性「無重力」。確かにぎゅっと手を握ってうっかり個性を発動させてしまえば、相手の身体がふわふわ宙に浮いてしまうだろう。直接触らなければ良いとは言え、自分の手をパーのままにするのは変だし、手袋をするのは何となく寂しい。
「ま、相手がいないから全然問題ないけどね!」
 アハハ、と麗日は大きく笑って、グレープフルーツジュースを煽った。
「緑谷、今も彼女いないみたいだよ」
 芦戸がニヤニヤしながら麗日に耳打ちすると、彼女は顔を真っ赤にして手に持っていたグラスを浮かしてしまった。高校の時から変わらないワンシーンに、笑いが起こる。麗日がアワアワしているうちに梅雨がそれを回収し、グラスを割るというアクシデントは免れた。
「手が繋げないなら腕を組めば良いのよ」
「さっすが梅雨ちゃん! あったまいい~!」
 芦戸が麗日の腕に自分の腕を絡めて、身体を寄せる。そんな風にじゃれ合ってきゃあきゃあしている二人に葉隠がスマートフォンを向け、楽しそうに写真を撮っていた。あとの三人はその様子を笑いながら見ている。
 まだ成人していない人もいるから、女子会はまだノンアルコールドリンクだけで行われている。全員が二十歳になった時に女子会のお酒を解禁しよう、と約束をしている。だけど素面ですでにこの調子だ。アルコールなんかなくても充分楽しい。

「でもさー、手繋ぐにも腕組むにも、まず彼氏探さないとだねー」
 芦戸がぼやいた。
 耳郎はちょうどローストされた肉を頬張ったところで、ピタッと動きを止めた。口からフォークを抜いてゆっくり咀嚼するが、何を食べているのかよく分からなくなってきた。ちなみに八百万は隣で同じものを食べて、美味しい美味しいと目を輝かせている。
 耳郎は今日ずっと、上鳴とのことを話すかどうか迷っていた。最初に話を振られた時に、「相変わらずフリー」と嘘ではないが、はぐらかすような言い方をしてしまった。もともと自分から恋愛の話をするキャラではなく、友人たちはそれをよく分かっているから、このままではこれ以上深追いされることはないだろう。普段はありがたい気遣いだけど、今日は何だかやきもきする。本当は喋りたいんだと、女子会が始まって一時間経った今、ようやく気が付いた。
 だが、付き合ってもいないのに手を繋いだなんてチャラいだろうか、という思いがストッパーになっていた。自分としては大真面目で、軽い気持ちでそんなことを受け入れたつもりはないが。むしろこれくらい何てことないんだろうか。手を繋いでみたいと言う麗日や恋人がいる葉隠は別として、他のみんなは何もナイナイと言いつつこれくらいはとっくに済ませているんだろうか。頭の中で色んな考えがぐるぐる回って、にぎやかな話し声が遠ざかる。

 耳郎はやっとの思いで肉のかたまりを飲み込んだ。そしてジンジャーエールで喉を潤す。こんな言う言わないで頭を悩ますなんて馬鹿らしい、と思い直した。だって三ヶ月前から待ちに待った楽しい女子会の席なのだ。気になることはさっさと取り除くが吉。
「あのさ、」
 心の中で威勢の良いことを言いながら、口から出た声は情けないくらい弱弱しかった。顔も上げられない。五人の視線が自分に集まるのが気配で分かった。
「ウチ、付き合ってないのに手繋いじゃったんだよね」
 じっとしていられなくて、両耳から下がるプラグをつい手に取ってしまった。先端同士をつつき合わせる。この仕草は、子どもの頃から照れた時にしてしまう癖だ。最近はしなくなっていたのにと、やってしまってから恥ずかしく思った。

「上鳴、と」

 まあ。
 あら。

 八百万と梅雨がすぐ呟いたきり、しばらく静かだった。速くて仕方ない心臓の鼓動を抑えるようにゆっくり呼吸しながら顔を上げると、目をぱちくりさせている友人たちの顔が並んでいた。それはどういうリアクション? 不安になって口を開こうとすると、黙っていた三人が急に、
「えーーー!!!」
 と大声でハモった。
 それからはずっと質問攻めだった。上鳴から食事に誘われていて、他にも誰か誘おうとしたら微妙な態度を取られたこと、五回目で手を繋いだこと、デートに行こうと言われたこと、そしてそれを自分も満更ではないと思っていること、みんなみんな喋ってしまった。今まで我慢していた分、口に出してしまったら止まらなかった。ここに居る全員が上鳴のことをよく知っているから、「これはウチの思っている通りで間違いないよね?」と確認したかったのだ。

 満場一致で、次のデートで告白されるという読みになった。
「上鳴って意外に奥手なんだね」
「響香ちゃんが大事なのよ」
「耳郎さん、良かったですわね」
「上鳴を再評価する!」
「耳郎ちゃんから幸せオーラ出とる!」
 と銘々が好きなことを言っていた。何より、みんなが嬉しそうに話を聞いてくれたことに耳郎はほっとしていた。気を遣ってくれているわけではないのは、長い付き合いだからよく分かった。やっぱり言って良かったと思う。恋愛初心者の自分にはみんなの肯定的な意見が心強かった。すっかり肩の力が抜けて、一番気になっていたことをこぼした。
「でも手繋ぐくらいなら、その時に告っても良くない?」
 耳郎としては、告白するよりもいきなり身体に触れる方がハードルが高いような気がする。自分に自信がなければ出来ないと思うから、そこまでするならまず、言葉ではっきり示してくれれば良いのに、と考えてしまう。浮かれそうになる気分を引きとめるのが、この事実だった。だけど芦戸は耳郎のこの弱気を一蹴した。

「上鳴って臆病なとこあるじゃん。だからとりあえず手握って確かめたんじゃないのかな。耳郎の気持ちを」

 大人っぽい物言いに、耳郎は頬を赤くした。上鳴と手を繋いだ時のことを思い出した。何ひとつ決定的なことを言わなくとも、心がぴったり重なっているとなぜか分かった瞬間があった。自分だけが抱いた妄想だとは到底思えなかった。その直感を信じようと改めて思う。
「もー今、一番楽しい時じゃーん!」
 背中をどんと叩かれた。今が一番? いやきっと、付き合ったって楽しく過ごせるだろう、上鳴となら。そんなことを思った。さすがに言わなかったが。
 二十歳になって訪れた人生初めての春。みんなが喜んでくれて、耳郎はすごく嬉しかった。次回の幹事を引き受けた芦戸が、「進展あったら連絡すること!」と耳郎に念を押した。次の女子会は、耳郎と上鳴が付き合った報告会になるね、なんて話までした。したのに。





 その女子会から二週間が経った日の夜、耳郎はとある駅の近くで上鳴を見掛けた。
 依頼されている調査協力の件で先輩ヒーローと警察署に打ち合わせに行った帰りだった。上鳴とは一緒にカレーを食べに行って以降、予定が合わなくて会えていなかった。上鳴の方がなかなか忙しそうで、こちらが都合を合わせるとは伝えていた。
 仕事帰りなのか休日なのか、私服を着た上鳴は髪の長い女性と親しげな様子で並んで歩いていた。二人は住宅街へ向かって歩いて行く。横断歩道の前で信号待ちをしている間、耳郎は彼らの後ろ姿を目で追った。上鳴の自宅はこの辺りではない。
 さり気なく見ているつもりだったが、隣に居た先輩に勘付かれてしまった。彼女は耳郎の視線の先を認めると、あ、と声を漏らした。
「あの二人、前も見たなあ」
「え?」
 言われて気が付いたが、上鳴と一緒に居る女性は彼と同じ事務所に所属するヒーローだった。コスチューム姿しか見たことがなかったから、すぐにイメージが繋がらなかった。先輩はこの二人をこの辺りで何度か見掛けたことがあるという。
「あぁ、チャージズマって雄英の同級生だっけ?」
「あ、はい」
 先輩は耳郎が彼らを気にした理由を独り合点して頷く。彼女が歩き出して、信号が青に変わったことを知った。耳郎はワンテンポ遅れて付いて行く。
「付き合ってんのかな?」
 興味なさそうに呟いた先輩の言葉が耳郎の頭の中に響く。
「知らないです」
「まあヒーローって、あんまり出会いないしね」
 それからすぐに違う話題に移った彼女の声を聞きながら、耳郎はもう一度後ろを振り返った。二人の後ろ姿はもう見えなかった。




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