ユメウツツ / p.1

 俺は耳郎と学校の廊下に居て、窓の前に立って喋っていた。他の生徒の姿もちらほらあって、たぶん昼休みか放課後なんだと思う。何てことない、まあまあ有り得る光景。だけど違和感のあることが一つ。事もあろうか、俺らは手を繋いでいた。いわゆる恋人繋ぎというやつで、しっかりと。
 話している途中でお互い顔を近づけちゃったりして、何が可笑しいのか俺も耳郎もよく笑っていて、俺はしみじみと込み上げてくる実感を噛み締めていた。
 ――あぁ俺ら、付き合ってんだなって。


 ふっとイメージが途切れて、目が覚める。見慣れた天井をしばらくぼーっと眺めて、あれは夢だったんだと気づいた。
(……何つう夢を見たんだ、俺)
 まだ重たいまぶたをゆっくり閉じたり開けたりして、寝返りをうつ。
 俺は今まで、耳郎と付き合いたいだなんて思ったことは一回もなかった。そもそもぶっちゃけ、異性と意識したことがほとんどない。耳郎もきっとそれは望むところで、俺はそう思える女子と出会ったのが初めてだったから、それがすごく新鮮で気楽で楽しいとすら思っていた。
 それなのに、柔らかく笑っている耳郎の表情とか、手を繋いだ感覚とか、顔を近づけた時のドキドキ感とかがやけにリアルに残っていて、本物の記憶みたいに頭にこびりついて離れなかった。耳郎をそういう目で見んのは全く慣れなくて、何だか悪いことをしている気がしてくる。でも罪悪感を覚える一方で、夢の中の俺はしっかり楽しそうにしていたから、その余韻が身体から抜けなくて変な感じだった。今でも夢の景色を思い出すと胸の中がぽーっと温かくなる……ことに気がついて、慌てて頭を振る。
「違う、夢! 夢!」
 でかい独り言を言いながら、混乱してベッドの上でジタバタした月曜日の朝だった。





「あー、間に合った!」
 鞄をドサッと自分の席に置いて、俺は椅子に座り込んだ。あと二分で始業のチャイムが鳴るところだった。寮から学校の玄関までは走ったけど、廊下は走ると怒られるから校内では全力で歩いて、それが逆に疲れた。安心して息を吐くと、隣の席から笑っている声がする。
「何、寝坊したの?」
 スマホをいじる手を止めて耳郎が俺の方を見ていた。
 目が合ったその瞬間、夢の残像が頭に過る。目の前の耳郎と穏やかに笑った夢の耳郎が重なる。それで俺は、思わず視線を逸らしてしまった。不自然にならないように、すぐに鞄を開けて教科書を机に仕舞う仕草を始める。
「ま、まあな」
「アラーム掛け忘れたとか?」
「いや、そうじゃねえんだけど。何か気づいたら二度寝してて」
「あーあ、月曜からやっちゃったね」
「最近さみぃから寝んの気持ち良いんだよな」
「それは分かるわ」
 教科書とノートを全部机の中に入れ、鞄を机の横に掛ける。ごく普通の会話を続けられたことにほっとするくらい、内心は緊張しまくりだった。うるさい音を立てる心臓に、(だからあれは夢だっつうの!)と何度も言い聞かせる。
 手持ち無沙汰になってしまって、どうしようかと思った時、耳郎が「あ」と言った。つられて俺はうつむいていた顔を上げる。
「寝癖ついてるよ」
 耳郎が俺の頭を指差していた。
「えっ、どこ?」
「後ろんとこ」
 ベッドの上で夢を振り払うのに必死で、ゴロゴロしていたら時間を忘れてしまい、今朝は支度をするのに全然余裕がなかった。とりあえず朝飯を食べることを最優先にしたから、身だしなみにほとんど時間を割けなくて、髪はかなり適当に整えてきたのだった。
 手で後頭部を触ってみるけど、よく分からない。耳郎も「違う」とか「もっと下」とか言っている。手が寝癖の部分に辿り着かなくてもたもたしていたら、耳郎が不意に腰を浮かせた。こっちに身を乗り出してきて、手が俺の頭に伸びてくる。

 本当に無自覚で反射の行動だったんだけど、耳郎の手が近づいてきた瞬間、俺は顔を思い切り後ろに引いてしまっていた。中途半端に止まった耳郎の手と、ぽかんとした顔を見て、自分のしたことに気づいた。
 俺らの間に沈黙が生まれる。先に動いたのは耳郎だった。
「あ、……何か、ごめん」
 平坦な声でそう言い、耳郎は手を引っ込める。そして何てことない顔をして椅子に座った。耳郎の表情はあまり変わっていないけど、それはかえって戸惑っているからだと俺には分かった。本当はめちゃくちゃ気にしているからこそ気にしていない風を装う。耳郎のそういうところは、今までの付き合いで分かっているつもりだ。
 俺は相当感じの悪いことをしてしまった。耳郎に髪を触られるなんて、別に嫌でも何でもないのに。
「わ、わりぃ! 何かちょっとびっくりしたっつうか……あ、てか、どこ寝癖! 教えて教えて!」
 やばいと思って今度は逆に俺の方が身を乗り出して、耳郎に頭を差し出した。……けど、その時ちょうど相澤先生が教室に入ってきて、俺らの会話はそこでうやむやになってしまった。


 あんな夢を見たのは俺の勝手。だからそれでソワソワしているとしても、耳郎まで巻き込むのは普通に駄目だ。二限目までの授業内容を頭に入れなかった代わりに、俺はようやく落ち着いてそう考えることができるようになった。
 授業の合間の休み時間、耳郎はヤオモモと喋っていたから、俺らはまだあれっきり口をきいていなかった。でも今の授業が終わったら、俺から話しかけようと思っている。話題は何でも良い、むしろどうでも良いような話が良いだろう。他愛のない話をして、ちょっといじっちゃったりなんかして、それで耳郎からツッコミでも入れてもらって、さっきの気まずいイメージを綺麗さっぱり拭い去る作戦だ。最悪イヤホンジャックの攻撃が来たとしても、今回ばかりは無抵抗で受け入れよう。

 教科書を読んでいるふりをして、俺はちらっと左隣に視線をやった。耳郎はノートに視線を落として、じっと考え込んでいる。エクトプラズム先生が黒板に書いたちんぷんかんぷんな数式とにらめっこしている。
 書きかけた答えを消したり、首を傾げたり、唇の下をシャーペンのキャップの方でつついたりしていて、かなり集中しているのが見て分かった。耳たぶのコードがくるくる動いて、プラグがふらふらしている。その動きは無意識なのか何なのか、見ているのは面白かった。いつも不思議なんだけど、これってどうやって動かしてるんだろ。俺には絶対分からない感覚だ。
 まぶたの縁に揃ったまつ毛が上を向いているのが見える。あ、耳郎って意外にまつ毛が長いんだな。メイクしたら結構映えるんじゃねえかなー……ってとこで思考がピタッと止まった。何考えてんだ俺。耳郎を観察していたことに今さら気がついて、俺は慌てて目を逸らした。
(あー、やっぱ駄目だな……)
 結局こんな感じで調子が狂ったまま、耳郎とろくに会話もできず、七限まで終わってしまったのだった。




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