シュガーコート / p.1

 買ってしまったのは、たまたま目に付いたからだ。
 今日のインターンの帰り、駅ナカの洋菓子屋の前を通りかかった時に、綺麗にラッピングされたチョコレートが並んでいる一角を見つけた。
 終わったのにまだあるんだ。そう思ってウチは足を止めた。バレンタインデーは昨日だったから、逆に目立って見えたんだと思う。
 ウチの頭の中には自然と上鳴が思い浮かんでいた。あいつは毎年この時期になるとチョコが欲しいってわめいているから。教室で席が隣だから嫌でも耳に入ってくる。上鳴はウチと違って昨日は学校にいたはずだけど、今年はどうだったんだろう。誰かから貰えたんだろうか。

 電車が来るまではまだ時間があって、同じインターン先から一緒に帰っている障子はコンビニに寄っていた。でも飲み物を買ってくるだけだから、たぶんもうすぐ戻って来る。そう思った時、気づいたらウチはもう、一番小さな箱を手に取ってレジに向かっていた。
 どうせ今年も欲しい欲しいって言ってたんだろうし、美味しそうだからウチも食べてみたいし、何かお返し貰えるかもしれないし。そんなことを考えながらお金を払い、別にやましいことなんか何もないけど、すぐにリュックの中に仕舞った。

 そのチョコは今、自分の勉強机の上に乗っている。買ってきたのは良いものの、いつ渡すべきか迷っていた。寮に帰って改めて眺めてみたら、箱も紙袋も可愛過ぎる気がしてきて、どこからどう見てもウチから上鳴にあげる代物ではないのだ。本命チョコと間違われそうなくらいラッピングがちゃんとしている。
 しばらくそれとにらめっこした後、ウチは手ぶらで共有スペースに向かうことにした。

 エレベーターを降りると、さっそく談笑している声が向こうの方から聞こえてきた。その中に上鳴の声があったから、ウチの計画はあっさり失敗してしまった。
 今もし上鳴がここにいなかったら、たぶん自分の部屋にいるだろうから、呼び出してさっさと渡してしまおうかと思ったのに。
(……まあ良いや、明日で)
 当日に渡せていないんだからもう、遅れるのが一日だろうが二日だろうが大差ないだろう。
 そのまま共有スペースに顔を出さずに引き返そうとしたけど、やたら会話が盛り上がっているのが気になって、思わず立ち止まってしまった。

「あー俺も、食い切れねえから貰ってくれって言ってみてえ。このチョコうま」
「まあ轟にあげた女の子には、絶対知られたら駄目だわな」
「消費期限が近いもんは俺一人で食えねえ。捨てるのも悪いし」
「轟くらい貰ってたらしょうがないよね」
 声を聞く限り、上鳴の他に瀬呂と轟、それから尾白がいるようだった。
「てか尾白、お前だって呼び出されてガチっぽいチョコ貰ってたじゃんかよ!」
「何それ、俺知らねえ」
「が、ガチって、別に。ただチョコ渡されただけだよ」
「そんなん嘘だろ! 裏切者!」
「本当だって。……頑張ってくださいって、それだけ」
「逆に何だよその純真な感じ! やべえ」
「てか上鳴、お前食い過ぎ」
「いや、有り難え」
 どうやら、昨日轟が貰ったチョコレートを男子で分け合って食べているようだった。
「瀬呂だって二年の子から貰ってたしさ、ずりーよお前らばっか!」
「お前も貰ってたじゃん。ブラッ○サンダーとチ○ルチョコ」
「確かに貰ったけど! どう見ても義理じゃん! ないよりマシだけど!」

 今年も期待した成果は得られなかったらしい。高校生活最後のバレンタインだったのに可哀想なやつ。と思いつつも、良いことを聞けた。ウチがわざわざ箱入りのチョコレートを買ってきた意味もあったのかもしれない。
「あー、マジで羨ましい。俺マジで何もなかった……」
 ため息交じりに上鳴がぼやく。その後、数秒だけ妙な間があった。

 ――お前はあれだろ。なあ。
 ――うん。

 そして急に声の音量を落として、瀬呂と尾白がそう言う。何だか含みのある言い方だけど、当の本人は二人の意図するところが分かっていないようだった。
 ウチはイヤホンジャックに神経を集中させていることに今気がついた。ここから共有スペースまでは距離があって、皆の姿ももちろん見えていないから、普通にしていたら小声までこんなにちゃんと聞こえるはずがないのだ。いつから個性を使っていたんだろう。

 今この寮にいる女子はウチだけだった。他の皆はインターンに行っていて不在だ。ウチはウチで夕飯を食べてお風呂から上がった後、共有スペースにいた男子たちにおやすみと言って部屋に引き上げたから、たぶんウチがもう来ることはないと思われているんだろう。会話の雰囲気から、男子しかいない気軽さみたいなものを感じていた。だからこれは特に、ウチが聞いたら駄目な会話だ。
 罪悪感を覚えて、勝手に動く耳たぶのコードに指を絡ませた。そしてエレベーターの方を振り返ろうとした、その時だった。

「耳郎と付き合ってると思われてんだろ」
 瀬呂の言葉が、嫌にはっきりと耳に飛び込んできた。
 ドクン、と心臓の鼓動が大きく跳ねる。
 いきなり自分の名前が出てきたのに、気にしないで部屋に戻るなんてことはできなかった。踏み出しかけた足がピタッと止まる。「……は、え? うぇ? えぇ!?」と、上鳴が言葉にならない素っ頓狂な声を上げているのが聞こえた。
「実際どうなの」
「どうって、え、何もねえよ?」
「よく二人で部屋行き来してんじゃん」
 変に心臓がドクドクと鳴って、全然鎮まる気配がなかった。
 上鳴とお互いの部屋を行き来しているのは、別に周りに隠してはいないけど、わざわざ言いふらすようなこともしていない。「よく」と言われほどの頻度だと自分では思っていなかったけど、意外に周りからは見られているんだなと分かると何だか落ち着かなかった。部屋に二人きりと言っても、上鳴にギターを教えたり、漫画を貸し借りたり、一緒に宿題をしたり、駄弁ったり、他愛のないことしかしていない。
 学校でだって、いつも一緒にいるわけではない。自販機に飲み物を買いに行ったり、ヤオモモがインターンでいない時に一緒に食堂でお昼ご飯を食べたり、タイミングが合えば二人で寮まで帰ったり、その程度だ。だから他のクラスの人からだって、勘違いされるようなことはしていないと思う。

「行き来はしてっけど、別に。だって俺、耳郎のこと女子として見てねえもん」
「お前、言い方」
「え、……あ、いやいやいや! 馬鹿にしてるとかじゃねえよ!? 別に耳郎に限ったことじゃなくて他の女子もだけど、何かもう仲間っつうか、戦友って感じじゃん。だからそもそも、そういう次元じゃないっつうか」
「あー、確かに。そういうのあるよね」
「分かるかも」
「だいたい耳郎だって、俺から女子として扱われたら嫌だと思うぜ。キモイとか言われそう」
「あ、おーい轟、起きってっか?」
「……お? 朝か?」
「ちげぇよ。いつから寝てたんだよ」
 ポヤポヤした轟をいじって笑っている声を背に、今度こそウチは引き返した。当然女子棟のエレベーターは一階に下りたままで、ボタンを押すとすぐに扉が開いた。

 チョコレートを渡す前で良かった。
 壁に寄り掛かりながらウチはそう思っていた。
 上鳴の言いたいことは分かっていた。たぶんちゃんと、上鳴の意図する通りに理解できている。きっとあいつなりにウチのことを尊重しようとしてくれている。だからあの言葉は、一緒にヒーローを目指している身として喜ぶべきものなんだろう。それは頭で分かっていた。
 なのにどうしても、そんな気分にはなれなかった。「だって俺、耳郎のこと女子として見てねえもん」がずっと、頭の中でぐるぐるしている。

 どういう気持ちでチョコレートを買ったのかを、今、唐突に思い知らされていた。ウチは確かに傷ついてしまっていた。ショックだった。思いがけず聞いてしまった上鳴の本音になのか、それとも、泣きそうなくらい動揺してしまっている自分になのか。自分のことなのに分からない。分からないけれど、一つだけ気づいてしまったことがある。
 ウチは、上鳴のことが好きだったんだ。




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