シュガーコート / p.2

 久しぶりに見る駿河湾は、真っ青に晴れた空の色を綺麗に映していた。太陽の光を反射した銀色の波がゆらゆらと揺れている。
 助手席の窓からじっと海を見ていると、「もう夏みたいだな」と運転席の障子がつぶやいた。まだゴールデンウィークが終わったばかりだというのに日射しは熱く、じりじりと肌を焼くようだ。車のエアコンも頑張って冷たい空気を吐き出している。
「皆、元気だった?」
 窓から視線を離し、そう聞いた。ちょうど赤信号で停止したところで、ウインカーの音がカチカチ鳴っている。
 障子はウチにとって高校生活を共にした仲間であり、同じくギャングオルカ事務所に所属するサイドキック同士でもある。そういうわけで共通の知り合いや友達が結構いるから、ウチらの間で言う「皆」には色んなパターンがある。だけど詳しく言わなくても、障子はすぐに分かったらしかった。
「あぁ、相変わらずだ。元気だったぞ」
 マスクで口元が隠れているけど、表情がふっと緩んだことは声色で感じられた。
「良かった。ウチも行きたかったな。今回十人以上集まったんでしょ?」
「そうだな、十二人だったか」
 今年の三月にA組の同窓会があった。ずいぶん前から計画が立っていたから、ウチももちろん参加するつもりで休暇を取っていたけど、急な任務が入って行けなかったのだ。

 ギャングオルカ事務所に入所して一年が経った後、ウチは東北にあるヒーロー事務所に出向に行っていた。その事務所はもともとギャングオルカのサイドキックだったヒーローが独立して設立したもので、普段から協力して任務にあたることが時々あった。勉強になるぞとシャチョーに送り出されて、もう二年になる。契約期間は残りあと一年だ。
 チームアップの内容によっては毎週のようにこっちに来る時もあるけれど、今年は二月に訪れたきりだった。障子と会うのもその時ぶり。
 今回静岡に来ているのはチームアップがあるからではなく、取り損ねた冬休みの代わりに一週間の休暇を貰ったからだった。先週障子に用事があって電話をしていた時に、帰省するついでに事務所に顔出すよと言ったら、事務所の車で駅まで迎えに来てくれた。たまたま外出する機会があったらしく、有り難く甘えることにして、今に至る。

 信号が青になり、対向車を見送ってから右折する。
「上鳴が会いたがっていたぞ」
 流れる景色を眺めながら、そろそろ事務所に着くなと思った時だった。障子の言葉に、視線を運転席にやる。
「同窓会の時、耳郎が急に来れなくなったと知って残念がっていた」
 だけどすぐに、自分の膝の辺りに目を落とした。太腿の上で緩く組み合わせた両手の指先を何となく眺める。
「そう。……元気だった?」
「あぁ。あいつは特に変わらないな」
 会った時のことを思い出しているのか、障子の調子が穏やかになる。今もあの賑やかなままなのかと思ったら、ウチも自然と笑っていた。

 上鳴とは、出向に行ってからもう会っていなかった。卒業してから一年の間は結構頻繁に会っていて楽しかったけど、それと同時にしんどくもある期間だった。あの高三の冬の日に自覚してしまった思いはいつまでも萎むことなく、それどころか会う度に自分の気持ちを突き付けられるようで、正直疲れていた。だけど一緒にいて楽しいのも本当だから、会わないという選択肢も取れないというどうしようもない状況だった。
 だから出向の打診があった時は、助かったと思った。二つ返事で了承し、さっさと手続きを進めた。仙台に引っ越してからは、意図的にチャージズマの情報を追いかけないようにし、自分から連絡することも止めた。この気持ちが消えてくれないのなら、せめて見えないようにと、硬い殻をつくって覆うことにしたのだ。最初は上鳴発信で連絡を取り合うこともあったけど、今はそれもない。

「……ない」
「えっ?」
 ぼーっとしていて、障子が言ったことがよく耳に入っていなかった。というか何となく聞こえていたけど、聞き違いかと思ったから聞き返したのが正しい。だけどやっぱり合っていた。
 障子は遠慮がちに、「すまない」と謝った。
「え、何。どしたの?」
 今までの流れからして謝るポイントなんて全然ないし、そもそも障子から謝られるようなことをされたことは今までもなかった。ちょっと気まずそうにしている横顔をぽかんと見つめていると、続けた。
「……耳郎が時々こっちに戻って来ていることを、上鳴に言ってしまった」
「え、」
「耳郎と二月に会った話をしたら、驚かれてな。俺は何も知らなかったから、耳郎が静岡に来るのは珍しくないと言ってしまったんだが……、全然連絡を取っていなかったんだな。事情があってそうしていたなら、本当にすまなかった」

 出向に行く前に上鳴からは、帰って来ることがあれば連絡しろよ、と言われていた。メッセージでも何度かそういう言葉を貰った。静岡に来る度に罪悪感がなかったわけじゃないけど、やっぱりウチは上鳴に言わなかった。
 正直、バレたかとばつが悪い思いがしている。だけどそれは今、これまでのツケが回ってきただけのこと。障子が言わなくてもいつかどこかで知られることだろうし、全くをもって障子は悪くない。
 障子がどうしてウチを迎えに来てくれたのか、今その理由が分かった気がした。このことをきっと言いたかったんだ。三月の同窓会があってから約二ヶ月、連絡を取り合うこともあったのに、障子は全くこの話題には触れてこなかった。つまりは、かなり気にしていたんだろう。ウチのこんなワガママのせいで気に病んでいたのなら、本当に申し訳ない。

「むしろ、ごめん。気にしなくて良いよ全然。ていうか今日、上鳴に連絡するつもりだったから。もともと」
「そうか」
 障子の声が明らかにほっとしていた。それで申し訳なくなって、ウチはもう一度謝った。
 話がひと段落した時に、ちょうど事務所に着いた。買ってきたお土産を持って車を降りる。
 きっと大丈夫だろう、とウチは思っていた。さっき、障子が最初に上鳴の話題を振った時に、自然とわだかまりなく笑うことができたから。
 そして障子に言ったことは本当だ。気まずい思いをしているだろう障子に安心して欲しくて適当なことを言ったわけではない。本当に今回は、上鳴と会うつもりでいる。自分の気持ちを確かめるために。




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