シュガーコート / p.3

「つーかお前さあ、マジで急過ぎんだよ。もっと早く連絡寄越せっての」
 水族館行きのバスに乗り込み、一番後ろの座席に二人で並んで座るや否や、上鳴は声のボリュームをしぼりつつそう言った。
 言葉の内容自体は文句だけど、上鳴はどこか面白がっているところもあるようで、声の調子は弾んでいる。最後に会った時から変わらない話し方に懐かしさを覚えて、ふっと気が緩むのを身体中で感じていた。
「でも空いてたんだから良いじゃん」
「た・ま・た・ま・な。いつもこうじゃねえぞ」
「え、違うの?」
「違ぇよ。ひとを暇人みたいに言うな」
 そして、もー、と言いながら上鳴は座席の背もたれに体重を預け、笑った。
 ここが始発のバスは、出発まであと三分くらい時間がある。ウチらの他には、ずっと楽しそうにお喋りしている中年女性の二人組と、眠ろうと背中を丸めている若い男の子だけがいた。出勤ラッシュも過ぎた平日午前中のバスはがらんとしている。

 一昨日ギャングオルカ事務所に顔を出してから家に帰った後、上鳴に連絡をした。いきなり電話を掛けたのに上鳴は意外にもすぐに出た。びっくりしている様子で、ウチが会えないかと尋ねたらもっと驚いていた。
 ちなみに今もう静岡に帰って来ていて、会うなら今日から一週間以内しかないことを伝えると、今度は「は、マジかよ!?」と素っ頓狂な声を上げて笑った。そしてちょうど二日後に上鳴も休みだから、その日に遊ぼうということになった。上鳴は、今まで音信不通だったことについては何も聞かず、すぐに了解してくれた。
 通話を切った後のスマホの画面を見れば、通話時間はたったの三分ちょっとだった。拍子抜けするくらいあっけない、二年ぶりのコンタクトだった。

「なあ、これ買った?」
 上鳴が鞄からイヤホンを取り出し、スマホに刺した。そして画面をこちらに向ける。表示されている画像は見知ったものだった。今年の一月に発売された、ウチの好きなバンドのオリジナルアルバムのジャケット写真。高校生の時に上鳴からおすすめのバンドを聞かれて、教えた内の一つだった。
「普段はサブスクで聞いてっけど、これはCDも買っちゃったよね」
「ウチも」
「買った?」
「買ったに決まってんでしょ」
 そんなの愚問だと言わんばかりに食い気味で返事をすれば、上鳴は嬉しそうに片方のイヤホンを差し出してくる。
「全部良いけどさ、俺特にこれが好きなんだよな」
 耳に入れたイヤホンから軽快なギターサウンドが流れてくる。
 そういえばこのアルバムを初めて聞いた時、この曲は上鳴が気に入りそうだなと思ったんだった。忘れていた些細な記憶がよみがえる。

 あんたが好きそうだと思ってた。そう言おうとして、やっぱり止めた。もう片方のイヤホンがいつの間にか上鳴の耳に繋がっていて、それを見たら言葉が出てこなかったのだ。
 こういうかたちで一緒に音楽を聴くことは高校時代からたびたびあった。意識しないようにしていたけど、その度に胸をくすぐっていたのは、今思えば確かにときめきだった。
 困ったことに、当時と同じ気持ちが今、胸の中に湧いている。硬くつくったはずの殻は簡単にひび割れて、その隙間から甘い痛みがゆっくりと流れ出す。
 やっぱりか、というのが率直な感想だった。もう上鳴と会っても大丈夫かもしれないと思う心の裏側で、そんな自分を信じ切れていない部分もあったから、動じたりはしない。でもまだ落ち合ってから十分くらいしか経っていないのに、思い知らされるのが早過ぎるなとは思ったけど。
 運転手が平坦な声でアナウンスする。プシューと音を立ててドアが閉まり、バスはようやく、億劫そうに走り出した。



 水族館に行くことに決めたのは、ギャングオルカからチケットを貰ったからという、ただそれだけの理由だった。その界隈に知り合いが多いギャングオルカは、よく水族館のチケットを持っていて、時々くれるのだ。今回チケットを貰った水族館は、ウチにとっては地元だから子どもの頃から何度も訪れたことがある。だけど上鳴は初めてだったらしく、想像以上に楽しんでくれていた。
 順路通りに進みつつ、イベントが始まったらそっちを見に行くということを繰り返して、途中で館内のレストランでお昼を食べたりしていたら、何だかんだかなり時間が経った。イルカショーにアシカショー、ペンギンの散歩。イルカショーに至っては二回も見た(最前列に座って水かぶりたいと言われたのは全力で拒否した)。

 全部回り終わって、最後に売店に入った。
 タンブラーを手に取って見ていたら、さっきまで一人でチンアナゴの抱き枕と見つめ合っていた上鳴が隣に来た。
「お、何それ」
「タンブラー。こういうの欲しかったから、買おうかなって思って」
 ステンレスのタンブラーにシンプルなペンギンのイラストがプリントされている。他にも絵柄違いが三種類くらいあって、どれも可愛過ぎなくて使いやすそうだった。
「へー、良いじゃん。俺も買っちゃおうかな」
 上鳴が身体を屈めて棚の中を覗く。
「何であんたまで」
「せっかく来たから、何か買って帰りたかったんだよ。あ、チンアナゴだ」
 水槽を見て回っていた時もじっと見ていたし、どうやらチンアナゴがかなり気に入ったらしい。上鳴も一つタンブラーを手に取った。
「……お揃いみたいじゃん」
「確かに。良いじゃんお揃い。一緒に来た記念だな」
 そう言って笑いながら、イルカとアザラシもあるぞと無邪気にウチに勧めてくる。

 上鳴は、他の女の子にもこういうことを言ったりしているんだろうか。これまで数えきれないくらい思い浮かべたこの問いは、いつまでも答えが分からないまま胸の中でくすぶっている。
 高校入学当初はチャラい男子というイメージだったけど、一緒に時間を過ごす中でその印象は少しずつ変わっていった。気軽に調子の良いことばかり言うのは最初からそうだけど、ひとに対していい加減なことを言ったり、だらしない態度を取ったりすることは決してないやつだと知っている。だからなのだ。だからウチは、上鳴がくれる言葉や態度を大事に受け取ってしまう。

 でもウチが一方的に好きになったんじゃない。そう思わせてしまう言動を上鳴がしているんだと、勝手に腹立たしい気持ちになってしまうんだからどうしようもない。だけど一番ムカつくのは、上鳴の言動にいちいち喜んでしまう自分自身なのだ。

「つーか別々に使うんだから、お揃いって分かんねえじゃん。そんな嫌そうな顔すんなよ」
「そーだけど」
 結局そのまま、上鳴はチンアナゴ柄の、ウチはペンギン柄のタンブラーをそれぞれ買った。




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