シュガーコート / p.5

 高校三年生のバレンタインの翌日に偶然聞いてしまったことを、ウチは上鳴に話した。
 まさかウチが立ち聞きをしていたなんて思いもしなかった上鳴は、ものすごく驚いて、というか何ならウチが言わなきゃこのことは忘れていた様子だった。自分が何を言ったのかを思い出した上鳴は、慌てて弁明しようとした。当時瀬呂へ言ったことと同じようなこと(別に馬鹿にするつもりではなかったとか)を言ってきたから、それは分かっていると伝えた。

「……申し訳ないけど、あの時は本当にそう思ってた。俺にとって耳郎はそういうんじゃないって。そもそも耳郎だってそうだと思ってたし……」
 ウチの話を聞いて、上鳴はすっかりしょげているようだった。どうやらあの時の発言は、本当に本音だったらしい。
「別に謝らなくて良いよ。ウチもその日に上鳴の話を聞かなかったら、ずっと気がつかないままだったかもしれないし」
 いつからだったのか、それはもはや分からない。自覚をした日を覚えているだけで、その時にはもうとっくに始まっていたのだから。

 上鳴も自分について、それと似たようなことを言った。
 一年前に彼女と別れた後、芦戸と切島と一緒に遊んだことがあって、その帰りにふとウチのことを思い出して、気がついたことがあったと。
「俺、芦戸とか他の女子に対しては、女子扱いしたら駄目だなんて考えたことなかったなって。耳郎にばっかり、わざわざそう思ってたなって。それってつまり言い聞かせてるってことじゃん? だから俺、本当は耳郎のこと、そういう風に見たかったというか、見ていたんだなって、気づいて」
 上鳴は俯いたまま、記憶を辿るようにゆっくりと話した。
「そうしたらもう、そうとしか思えなかった。いつからだったのかは全然分かんねえけど、でも気づいたら妙に腑に落ちたっていうか。でも耳郎忙しそうだし、とりあえず出向は三年って言ってたから、それが終わって戻ってきたら、連絡取ってみようかと」
 そしてそこまで言うと口を閉じて、ちらっとこちらを見た。だけど気恥ずかしそうにすぐ視線を逸らされる。

「……そうだったんだ」
 とりあえずそう返事をしたけど、後の言葉が続かなかった。一方的に聞いていたウチだって恥ずかしいのだ。
 だけど、とても危ういバランスの上に立っていたんだなと思った。上鳴がもし気がつかなかったら、ウチらは今こんな会話をしていなくて、ウチはまたもやもやした気持ちを抱えて帰るだけで。そもそもウチだって、共有スペースで立ち聞きをしなかったらこんなに思い詰めるほど悩む羽目にはならなかった、はず。
 全部が全部偶然で、上手く嚙み合っただけ。雄英高校にだって、どちらかが落っこちていたら出会えなかったかもしれないんだし。だからたまたま出会って、たまたま好きになった人がいて、その人も同じ気持ちでいてくれて、今こういう話ができているウチはとてもラッキーなんだろうな、とそんなことをぼんやり思った。

「でも、ってことは耳郎は、高三の時から、俺のこと……」
「……何にやついてんの。キモイ」
 顔を上げたら、上鳴と目が合った。目線と口調はこちらを伺うような雰囲気だったけど、唇は緩んでいてちょっと口角が上がっている。それにつられて簡単に悪態が口から出た。ウチらの間の空気が徐々に緩んでいくのが分かった。
「だって、卒業してからも結構会ってたじゃん? 俺、全然気がつかなかった」
「当たり前だよ、隠してたんだから」
 さらっと言ってはみたものの、隠し通せているか自信はなかった。自分としてはちょっとした場面で好意が出てしまっていた気がしたから。
「てかその高三のバレンタインの時、ウチ上鳴にチョコ買ってたんだよ。結構ちゃんとしたやつ」
 せっかくの機会だから全部言ってしまおう、と思った。
 思い出にも重さがあるんだろうか。今まで胸に仕舞っていたかけらをひとつずつ外に出す度に、身体が軽くなっていくような感覚がする。
「えっ、マジ!? 貰ってねえけど」
「だから、渡すタイミング迷ってた時にその話聞いて。ただのネタのつもりで買ってきたはずだったのに……それで渡す気失せて、自分で食べた」
 そう、あの後ウチは部屋へ戻ってすぐにチョコの包みを開けて全部食べてしまった。四粒しか入っていなかったチョコは、全部味が違って美味しかった。悲しくても美味しいものは美味しいんだなと、呆然とした頭で思ったのをよく覚えている。

「うわー、マジかよ! ごめん、本当にごめん」
「でもその時貰っても、あんた困ったんじゃないの。ただの友達からちゃんと箱に入ったチョコなんか貰ったら」
「いや、普通に嬉しかったと思う、し、ころっと耳郎のこと意識してたかも」
「……は? ちょろ過ぎでしょ」
「ちょろいって言うな! だってそんなの貰えたら、なあ」
「……何でウチ、こんなやつ好きになったんだろ」
「おい止めろ。いきなり冷静になるな」
 ということは、ウチが勝手に遠回りをしてしまった可能性もあったのかもしれない。
 でもそんなことを考えても、今となっては仕方のないことだ。こんなに簡単にその気になるようなやつが、今日誰とも付き合っていなかったことだけ、とりあえず良かったということだろう。

 すっかりくだけた雰囲気になって、上鳴は軽い調子で笑った。ウチもこんな何の引っ掛かりもなく上鳴と話せたのはいつぶりだろう。懐かしいようでいて、でも確かに新しい空気も今のウチらの間にはあった。
「でもぶっちゃけ、会うまではどうかなって思ってたんだ。もう二年くらい会ってなかったじゃん? もしかしたら、俺の記憶の中の耳郎を好きな可能性もあるなって考えてたんだけど」
「ウチもそれは、考えてた」
 今日会うまで、ウチも同じような気持ちだった。だからそれがぴったりと言葉に表わされて少し驚いた。性格は違うようでいて、時々こうして考え方が合うことがあるんだよなと改めて思う。
 上鳴にしては慎重でまともなことを言ったと思ったけど、たぶんこっちの方が上鳴の本質に近い気がする。さっきはチョコを貰えたら意識してたかもなんて言ったけど、そんなに簡単なことってなかっただろう。

 上鳴は一呼吸おいてウチを見て、それから視線を正面に戻した。
「……だけどやっぱ会ったら、気のせいじゃねえやって、思ったよ」
 そう言う横顔は恥ずかしそうに笑っていた。こんなにくすぐったい気持ちになるような上鳴の表情は初めて見た。ウチの今日の感想も、上鳴の通りだ。

 やっぱり、と改めて思う。当時の自分にああする以外の選択肢はなかったと。
 上鳴への気持ちを自覚した一方で、恋愛なんてしている暇なんかないと思う気持ちもあったし、恋愛どころか趣味の音楽だって後回しにして、訓練とインターンに勤しんでいた毎日だったから。仮に高校生の時に良い感じになったとして、それから上手く付き合えたかどうかは分からない。だから、今で良かったのだと思う。今はすっきりとそういう気持ちだった。

 そのままぼんやり上鳴の横顔を見つめていたら、「見んなよ」と恥ずかしそうに片手で軽く目隠しされた。こめかみの辺りに触れた指先の体温にどきりとする。少ししか触れていないのにちゃんと温かさが分かる。そのせいで何を言ったら良いか分からずにいたけど、手はすぐに外れた。
「ちょっと歩くか。せっかくこんな良いとこ来たんだからな」
 視界が元に戻ると、上鳴は立ち上がっていた。


 飲み終わったカップをゴミ箱に捨て、海を眺めながらのんびりと公園の端まで歩いた。会話はぽつりぽつりと、時々何も言わないこともあったけど、気まずくはない、そういう時間だった。
 石階段を降りて砂浜に立った時に、ウチの足が砂に取られて、少し身体が傾いた。上鳴は前を歩いていたはずなのにすぐに気がついて、ウチの手を握ってくれた。「こけんなよ」と悪戯っぽく笑いながら、とても自然な仕草だった。
 上鳴から転ぶななんて忠告をされなくても、転んだりなんかしない。別に平気だからと言うのが自分っぽいはずなのに、ウチは気がついたら素直に頷いてその手を握り返していた。そんな自分に驚きながら、二人で手を繋いで歩いた。

 さっきの目隠しもそうだけど、こんな風に触れ合うことなんてこれまでなかった。なのに今はすんなりできている。恥ずかしいけど、嫌だとは思わない。ウチらはこれから少しずつ、こうして変わっていくんだろう。そんな予感が胸の中でいくつも散らばって、揺れている。

「俺、明日からも夜なら時間取れるから。耳郎空いてたら飯とか行こうよ」
 手を繋いでから上鳴は、今度はよく喋っていた。照れ隠しなのかもしれない。その表情も声も視線もどこか穏やかで、初めて知る上鳴の一面だった。ウチも今そんな風になっているんだろうか。鏡がないから分からないけれど。
「いーよ。でも明日から一泊家族で温泉行くから、明後日以降になるけど」
「そっか、せっかくの帰省だもんな。どこ行くん?」
「熱海。だからすぐそこ」
「良いじゃん。温泉良いなあ」
「お土産買ってくるよ」
「ん、楽しみにしてる」
 心なしか、上鳴の繋ぐ手の力が強くなる。声も嬉しそうで、お土産買ってくるってだけでそんなに喜ぶものなのかなと、変な気分だ。

 海の方から吹いてくるやわらかい風が、潮の匂いをいっぱいに運んでくる。上鳴の髪の毛を撫でて、ウチの耳たぶのコードを揺らして、通り過ぎていく。この匂いも、手を繋ぐ体温も、景色も、とりとめのない会話も、きっとずっと忘れないんだろう。これから先のことなんて誰も分からないのに、確信に近くそう思えた。上鳴に言うのは恥ずかしいから黙っていたけど、その代わりに少しだけ、ウチから握る手にそっと力を込めた。




2021.11.07
2021年11月6日に開催されたpictSQUARE内オンラインイベント「PLUTRA PLUS!! ~2021Autumn~」の無配小説でした。
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