紫陽花の浴衣 / p.1

「耳郎ちゃん、決まった~?」
 背中の方から声がして振り返ると、葉隠が立っていた。彼女の透明な手には浴衣と帯のセットが三着ある。
「まだ。ちょっと迷ってて」
 ウチの左手には一着ある。そして右手は他の浴衣を物色していた。
「私もー! たくさんあって迷うよね」
 ショッピングモールの中に作られた、期間限定の浴衣ショップにA組女子のみんなで来ていた。
 来週に開催される夏祭りの外出許可が下りたので、せっかくだから浴衣を着ていこうということになったのだ。ショップの中には色とりどりの浴衣が帯とセットになって、ずらっと並んでいる。
「葉隠が選んだの見せて」
「良いよ!」

 葉隠が候補に挙げた浴衣は全部、色んな色が使われたポップで可愛い印象のものだった。明るい紺の地に花火の柄、白地にカラフルな水風船の柄、クリーム色の地にピンクや水色や黄色の小花が散らされた柄。三着とも元気な葉隠のイメージにぴったりな浴衣だった。
「どれも葉隠に似合いそう」
「本当? ありがとう! 耳郎ちゃんは?」
 そう言って葉隠が手元を覗き込んでくるから、ウチは手に持っていた浴衣を差し出した。
「わ、良いね。格好良くて耳郎ちゃんっぽい!」
「ぽい、かな。好きな色だなとは思ったんだけど」
 黒地に淡い紫色の花柄の浴衣。帯は白。柄の色は一色だけど、花は桜やガーベラなど色んな種類があしらわれていて、シンプルだけどデザインが凝っていて良いなと思ったのだ。
 葉隠にはああいう返事をしつつも、自分でもウチの選びそうな色や雰囲気だなと思っていたから、やっぱりウチってこういう浴衣のイメージなんだなと思う。
「すっごく良いと思う! あとはどれと迷ってたの?」
「え、あー……うん」
 葉隠に真っ直ぐ見つめられて、思わず目が泳いでしまった。でも迷っていると言ってしまった手前、この質問をスルーするわけにはいかない。実際決めきれなくて困っていたから、第三者の意見を聞くのが一番良いのも分かっているんだけど、もう一着の候補を見せるのにちょっと躊躇ってしまった。

「……これ、なんだけど」
 変な間を空けて、ようやく一着の浴衣を手に取る。
 それを見た葉隠は、ちょっとびっくりしたような声を上げた。でも、
「優しい雰囲気だね。こっちは可愛くて良いと思う!」
 と言ってくれた。褒めてくれてほっとしたけど、最初の驚いたリアクションで、(やっぱり意外だよね……)と思う。

 ウチのもう一着の候補は、さっきのとは全然違う雰囲気の浴衣だった。
 白地に淡い紺色と薄紫色の紫陽花の柄が入った浴衣。これもシンプルな柄ではあるけれど、薄紫がピンク寄りの色だからか可愛い印象があって、帯も淡いピンク色という可憐な感じだ。しかもくしゃっとしたデザインの帯だから、なおさら可愛い雰囲気になる。さっき店員さんに教えてもらったけど、兵児帯と言うらしい。
 黒い浴衣がウチっぽいなら、こっちは「ぽくない」デザインだろうという自覚はある。だけど目に付いてしまった。優しい紫陽花の柄を良いなと思ったら、気になって仕方なくなってしまったのだ。
 黒い浴衣はそれなりに似合うと自分で分かっているけど、この紫陽花の浴衣は分からない。普段、洋服やアクセサリーを買う時にあまり冒険はしないから、こんな風に迷うのはなかなかないことだった。
 そんならしくない迷い方をする自分に、「また戸惑ってる」と冷静な自分が心の中で指摘する。
 そう、「また」なのだ。

「でも、こういうのウチ似合うかな……。てか似合わないかもって」
「えっ、そんなことないと思うよ?」
「なんか、ウチっぽくないし」
「確かに耳郎ちゃんが選ぶ感じじゃないと思ったけど、全然アリだと思う! 合わせてみよう!」
 葉隠の勢いに押されるまま、二人で鏡の前へ行った。そして浴衣を身体の正面に持っていく。
「良いんじゃない! 耳郎ちゃん色白だから似合うよ」
 明るく葉隠に言われると、そんなに悪くないかも、という気もしてくる。自分に淡いピンク色を合わせたことなんかないから、合っているのかどうか上手く判断できない。
 ウチはもう片方の手に持っていた黒い浴衣も合わせてみた。
「あー、でもこっちも良い! やっぱり耳郎ちゃん、黒とかはっきりした色似合うよね。迷っちゃうね!」
 実際鏡を見て比較してみると、やっぱり黒かなと思ってしまう。こっちは何というか、しっくりくるのだ。今はっきりと分かったけど、似合うのは確実に黒い浴衣だった。

 決められないからとりあえずウチは保留にして、今度は葉隠の浴衣を合わせてみることにした。葉隠は透明だから、傍から見たらただ浴衣を鏡に映しているだけに見えるだろう。けど長い付き合いになってきたからウチも、浴衣だけ見た時と、葉隠の身体に合わせてみた時とで、ちゃんと浴衣の印象が違うことが分かる。
 ああでもない、こうでもないと言いつつ、葉隠が水風船の柄に心が動いたところで、梅雨ちゃんがやって来た。

「透ちゃん、その浴衣カラフルでとっても綺麗ね。似合ってるわ」
 ケロケロ、と優しく微笑んでいる。
「梅雨ちゃん、やっぱりこれ良いよね! 今耳郎ちゃんとも相談して、これにしようかなって話してたとこなんだ」
「梅雨ちゃんは? 決めた?」
「えぇ、私はこれにしようと思って」
 梅雨ちゃんが持っていたのは、緑色の浴衣だった。濃淡ニュアンスの違う様々な緑色の手毬が描かれたデザインで、ところどころ赤い金魚がアクセントになっている。柄は水彩風のタッチになっていて、帯は深い緑色。大人っぽい梅雨ちゃんのイメージにぴったりの浴衣だった。
「わあ、大人っぽくて綺麗だね。梅雨ちゃんに絶対似合う!」
 葉隠も同じことを思ったみたいだった。
「ウチもそう思う。優しい感じが梅雨ちゃんっぽい。涼しそうで良いね」
「ありがとう、嬉しいわ。響香ちゃんは?」
「ウチは、」
 迷ってて、と言い掛けたところで葉隠が被せて言った。
「ねえ、梅雨ちゃんどう思う!? 二つで迷ってたんだ」

 梅雨ちゃんの前で、黒い浴衣と白い浴衣を順番に自分に当ててみる。何度か繰り返した後、梅雨ちゃんは片方を指差した。
「私はこっちが良いと思うわ。最近の響香ちゃんの雰囲気にとっても似合ってるもの」
 それは白い方の浴衣だった。
「え、最近のウチって……」
「おぉ、梅雨ちゃんは可愛い推しだね!」
「私はどっちも似合ってると思うけど、響香ちゃん」
 梅雨ちゃんは笑ってウチを見た。
「着たいのはこの白い方じゃないかしら」
「え、」
「着たい方っていう視点で選んだらどっち?」
 梅雨ちゃんの言葉にどきりとした。似合うか似合わないかということばかり考えていたから、梅雨ちゃんの問いかけが胸の中にすとんと落ちた。
 ウチの視線は素直に白い浴衣に行っていた。
「着たいのは、これ……、かな」
「良いね良いね! 私もこっちで良いと思う。それに自分が着たいのを着るのが一番だもんね!」
「ケロケロ」

 もう一度白い浴衣を胸元に当てて、鏡で映してみる。
 そっか、ウチはこれが着たいんだ――……。
 言葉にしてから実感が胸にじわじわ湧いてくる。梅雨ちゃんは、最近のウチに似合ってると言ってくれた。それはどういう意味なんだろう。
 梅雨ちゃんが何を思ってそう言ったのかは分からないけど、もしもウチが最近自覚してしまったたことを周りからも気づかれているのだとしたら……、それはとてもバツが悪い。


 ウチが最近自覚したこと。それは、上鳴のことを意識している、ということだ。
 簡単に言うと、恋愛感情を持ってしまっているということ。思い返してみれば、ここ数ヶ月どころか年単位でそうだったような気がするけど、正直自分でこの気持ちを認めるのはかなり勇気のいることだった。

 あの上鳴に? ウチが?

 そう何度自分に投げかけたか分からない。高校一年生の頃なら「ないない」って一蹴できたことが、今ではもうできなくなっていた。そもそもこんなことを自分に問いかける時点でそういうことなんだろう。
 考えれば考えるほど深みにはまり、結局は降参するしかなかった。
 気がついたら目線で追っている、教室や寮で話している声が自然と耳に入ってくる、一人でいると無意識に考えてしまう。悔しいけれど、普段何気なくやっていたことを改めて意識してみたら、ウチは結構上鳴のことに時間を割いているようだった。

「認めたくない」という気持ちがついに負けてしまった夜は、開けてはいけないドアを開けてしまったような気分になった。正直今でも、気づいて良かったのかどうなのか分かっていないし、上鳴とどうなりたいのかも分からない。
 付き合うならつまり彼氏彼女の関係になるわけで、「ウチは上鳴とそういうことしたいの?」とか「そんなことに割いてる時間なくない?」とか「だいたい上鳴がウチのことをどう思っているのか知らないし……」とか。最後のことは、考えるとちょっとしんどい。

 ウチからすると上鳴のことを一方的に好きになったのではなく、その気にさせられるような出来事が少しずつ積み重なった結果なんだと思っている。でも上鳴は男女問わず人との距離が近いから、ウチが勘違いをしているだけのような気もする。
 実際、上鳴もウチに対して似たような感情を抱いてくれているかもしれないと感じる日と、あぁやっぱ何とも思われてないわと感じる日と、どっちもあるのだ。

 ただでさえグラグラとした頼りない恋愛感情なのだから、黙って現状維持をしていたら良いのに、心は勝手に近づこうとする。そんな自分を、この頃持て余している。




| NOVEL TOP | p.2 → |