紫陽花の浴衣 / p.4

 夏祭りのざわめきがだんだん近づいてくる。
 時間が経ってお互い改めて向かい合ったら、恥ずかしさで変な空気になり、とりあえず暑いからカキ氷を食べようということで意見が一致した。それで屋台の方へ戻ることにした。
 今度は鞄の肩紐じゃなくて、お互いの手を繋いで。

「……俺、本当は今日、耳郎と回りたかったんだ」
 歩き出して一分くらい経った時、上鳴がそう切り出した。
 ウチは手を繋いでいる緊張のせいで、話し掛けるというアイディアがすっかり頭から抜け落ちていた。
 上鳴の声色も、ウチとの会話では聞いたことがないくらい緊張していた。
「……うそ」
「うそじゃねえよ。……さっき、残念じゃないって言ったろ」
 上鳴の横顔を見上げた時にちょうど、ぎゅっと握る手に力を込められた。それから上鳴の視線もゆっくりウチの方に動く。だけど照れたようにまたすぐ逸らされた。
「だから女子達がお化け屋敷の話してるの聞こえて、チャンスかもって思ったんだよ。耳郎はお化け屋敷ぜってー入らないからな」
「ふーん……」
 あのタイミングで話に入ってきたのは狙ってだったのか。
 今までもあった「ウチが都合よく解釈してるだけかも」と考えていた色んな出来事が頭の中に浮かぶ。あながち直感は間違っていなかったのかもしれない。

 上鳴は空いた方の手で、落ち着きなく首元や髪をいじる。ど緊張しているウチから見ても、上鳴もなかなか挙動不審だった。だけど繋いでいる手はしっかりと握られていて、ウチとは違う手の厚みが伝わってきて、そのギャップにどぎまぎした。
「似合ってるよ、浴衣」
 屋台のある通りに入った時に上鳴がそう言った。少し声が上ずっている。
「すげぇ……か、か、かわ、かわいい、デスヨ」
「カタコト過ぎでしょ」
 たどたどしい上にところどころ声が裏返っていて、思わず吹き出してしまった。この慣れない状況のせいで、あまり大きいリアクションにはならなかったけど。
 でもそれで少しだけ緊張がほぐれて、ようやく、この浴衣を選んで良かったと素直に思った。
「いやだって、耳郎にこういうこと言うの、恥ずい」
「ん。……でも。ありがと」
 今日ずっと感じていた色々なドキドキとは違う、穏やかでソワソワする胸の高鳴りがあった。生まれて初めて覚えた感覚。
 ウチも上鳴にこんな素直なことを言うのは恥ずいけど、きちんと言わなきゃいけない、そう思った。上鳴は短く、でも明るく「おう」と返事をした。

 繋いだ手のひらが尋常じゃないくらい汗をかいている。上鳴は気持ち悪くないだろうかと思ったら逆に、「俺の手汗やべえ、ごめん」と謝られた。「ウチもヤバいよ」と答えて、どちらからも離すことはしなかった。
 A組の誰かに見られたら、と今さら思ったけど、それでもやっぱりこのままでいたかった。この時間の終わりがなるべく先送りになるよう願う自分がいる。

 こんな風に手を繋いでいるけれど、ウチらの間に決定的な言葉は何もなかった。さすがにこの場限りのことではないと思うけど、それだけが心の中に引っ掛かっていた。
「てか、あの、」
 曖昧にしたままでこの二人きりの時間が終わるのは嫌だった。
「ん?」
 上鳴がこちらに顔を向ける。
「……そういうことって、思って良いんだよね。この、手、繋いでんの、とか」
 改めて現状を言葉にすると照れてしまう。それで最後の方は声が小さくなってしまった。
 でもちゃんと上鳴の耳には届いたようだった。上鳴は三秒ほどウチを見たまま固まった。そして、
「も、もちろんっ! 逆にそうじゃなかったらヤバいだろ。俺そんなチャラくねえぞ!」
 急にテンションが高く声がでかくなった。周りにいる人たちが一瞬びっくりしたようにウチらを見る。ウチも思わず肩が跳ねた。
 必死な上鳴の様子にウチはちょっと反省をした。別に疑ったつもりはなかったけど、こんなことを聞いたらそう思われても仕方ないかもしれない。

「ご、ごめん。何かウチ、そういうの分かんなくて。いちいち聞くことじゃないよね。空気読めないこと言った、ごめん」
 男子とこういう雰囲気になるのは本当に生まれて初めてだ。実際のところ上鳴の恋愛経験の程度は知らないけれど、ウチよりはきっとあるだろう。不安だったとはいえ、上鳴が人の気持ちをもてあそぶようなやつだとは全く思っていない。
 さっきの頭を撫でられた時から手を繋いでいる今まで、普通に考えれば「そういうこと」で良いに決まっている。本当に空気の読めないことを言ってしまった。自分の経験のなさをひしひしと実感する。
 すると上鳴が、一瞬だけ握る手の力を弱めて、またぎゅっと強く握り直した。
 びっくりして顔を上げると、目が合った。

「ん、大丈夫、大丈夫。ちゃんと言ってない俺が悪い」
 子どもをあやすように、繋いだ手を軽く上下に振られる。
 そう言う上鳴の声は、今まで聞いたことがないような優しい声をしていた。
「かき氷買ったら、もうちょい静かなとこ、行こ」
 甘い声ってこういうことを言うのかもしれない、そう思えるような色が含まれていた。そして一拍あけて、「後でちゃんと言うから」とつぶやく。
 心臓が壊れてしまいそうになるくらい、ドキドキ鳴り始めた。夏祭りの喧噪なんて気にならないくらいの爆音が身体の中で響く。

 ウチらは本当に、そういうことになったんだ。そう身体中で感じていた。
 まるで雲の上を歩いているようなふわふわとした心地の中、ウチも上鳴の手を強く握り返して、小さく頷いた。




2022.08.28



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