Chapter 1 / 第5話

 購買部に行くと、混雑のピークはもう過ぎていたみたいだった。生徒の数はまばらで、パンやお弁当の在庫も残りわずかだ。
「うわ、もうほとんどないね。残ってて良かったけど」
「そうですね。私たちも早く選びましょう」
 ヤオモモと急いで売り場へ行き、数少ない昼食のラインナップを眺める。めぼしいお弁当はもう早々に売り切れたのだろう。肉野菜炒め弁当と丼物が二種類ほど、数個ずつ残っているだけだった。パンの方はサンドイッチが二個だけあって、あとはクリームパンとかメロンパンといった甘い系が並んでいた。総菜パンはもう全滅。

 昼休みが始まってから二十分くらいでこの状況。購買は初めて来たけど売れるのは結構早いみたいだ。いつもは食堂でお昼を食べているし今日もそのつもりだったんだけど、普段よりも少し遅れて行ったら席がほとんど埋まっていて、ちゃんと座れるか分からなかったからこっちに来たのだった。

 ウチは肉野菜炒め弁当に決めた。中華丼とちょっと迷ったけど、こっちの方が量が多い気がしたからだ。二時間続きの演習の直後だからお腹がかなり空いている。ヤオモモも同じのを選んで、それからサンドイッチとクリームパンも追加していた。
「天気良いし、外のベンチで食べない?」
「良いですわね」
 お金を払って購買を出ようとした時だった。同じ出入り口から入ってこようとする人がいて、ウチらはぶつかる寸前で立ち止まった。
「おっと、すんません! ……って、耳郎と八百万か! 悪い、大丈夫か?」
 よく見るとそれは切島だった。隣に上鳴もいる。
「うん、平気」
「あれ、二人とも今からお昼な感じ?」
 ウチらの手元を見て上鳴が言う。その言い方からして、この二人はもう食堂で昼食を済ませてきたみたいだった。たぶんその上で、小腹が空いた時用のパンでも買いに来たのだろう。切島は時々、六限と七限の間にパンとかおにぎりを食べている。
「そーだよ。どっかの誰かさんのおかげで、昼休み入るの遅れちゃったからさ」
 ウチが短いため息をつくと、目の前の男子達は訳が分からないといった風で、お互いの顔を見合わせた。
「更衣室の穴を塞いでいたのですわ」
 八百万がウチの後を続けると、二人の表情がさっと気まずそうな色になった。二人を順番に見たら、上鳴とちょうど目が合う。その瞬間、上鳴は降参するみたいに肘を曲げて両腕をバッと上げた。
「お、俺は見てない! マジで! 俺は無実です!」
 そしてこちらが何かを言う前から、必死に自分の潔白を主張し始めた。それを聞いて隣の切島もはっとしたようにウチらを見て、パンっと大きな音が鳴るくらい勢いよく手を合わせ、頭を下げた。
「俺も見てねえ! けど、同じ男子としてあいつを止められなかったことは、本当にすまねえ! ごめん!」

 あいつ、とは峰田のことだ。
 さっき、三限と四限の連続で行なわれたヒーロー基礎学が終わってからのことだった。更衣室で着替えていた時に、ウチはふと壁に穴が空いていることに気がついた。ロッカーの影になっていて目立たないところに。今までも何度か使ったことがある更衣室だったけど、こんなのあったっけ? って何気なく近づいてみたら、個性のイヤホンジャックが不審な音を拾った。

 ほとんど反射で左右のプラグを穴と壁に刺してみたら、嫌な予感が的中した。音の出どころは隣の男子更衣室から。この穴はどうやら隣室まで貫通しているらしく、峰田が大喜びでこちらを覗こうとしていることが分かった。何がショーシャンクだ、名作を汚すなアホ。
 女子のみんなにそっと声を掛けて穴を指差すと、さすがみんな察しが良くて、すぐに事情が伝わった。ウチは耳を澄まし、峰田が穴を覗き込む気配がした瞬間に、一気にコードを伸ばして渾身の一撃をお見舞いしてやった。
 と、そんなことがあったのである。

 穴はすぐに塞ごうということになり、ヤオモモが個性でコーキング剤をつくってくれたから、ウチら二人で応急処置で塞いだ。芦戸と葉隠は峰田に釘を刺しに行き、梅雨ちゃんと麗日はこの穴のことを先生に報告しに行ってくれた。特に誰が何を言うわけでもなく、自然に役割分担ができた流れはとても見事だった。入学してまだ二ヶ月くらいだけど、これもヒーロー基礎学の訓練の賜物かもしれない。
 それで案外壁の修復に時間が掛かってしまい、ウチとヤオモモはお昼が遅れてしまったのだった。

「ま、まあ、お二人が関係ないことは分かっていますから……」
 切島と上鳴の勢いに押されて、ヤオモモが慌ててなだめようとする。ウチもこの二人が覗きに参加していないことは分かっていた。だって自分で音を聞いていたのだから。別に二人を責める意図はなかったんだけどな。言葉に棘があったのならたぶん、思いのほか自分で気にしてしまっていることが原因かもしれない。
 峰田は女子更衣室を覗こうとしながら、ウチに対してだけは何も言わなかった。別にあいつから興味なんて持たれたくないし、着替えているところを想像されたくもないんだけど、なぜか複雑な心境になってしまったのは内緒だ。

「峰田が一人で暴走しただけでしょ」
 ウチもフォローするように言うと、男子達はほっと肩の力を抜いたようだった。
「てか、上鳴さあ……」
 ふと今のこの二人の言葉を思い返したら、つい笑いが込み上げてきてしまった。ウチはそこまで言って言葉に詰まった。
「へ、何?」
「いや、やっぱいい」
「え、何? めっちゃ気になるんだけど!」
 ウチはひとつ咳払いをして、笑いを何とか堪えた。
「あんた、自分の無実ばっか主張し過ぎでしょ。必死過ぎて切島との対比がヤバい」
「……うぇ?」
 まぬけな声を漏らしたやつを横目に、行こっか、とヤオモモを促してウチらは二人の脇をすり抜けた。気を抜くとまた笑えてきて、ちょっと吹き出してしまった。背後から「あ、」と、上鳴がウチの言わんとすることを理解したらしい声が聞こえる。するとすぐに、
「ち、違う、俺も! 同じ男子として止めらんなかったこと謝る! すんませんでした!」
「はいはい」
 ウチらを追い掛けるように上鳴が叫んだけど、適当にあしらった。ヤオモモが苦笑しながら軽く会釈をする。
 廊下を数歩歩いたところでまた、あっ、と背後から声がした。

「そうだ、耳郎! なあ、耳郎!」
 上鳴の声がでかいから、近くにいた生徒が一瞬びっくりしたみたいにこちらを見る。恥ずかしいからすぐに振り返ると、上鳴はウチに向かって手を振っていた。
「さっき相澤先生がさ、放課後職員室に来てくれって、言ってた!」
「それなら教室戻ってからで良いじゃん、言うの!」
「あっ、そうだわ。まあ、忘れないうちにってことで! じゃ!」
 上鳴はマイペースに言いたいことだけを言い、のんびりとした調子で笑うと、購買部へ消えていった。午後からは座学しかないから、わざわざここで叫ばなくても教室で伝えてくれれば良いのに。
「何なの、あいつはもう……」
 ウチがそうつぶやくと、隣でヤオモモが可笑しそうにくすくすと笑っていた。





 七限が終わった後のがらんとした廊下を、上鳴と並んで歩いていた。他の科の生徒達の授業は六限までだから、校庭からはすでに部活動に励む声があふれていて、それが窓越しに聞こえてくる。
「俺ら、何かやっちゃったかな?」
 上鳴が伺うような視線をこちらに投げてくる。
「あんたならあり得るけど、ウチは思い当たることがない」
「俺だってねえよー! ……たぶん」
「いや、勢い失うの早過ぎない?」
 テンションの急な落下に思わず笑ってしまった。ウケを狙っているんじゃなくて真面目にやっているから余計に面白い。つられたように言った本人も笑った。

 昼休みに上鳴から言われた、放課後に相澤先生のところに行けということ。それはどうやらウチだけではなく上鳴も呼ばれているらしかった。それで一緒に今職員室へ向かっているんだけど、わざわざ二人で呼び出される理由が思いつかなかった。
 上鳴が心配しているような、何か怒られるようなことはたぶんないだろう。全く身に覚えがないから。職場体験が終わったばかりだし、それ絡みの話だろうか。それくらいしか予想が立たない。でもウチらは違うヒーロー事務所に行ったから共通点がない。
 お互いに事務所からそれぞれ何か連絡があって、たまたままとめて呼ばれたってとこだろうか。それくらい、セットで呼ばれる事情が分からない。上鳴との関係で思いつくのは席が隣ってことくらいだ。

 職員室へ入り相澤先生のデスクまで行くと、先生はパソコンの画面を見つめながらキーボードを叩いていた。
「あのぉ、先生。来ましたけど……」
 いかにも忙しそうな様子にウチらはためらってしまったけど、上鳴がそっと声を掛ける。するとようやく先生はこちらに気づいて、手をとめた。一瞬だけ「何だったっけ」みたいな顔をして、でもすぐに自分の中で合点がいったらしく、
「あぁ、そうそう。そうだった」
 独り言みたいにつぶやいた。のっそりと腕を伸ばしてデスクの引き出しを開ける。
 どうやらこの様子を見る限り、やらかしの線はなさそうだ。でも何だろう。上鳴も同じ気持ちらしく、ちらっと横目でウチを見やる。視線で会話の代わりをしている間に先生が取りだしたのは、一通の封筒だった。淡い桜色の綺麗な封筒。

「お前たち、迷子のお世話した? 先月に」
 授業のことでも職場体験のことでもない、意外な単語が出てきて、ウチと上鳴は思わず顔を見合わせた。先生が続けて、とある場所の名前を言う。それでウチらは何の話か分かった。
 四月下旬の日曜日、たまたま買い物に出掛けた先で上鳴と出会ったあの日のことだ。
「あ、はい。しました」
 ウチがそう答えるのと同時に、上鳴も同じようなことを言った。声が被る。
 それを聞いて先生は、すでに開いている封筒に指を入れた。
「はい」
 そしてそれだけ言って、ウチらの前に便箋を差し出す。読んで良いということだろうか。ウチらはちょっと戸惑って目配せすると、上鳴がそれを受け取った。封筒と同じ桜色の便箋を開くと、綺麗な字が並んでいた。
 ウチも手紙を読もうと、横から首を伸ばした。「13号様」から始まる手紙には、自分の息子が迷子になっていたところを、二人の少年少女から助けてもらったことに対するお礼の言葉が綴られていた。二人の名前などは分からないが、息子曰く13号のことを先生と呼んでいたそうなので、おそらく雄英高校の生徒だろうと思って手紙を出した。もしこの生徒がいればこの手紙を渡して欲しいと、ウチらに一致する外見が書かれていた。
 それから二枚目の便箋には、色鉛筆で絵が描かれていた。ひとの顔らしいものがいくつか。きっとあの男の子が描いたのだろう。
 読み終わった頃を見計らって先生が、
「ということだから、この手紙はお前たちが持っていなさい」
 と言った。そしてまたパソコンに向かう。
 事情も手紙の内容も分かったけど、突然のことで上手くまだ飲み込めなくて、ふわふわした気持ちがする。上鳴も同じらしく、またもウチらは無言で顔を見合わせた。

「もう、先輩。それだけですか?」
 突然にゅっとウチらの背後から13号が現われた。びっくりして思わず肩が跳ねる。上鳴も似たようなリアクションをしていた。13号は相澤先生の傍へ行くと小言を言ったけど、言われた本人は特に気にしていない様子でぼさぼさの頭を掻いた。
 13号がウチらに向き直る。
「この手紙を読んだ時、とても嬉しかったです。困っている人に手を差し出せること、それがヒーローの基本だと僕は思っていますから。普段から君たちがこうして行動できていることは、とても大切なことです。日々の積み重ねをどうか忘れずに、これからも一緒に頑張りましょう」
 そう言うと、ぐっと両手でガッツポーズをつくってみせた。
 砂場に水が染み込んでいくように、13号の穏やかな言葉がじわじわと心の中に入ってくる。それと手紙の内容が重なって、だんだん今の状況がリアルになってきた。
「はい、俺、頑張ります!」
 珍しくしゃきっとした上鳴の声につられて、ウチも張り切って、頑張りますと宣言した。



「な、もう一回見せて」
 ウチは手に持っていた便箋を上鳴に渡した。駅に向かって歩き始めてから五分くらい経ったけど、ずっと手紙はウチらの間を行ったり来たりしていた。隣を見れば、上鳴が頬を緩めながら男の子の描いた絵を眺めている。お礼を言われたくて人に親切にする訳じゃないけど、こうして伝えてもらうと、やっぱり素直に嬉しいのだった。
 こんなに丁寧な人がいるんだなとちょっと驚いたけど、手紙を読んだところ、あの子は前にも迷子になったことがあるらしく、その時は怪我をしてしまったらしい。だからお母さんとしては何事もなく帰ってきたことに心から安心していて、それでわざわざお礼を伝えてくれたみたいだった。
 ウチにとっては日常の中の些細な出来事だったけど、それがこうして誰かの大事に繋がっている。そう思うと何だか気が引き締まる思いがした。サポートとは言え、職場体験で生の現場を経験したから、なおさら身に染みるのかもしれない。

「この手紙、どうしよう? どっちが持ってる?」
 赤信号で立ち止まった時、上鳴が聞いた。
「上鳴が持ってなよ。あの子を助けたのはあんたなんだから」
 男の子が一人でお母さんを探していた時、声を掛けたのは上鳴だ。ウチはその上鳴に誘われて一緒にいたに過ぎない。
「いやいや、耳郎の耳の良さがなかったら大変だったって」
「そんなことないでしょ。上鳴が持ってな」
 もう一度念を押すように言うと、上鳴は素直に受け入れた。
「うん、じゃあそうさせてもらうわ」
 そして便箋を折り目通りに綺麗にたたむと、封筒の中に入れる。スクールバッグのファスナーを開けて、内ポケットを探る仕草をしてからそっと慎重に入れた。
「もし読みたくなったらいつでも言って。耳郎と俺がもらった手紙なんだからな!」

 耳郎と、のところをやたら強調して上鳴が言う。その真っ直ぐな響きが胸の中にすっと入ってきて、爽やかに吹き抜けた。上鳴の言葉には時々こういうところがある。ひととの距離を簡単に縮められる上鳴の、人柄そのものみたいな言葉。
 ウチの反応を見て上鳴は気を遣ってくれたのかもしれなかった。案外こいつは気にするところがあるっぽいから。でもただ、本当にそう思っているから言っているだけかもしれなかった。
 普段は弱音を吐いたり情けないことを言ったり、物事を単純に考え過ぎたりしていて、その度にしっかりしてよと思う。けど、真正面から向き合うようなことを言われると、今度はウチが戸惑ってしまう。ギャップってやつだろうか。上鳴には、色んな顔がある。この頃そう思う。

「うん、ありがと」
「おう」
 信号が青に変わり、再び歩き出す。
 どぎまぎした心を悟られないようにウチは、職場体験がどうだったとか、明日の授業がどうだとか、そういう他愛のない話題を選びながら帰った。




2024.03.10



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