ひそやかに ささやかに / p.1

 考え事をしながら歩いていると、ブーンとプロペラが回るような音が聞こえた。顔を上げると、明後日の方向でドローンのような物体がふらつきながら飛んでいる。
 不安定に飛んでいた機械はいきなり急上昇して、正面に立っていた木に激突した。枝が揺れて、葉っぱがざわざわ音を立てる。
「あー!」
「完璧だと思ったんだけどなー」
 すぐ後ろから声がした。男子と女子が二人ずつ、バタバタと走りながら俺を追い越していく。科学部とかロボット同好会とかそういうやつかな、とぼんやり思った。
 木にとまっていたスズメたちがびっくりして、慌てて飛び立っていく。追い掛けていた四人は木の傍に行って、がっくり肩を落とした。そのうちの一人の腕がびょーんと伸びて、木に引っ掛かったものを回収する。
「調整し直しだな」
「文化祭間に合うかなあ」

 ぴくっと耳が反応する。
 文化祭。
 そう、あと数週間で文化祭だ。俺が今、何よりも一番に張り切って準備をしていることがこれ。なんて言ったら先生に怒られそうだけど、俺もA組のみんなも、そもそも校内全体がこの行事に向けて浮足立ってる今日この頃。
 緊急会議を始めた四人の横を通り過ぎて、俺はグラウンドに向かって歩いた。野球部やサッカー部の生徒が部活に励んでいるのが見える。
 ヒーロー科は授業で普通のグラウンドを使うことはほとんどないから、この辺にはあまり用がない。学校の敷地は広いけど使う建物はだいたい決まっているから、入学して半年が経とうとしていても未知の場所はまだまだたくさんある。
 いつもなら授業が終わったら真っ直ぐ寮に帰るところ、わざわざ慣れない場所をこうして歩いているのには理由がある。
 耳郎から呼び出されたからだ。

「放課後空いてる? ちょっと用があるんだけど」

 四限目の終わりにすぐ、そう言われた。午前の授業から解放されて、教室の中はざわざわしていた。
「空いてるけど」って返事をしたら、「じゃあ十分くらい時間つぶしてグランドの辺りに居て」だって。それだけ言ってさっさと女子達で食堂に行ってしまった。午後の授業の合間に耳郎と話すタイミングはあったけど、わざわざ理由を聞くのも野暮な気がして触れなかった。言えることならきっと最初に言っている。今日の授業が全部終わると耳郎は、「後でね」とだけ言い残してすぐに教室を出て行ってしまった。

 どうせ帰る場所は一緒なんだから、話があったって寮ですれば良いだけだ。なのにそうしないのは、当たり前だけど理由があるはずだからで。しかも普段来ないような場所を指定してくるし。女子に放課後呼び出されるなんて、いかにも青春っぽいシチュエーションだけど、素直に調子に乗れないのは相手が友達の耳郎だからで。
 めちゃくちゃ深刻な相談事されたらどうしようとか、でも俺にそんな話しねえかとか、万が一、万が一……まあないと思うけど告られちゃったりして? とか、いや、やっぱないな、とか。色々ぐるぐる考えて、結局「これだろう」っていうアテが何も思いつかずにここまで来てしまった。ていうかグラウンドの辺りってどこだよ。適当過ぎんだろ。

 きょろきょろ見渡してみたけど、耳郎の姿はどこにも見当たらなかった。俺よりも先に教室を出て行ったのに。耳郎の言うグラウンドがここで合っているのかが不安になってきて、スマホを取り出した。着信は特にない。
 もう少しフェンスに沿って適当に歩いてみると、見慣れた人影を見つけた。
「……口田?」
 俺の声に気づいたみたいで、背を向けていた口田は振り返った。スズメが肩に二匹、左手に一匹、止まっている。口田が何かを囁くと、スズメたちは元気に空に向かって飛んでいった。
「どうした、こんなとこで」
 放課後、グラウンドの傍にヒーロー科の生徒が二人。偶然こんなところで会う、なんて訳はなく。驚きつつも俺は、

(ははー、これは耳郎のしわざだな)

 とピンときた。口田も最初はちょっと驚いている様子だったけど、似たようなことに思い至ったんだろう。小さく手を振ってこっちに向かって歩いてきた。俺も手を振り返す。
「もしかして、じろ」
 そう言い掛けたところで、口田がぱっと横を向いた。俺もつられてその方向を見る。耳郎が走ってこっちに向かって来ていた。
「ごめん、呼び出して」
 背負ったリュックが元気に跳ねてる。手には白いビニール袋を持っていた。耳郎は俺らからちょっと離れたところで立ち止まると、おいでおいでと手招きした。口田と俺は誘われるがまま歩き出した。
「なになに、何が始まんの?」
 耳郎は木陰のベンチと向かい合うように立っていた。俺の言葉はスルーしつつ、ビニール袋を両手で持って中を見せるように開いた。
「購買のレジ混んでたんだよね。溶けちゃったかな」
 中を覗くと、カップアイスが三つ入っていた。
「お、何これ! 初めて見た!」
「新発売だって」
 耳郎はくるっと回れ右をすると、ベンチの端っこに腰かけた。
「座って食べよ」
「へ?」
 ぽかんと突っ立っていると、ほらほら、と急かされた。俺も口田も訳が分からないまま、俺が真ん中になって三人でベンチに並んだ。
「どれが良い?」
 耳郎は一個ずつアイスを取り出して見せた。全部ふたの色が違って、青とピンクと緑があった。
「え、金は?」
「ウチの奢り。ね、口田も。選んで」
 口田と二人で顔を見合わせる。すると耳郎は勝手に、俺の膝の上にアイスを並べ始めた。スラックス越しにほんのり冷たさが伝わってくる。
 どうしてアイスを貰えるのかは分からんけど、お見合いしてても溶けるだけってのは分かる。とりあえず、口田はバニラ、俺はストロベリーを選んだ。残った抹茶が耳郎。紙のカップは汗をかいていた。



 プラスチックのスプーンが簡単に入るくらいアイスはやわらかかった。とりあえず二口食べてみてから聞いた。
「で、何で?」
 口田もアイスを食べつつ耳郎を伺っている。口田が持っているとアイスのカップもスプーンもすごく小さく見えて、オモチャみたいだ。
「まあ、お礼っていうか」
 耳郎はアイスをすくいながら言った。続きがあると思って待ったけど、耳郎はパクッとスプーンをくわえて黙ってしまった。
 もう一回口田を見ると、目が合った。二人で首を傾げる。だんまりしている横顔を四つの目でじーっと見つめたら、しぶしぶ耳郎は口を開いた。
「……文化祭でバンド、やるって決めて良かったなって思ってるから。それで」 
 耳郎は俺と口田を順番に見た。
「ありがとってこと。ま、食べてよ」
 そして、そっぽを向いてしまった。少しだけ耳が赤くなっている。
 耳郎と口田と俺。そうか、そういうことか。耳郎の言わんとすることは、何となく分かった。口田もそんな感じだった。


 一週間と少し前、文化祭でのA組の出し物をクラスのみんなで決めた。バンドの生演奏とダンス。それから観客も参加出来るような演出を考えている。
 決まった今はクラス一丸となって練習に励んでいるけど、最初は全然まとまらなかった。授業の一時間を使っても全然出し物が決まらなくて、寮に帰ってからも共有スペースで話し合いを続けていた。そんな中、パリピ空間はどうだって意外にも轟が提案してきて、ダンスなら教えられるって芦戸が言って、ほぼみんながその案に乗った。音楽は耳郎が詳しいからいけるって盛り上がってたのに、肝心の耳郎自身はやりたくなさそうにしていた。耳郎曰く、自分の趣味の音楽はヒーロー活動に関係ないから、自慢できるモンじゃない云々……。
 俺は何だそりゃ、って思った。だって部屋をあんな楽器屋みたいにしてて、色んな楽器が弾けるなんてめちゃくちゃすげーじゃん? 誰にでも出来ることじゃない。
 モジモジして珍しくノリが悪い耳郎に、俺と口田がカッケーとか色々言って、何だかんだあって、耳郎は照れながらもバンドをすることをオッケーしてくれたのだった。


 このことは、あの場で完結してると思ってた。まさか何日か経って耳郎からこんなことをされるとは。律儀なやつだな、と思った。A型だからかな。
「何だ、そんな。別にいーのに」
 俺が笑うと、口田も同意するみたいに首を縦に振った。
「ウチがやりたかっただけだから、いいの」
 耳郎は、耳たぶのプラグを俺らにピシッと向けた。ちょっと睨んでるような鋭い視線だけど、全然怖くない。ただの照れ隠しにしか見えないから。
 素直じゃないよな、と思う。お礼なら「ありがとう」って一言言えばそれだけで良いのに、わざわざアイスなんか奢っちゃって。だけど耳郎にとっては、この方がやりすかったのかもしれない。有り難く貰っておこう。
「そんじゃお言葉に甘えて。口田、もうけたな」
 ニッと笑う俺の横で、口田は小さく、「ありがとう」と言った。耳郎はスプーンをくわえたまま、ん、と呟いて軽く頷いた。

 事情が分かればアイスも美味い。ところどころ苺の果肉が入っている、ちょっといいやつだ。一個百二十円はしそうな味がする。授業で疲れた身体に甘さが染みる。俺はほっと一息ついた。
「俺さあ、耳郎から呼び出しされるなんて、愛の告白でも受けるのかと思ってドキドキしちゃったぜ」
「はあ!? んなわけないでしょ!」
 気が緩んで、ぽろっと口から冗談がこぼれた。耳郎は間髪入れずにデカい声でツッコんできたけど気にしない。だって俺、深刻な相談事だったらどうしようって思ってたんだよ。訳アリな誘い方してきたお前が悪いんだよーっと心の中で文句を言った。
「だって、放課後わざわざ用があるって言われたらなあ。口田もぶっちゃけ思ったっしょ? なあなあ?」
 口田は頭が飛んでいきそうな勢いで首を横に振った。どうリアクションしたら良いか分かんないって感じ。ふん、と鼻を鳴らした耳郎にイヤホンジャックで頭を小突かれた。
「いてっ」
「そんな馬鹿なこと思うのはあんただけ。ってか思ってもないくせに、ほんと調子良いんだから」
 心底呆れた目で見つめられた。入学したての頃は耳郎のこういうリアクションにいちいちダメージを受けていたけど、今はもう全然めげない。平常運転だなって思うくらいだ。褒めるなよって軽く言ったら、耳郎は言い返すのを諦めたようだった。小さく息を吐く。
 
「寮でウチらだけ食べるわけにもいかないでしょ」
 別にダメってことはないけど、どうして三人だけ食べてんのとか、私も食べたいとか、いいな、とか色々言われるのは目に見えている。耳郎はひっそりこっそりやってしまいたかったんだろう。みんな食べ物に関してはかなり目ざとい。
「隠れて食うものは美味いしな」
「別に隠れてるわけじゃ……。まあそうか」
 あっさり認めた耳郎の言葉に笑うと、口田も微笑んでいた。




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