ひそやかに ささやかに / p.2

 一番早く食べ終わった耳郎は、ふあ、とのん気なあくびをした。口に手は当てているけど、大きく開いてるのが横から見える。
「昨日何時に寝たん?」
 そういえば三限の現代文の時間も眠たそうにしていたな、と思い出す。
「何時だったかな。一時半前には寝た気がするけど」
 耳郎は、バンド隊の俺と常闇にはギターの、ヤオモモにはキーボードのアドバイスノートを作ってくれた。全部手書きの、めちゃくちゃ詳しく書かれた虎の巻。同じギターの俺と常闇でも、中身はちゃんと違っていた。耳郎のこの熱意を受け取った瞬間に、俺のやる気スイッチはオンになった。常闇とヤオモモも、きっと同じだったと思う。
 丁寧に扱ってるつもりでも、毎日の練習でだんだんノートがよれてくる。申し訳ないと思っていたけど、耳郎はそれを喜んでくれた。昨夜の練習の後、追加で書きたいことがあるからと、俺と常闇のレッスンノートは一旦耳郎に回収された。で、今朝もう教室で返してもらった。

 授業は相変わらずきついし、文化祭前でも宿題は減らないし、耳郎は俺らに楽器を教えて、自分もベースの練習をして、爆豪と演奏について細かい打ち合わせをして、ダンス隊リーダーの芦戸とも時々話し合いをしている。つまり耳郎は、やることがいっぱいあるのだ。
「えー、無理すんなよ。耳郎が倒れたらマジでやべえから」
 口田も心配そうなジェスチャーしている。
「楽しいから全然無理なんかしてないよ。せっかくやるならとことんやりたいし」
 耳郎はぎゅっと右手を握りしめた。
「結構張り切ってんだ。無駄な趣味だと言われると思ってたから」

 自分がやるのも教えるのも楽しくて仕方ないって感じだから、無理してないってのは本当なんだろう。表情を見てれば分かる。もともと陰気なやつじゃないけど、この頃は前より明るくなったなと思う。
 だから俺にできることと言えば、バンド隊の足を引っ張らないように必死こいてギターの練習をすることと、授業中にうとうとしている耳郎をシャーペンでつついてやることくらいだ。

「なら良いけどさ。つーか、無駄じゃねえって。誰もそんなこと言ってねーだろ? いーじゃん好きなら。そんなこと、言うなよ」
 口田も何度も頷いてるのが気配で分かった。
 寮に入った初日に耳郎の楽器屋のような部屋を見た時から、これは趣味の域越えてんだろって思っていた。実際にバンドの練習を始めてみて、本当に耳郎は音楽が好きなんだなってことをひしひしと感じている。
「ヒーロー活動に関係ない趣味だから」と恥ずかしそうにしていたけど、そんな卑屈にならなくても良いのにって俺は思う。楽器弾けるなんてカッコイイし、自分の好きなものを大切にするのも良いことだし、趣味らしい趣味もない俺からしたら羨ましいことだらけだ。

 耳郎はしばらく黙った。膝に置いた空のカップを両手で包んで、じっとそこに視線を落としている。やがて大きく息を吸って、鼻から抜くと、こっちを向いた。
「……自分とみんなは、何が違うんだろうって、思ったりしない?」
 そしてまた、うつむいた。
「もちろん個性も体格も性格もみんな違うから、違うところだらけだし、個性と向き合って来た時間もそれぞれだってのも分かってるけど。でも専門的に勉強し始めたのは入学してからじゃん? スタートは四月で同じだったのに」
 耳郎の声は淡々としていた。何か考えているのか、そこで言葉を止めた。遠くの方から、ファイ、オーと掛け声がする。
「寮に入ってみんなと居る時間が増えたら、みんなの趣味や習慣が目に付くようになって。そしたら……、そういう何気ないことの積み重ねが、差になるのかな、とか思って」
 耳郎は地面につけていた足を浮かせて、ぷらぷら振った。
「本当に無駄とか思ってないよ。でも、みんなから見たらそうかなって。勝手にそんな気がしていた、だけ」
 ふーん、そういうことか。表情の読めない横顔を見つめながら、耳郎が言ったことをもう一度思い出してみた。

 当たり前だけど、寮に入ってからはみんなのオフの過ごし方が見えるようになった。完全に頭を切り替えて好きなことをしてるやつもいれば、夜も休みも自主練してるやつもいる。趣味とヒーロー活動が結びついているやつもいれば、そうじゃないやつもいる。つまり色々ってことだけど、小さいことでも比べて焦ってしまう気持ちは俺にも分かる。
 自分からやりたいと手を挙げて行動すれば、先生達はいつでもサポートしてくれる。先に行きたいやつはいくらでも先に行けるのが雄英だ。生徒の足並みを揃える、なんてことは全然ないから、何もしないとどんどん置いて行かれる。だからと言って周りのペースに合わせようとすると空回りするし。 
「そうだよなあ。特にインターン組なんか、目つき違うもんな」

 結局自分で自分の個性とか課題に向き合うしかないんだけど、やっぱりみんなの成長がよく見えて、焦って、でもマイペースにやんのが一番だろって思って、へこんで……毎日そんな感じの繰り返し。ちなみに俺は今、何とかなんだろって開き直ってる時期だ。
「でも、ヤオモモが言ってたじゃん。『学ぶペースは人それぞれですわ』って」
 せっかく裏声を使ってモノマネしてみたのに、耳郎から「似てない」とバッサリ言われてしまった。つらい。
 そういえば耳郎は二学期の初め、インターンに参加してみたいとか言っていた。でも結局行かなかった。そのことについては何も聞いてないけど、何だか色々悩んでいたのかもしれない。

 耳郎からこういう自分自身の真面目な話を聞くことはあまりなかったから、どういう言葉を掛けてやったら良いか迷う。うーん、と思考を巡らせようとしたら、今までほとんど喋らなかった口田が口を開いた。
「コツコツ一つのことを頑張れるのはすごいよ。それはヒーローになるために必要なことだと思うから、無駄じゃないよ」
 つぶらな瞳が真っ直ぐ耳郎に向けられていた。声のボリュームは小さいけど、言葉はとても素直でストレートに響いた。おお、と思った。
「いーこと言うじゃん! そうそう無駄なもんなんか一個もないってことで」
 耳郎はきょとんとして、パチパチ瞬きした。人差し指に耳たぶのコードをくるくる絡ませて、ちょっと照れてる感じだった。ありがと、と言いながら視線を外してうつむくと、ふうっと息を吐いた。
「もー、ごめん。こんな話。本当にもう、何も気にしてないんだ。そんな暇もないし。終わり終わり!」
 耳郎は大袈裟に太腿をたたくと、アイスが入っていたビニール袋を開いて、手早く空のカップとスプーンを回収した。そして、「捨ててくるね」とリュックを置いて行ってしまった。それで口田と俺は、二人でベンチに残された。ここから一番近いゴミ箱はどこだろう。耳郎の後ろ姿がどんどん小さくなっていく。

「アイス美味かったな」
 口田は小さく頷いた。またいつもの無口な状態になっている。俺は腕をぐっと上げて大きく伸びをした。
「口田はすげえなあ。ちゃんと耳郎の言ったこと拾って、ああいうこと言えんだから」
 さっきもそうだし、出し物を決めたあの夜もそう思った。口からぽろっと出た俺の言葉に対して、口田は困ったような顔をして手をぶんぶん横に振っていた。
「謙遜すんなって」
 口田は積極的に発言するタイプじゃないどころか、日常生活の中でさえほとんど無口だから、文章を喋っているところを見ると、口田ってこういうこと考えてんだな、ってちょっと感動する。寮で部屋は隣だけど絡むことはあんまりないから、クラスメイトでもまだまだ知らないことだらけだ。
「俺も口田みたいにもっと考えて喋りゃ良いんだよな。だからみんなから軽いとか言われんだろうな」
「そんなこと、ないよ」
「へ?」
 すぐに、しかも声で返事が来たからちょっとびっくりした。固まっている俺に向かって口田はもう一度、同じことを言った。そしてまた黙った。
 言葉は少ないけど、励ましてくれてるってのは分かった。素直に嬉しいと思った。
「そっか。ありがとな!」
 口田はぺこっと頭を下げた。
 だけどいじられキャラが身体に定着し過ぎて、優しい言葉に対してソワソワむずがゆくなってしまった。気の利いた言葉が思いつかなくて、目を泳がせていた時、はっとした。
「あ、つーか、帰るついでに捨てに行けば良かったんじゃね?」
 俺は口田のリアクションを待たずに立ち上がって、耳郎のリュックを持った。
「追い掛けようぜ」



 耳郎が歩いて行った方向へ歩き出すと、唐突に口田が言った。
「期末試験の時、耳郎さんに助けてもらったんだ」
 期末試験……と口の中でつぶやいて、ペアでやった演習試験のことだと分かった。クリアできなかった俺にとっては苦い思い出だ。
「あ、ペアだったよな! 確か口田が虫操ってクリアしたんだろ?」
 口田が小さく頷く。
「耳郎は口田のおかげでって言ってたぜ」

 その試験から数日後の英語の授業終わり、対戦相手だったプレゼント・マイクが口田に話し掛けていた。あれはきつかったぜ、と。マイクは声がデカいから教室中に会話が聞こえていた。そういえば、その時自分の席に居た耳郎は、後ろを振り返って、マイクに気づかれないように口田に向かってピースをしていたな。

 俺の言葉に口田は首を横に振った。そしてぽつぽつと、語った。

 先生の個性が強すぎてどうにもならなかったこと。対策が全然思いつかない中、蟻を見つけた耳郎が虫を操ることを提案したこと。口田は虫が大の苦手で怖いから嫌がっていたけど、耳郎がやれるって言ってくれたこと。その時の耳郎は、先生の個性のせいで耳から血が出ていたのに、痛がる素振りも見せずに励ましてくれたこと。
「僕はあの時、耳郎さんから一歩踏み出す勇気を貰ったから……。だから、僕も何かできたらって」
 耳郎から期末試験の話を聞いた時は、あまり自分は役に立ってない、という口ぶりだった。俺は自分の結果でいっぱいいっぱいだったから、とにかくみんなにクリアできたかどうかを聞きまくっていて、内容まで詳しくは尋ねていなかった。
「へえ、そうだったのか」
 出し物を決めた夜、引っ込み思案な口田がみんなの前で、あんな風に自分から喋るなんて珍しいと思った。今の話を聞いて、不思議に感じていたことがピタッとはまった。

 耳郎、良いじゃん、と口田の嬉しそうな横顔を眺めながら俺は思った。ひとの心を動かすなんて、ちゃんとヒーローらしいことできてんじゃん、って。自分と周りの趣味を比べて、自信をなくす必要なんてないのに。

 俺から見ればよくできていて、羨ましいと思えるようなことに納得していなかったり、悔しがったりしているクラスのみんなの姿を、この数ヶ月の間に何度も見てきた。ひとからしたら何でもないようなことが一大事だったりするんだな、と気づくこともあった。
「何だあいつ、もっと堂々としてりゃ良いのに」
 俺がそう言うと、口田は大きく頷いた。自分のしてもらったことをちゃんと覚えていて、それを返そうとする口田も素直で良いやつだなと思った。控えめな性格でも、そこはヒーロー志望、ちゃんとお節介だ。

 みんなそれぞれ譲れないものとか軸があって、それをすごく大切にしている。理解できるものもあれば、生きづらくねえか? って思うものもあるけど、こだわりを持っているみんなをカッコイイと思う。
 耳郎もきっとそういうものがあって、俺らには分からない基準で自分を測っているのかもしれない。卑屈になると困るけど、そういうものを持っているのは良いことだ、と思った。



「あれ、何で?」
 少し離れた校舎の影から耳郎が現われた。俺らを見つけて小走りでやって来る。
「お迎えにあがりましたよっと」
 俺は耳郎のリュックを肩の高さまで持ち上げて見せると、投げるふりをした。すると耳郎はすかさず、投げんな! と怒って走るスピードを上げてきた。慌てて大きな口田の背中に隠れる。もちろん投げるつもりは最初からなかったから、ちゃんと手渡した。
 耳郎は、もう、と呆れたように言いながらリュックを背負った。耳郎を真ん中に、三人で横に並んで歩き出す。

 夕方の色づいた日差しが放課後の校舎を照らしていた。影がどんどん伸びていく。来る時に通った木の傍にはもう誰も居なくて、運動部の元気な声だけが遠くで響いている。
 あと数週間経ったら、あちこちいっぱいに飾りがついて賑やかな文化祭が来る。うちのクラスをよく思っていないひと達も居るらしくて、それはちょっと怖くて嫌だけど、やっぱりイベント事はワクワクする。楽しい日になると良いなと思う。
「文化祭、頑張ろうな!」
 ぐっと親指を立てて言うと、耳郎はクールな表情のまま勝気に口の端を上げた。
「そうだね」
 その隣で口田も頷いている。
 改めて自分たちを見ると、珍しい組み合わせだ。でも、ちょっとした秘密を共有したみたいで面白かった。こんな風に普段のメンバーとは違うやつと関わるきっかけになるのは、行事の良いとこだよな、うん。

 俺らはのんびり歩きながら、今日もいっぱい出された課題のことや、明日の授業のことや、演出隊の計画や、バンド隊の進み具合や、そんなことを話しながら寮へ帰った。




2020.01.31(2020.2.24 修正)



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