OH MY LOVE / p.4

 せっかくの休日を家でじっとしているのが勿体なくて、上鳴は掃除や溜まっていた洗濯を終えると街へ繰り出した。目的がないのだから当然だが、特に行くあてがない。何となく映画館に立ち寄ってみたものの、丁度良い上映時間の作品ではいまいち好みのものがなかった。何でも良いから適当に見るか、それとも出るか、どうしようかと迷う時間を稼ぐために公開予定の映画のフライヤーを眺める。
 上鳴はたくさんあるフライヤーの中から、一枚を手に取った。表をさっと見て、裏返す。フランスのとある時代のクラブミュージックを題材にした、若いDJが主人公の青春映画のようだ。有名なんだろう曲のタイトルがいくつも並べられている。耳郎はこの辺の音楽も詳しいんだろうか、とぼんやり思う。
 ざわざわとひとの話し声が聞こえてきたと思ったら、何人も上鳴の横を通り過ぎて行く。何かの上映が終わったらしい。

 耳郎に会ったらこの映画の話をしてみたいところだが、相変わらず彼女から連絡はなかった。思わずため息が出る。せっかくだから貰って帰ろうと、フライヤーを二つ折りにしようとしたら、トントンと背中を叩かれた。急なことに驚いて、反射で振り返る。
「久しぶりね、上鳴ちゃん」
 そこには、高校時代のクラスメイトの梅雨が立っていた。





 休日に映画を見ていたという梅雨も特に他の用事はないとのことで、お茶でもしようと二人で映画館を出た。
 彼女に連れられて入ったカフェは、中心街から少し外れたところにある小ぢんまりとした店だった。梅雨は何度か訪れているようで、店主と親しげに挨拶を交わした後、二人は奥のテーブル席に座った。店内には他に、若いカップルと中年女性のグループが一組ずつと、一人で来ている若い女性が二人ほど居た。

 注文を済ませた後、梅雨は首に巻いていたストールをほどく仕草をした。
「それ、似合ってんね」
 上鳴は梅雨が触れているそれを指差す。青みがかったグリーンの地に大きさの違う白いドットが散りばめられているデザインのストールだ。
「ありがとう。この間弟と妹がこっちに遊びに来て、一緒に買い物に行った時に選んでくれたのよ」
「へえ、相変わらず仲良いんだ。綺麗な色で良いね」
 なかなか実家に帰ることができなかった高校時代、梅雨はよく弟や妹とビデオチャットをしていた。上鳴は一回ちらっとその通話に参加したことがある。彼らが姉の友人を見てみたいと言ったので、クラスメイト数名でスマートフォンの小さい画面に映り込んで少し喋ったのだ。二人とも兄弟とすぐ分かるくらい梅雨に似ていて、素直そうな可愛い子どもだった。
「上鳴ちゃんに褒められたって、今度二人に伝えておくわ」
 梅雨は嬉しそうにケロッと笑うと大切そうにストールを折りたたみ、ソファの空いたところにそっと置いた。

 注文していたホットコーヒーとシフォンケーキが運ばれてきて、上鳴は湯気の立つカップに口を付けた。梅雨の目の前には同じ飲み物とコーヒーゼリーがある。梅雨のおすすめだというゼリーを上鳴も注文するつもりだったがケーキに目移りしてしまい、どうしようかとしばらく悩んでいたら、自分が食べたいものを食べれば良いのよ、と言われて結局シフォンケーキを選んだ。
 上鳴はバニラアイスクリームが乗ったゼリーを見て、やっぱりそっちも美味しそうだと熱いコーヒーをすすりながら思う。そして今度来たらそれを頼もうと心に決める。その瞬間に、耳郎にもこの店を教えたいなと、また無意識に彼女のことを考えていた自分に気が付いた。
「上鳴ちゃん、元気ないわね」
「え?」
 梅雨の大きな瞳に真っ直ぐ見つめられて、上鳴はその目力に押されてぎこちなくカップをソーサーに戻した。
 自分としては普段通りのつもりだったから驚いてしまった。だけど彼女は高校三年間、家族よりも長く一緒に過ごした友人の一人なのだ。些細なことから感情の機微を読み取られるのは不思議ではないのかもしれない。特に梅雨は、日常生活でも授業中でも周りをよく見ている子だった。彼女は常に冷静で感情が安定しており、誰にでもはっきりとものを言う。演習授業で梅雨と同じチームになれた時の安心感といったらなかった。彼女の存在に支えられていたクラスメイトは上鳴だけではないだろう。
 プロヒーローになって自分も多少は頼りがいのある大人になりつつあるつもりでいるが、こうして梅雨と対面するとつい学生時代の自分に戻ってしまうのを上鳴は感じた。
「分かる?」
 ぽろっと素直な言葉を落とすと気が抜けた。何も言わずとも伝わるこの感じが懐かしい。
「えぇ」
 梅雨はコーヒーを一口飲んだ後、スプーンでアイスクリームとゼリーをすくって食べ始めた。ゆったりと構える様子に、お姉ちゃんって感じだよなと思う。彼女に先を促されずとも、上鳴は自然にぽつりぽつりと耳郎とのことを話し始めていた。

 卒業後疎遠になっていた耳郎と今年の五月に再会してから時々食事に出掛けていたこと、普通に楽しく過ごしていたはずなのに、いきなり耳郎の反応が素っ気なくなってしまったこと、原因が全く思い当たらないこと、また誘いたい気持ちはあるが気まずくて連絡ができていないこと。
 ここ数ヶ月の出来事をゆっくり思い出しながら喋ったが、やっぱり耳郎の態度の意味は分からなかった。
 ちなみに、恋愛対象として好意を持っているという辺りはぼかした。デートに誘ったとか手を繋いだとかは言わなかった。いくら心を許している相手とはいえ、だからこそ恥ずかしいということもある。梅雨と恋愛の話はしたことがないし。彼女は美味しそうにゼリーを味わいつつ、適度に相槌を打って聞いてくれた。

 上鳴は話している途中で、そういえば女子会をやると耳郎が言っていたことを思い出した。耳郎に最後に会ったのは上鳴より梅雨が後ということになる。何か耳郎の変化について手掛かりがあるかもしれないと思って、聞いた。
「そういや夏に女子会やったんだって? 耳郎、俺のこと何か言ってた?」
「言ってたわよ」
 梅雨は即答した。
「何て?」
 そのことに驚いて食い気味に返事をしてしまった。緊張した自分をごまかすように、まあ大した話題ではないだろう……と一瞬で思い込んで、飲みやすい温度になったコーヒーを口に運ぶ。が、梅雨はさらっと続けた。
「今度デートに行くって」
 カップに唇を付けたまま、上鳴は視線を上げた。
「あと、上鳴ちゃんから手を握ってくれたって」
「ブフッ」
「あら、大丈夫?」
 飲み込みかけたコーヒーが変なところへ入ったようで、上鳴は大きく咳き込んだ。吹き出すなんていう汚い真似は何とか我慢した。テーブルにカップを置いた時に少しこぼれてしまったコーヒーを梅雨は自分のおしぼりでさっと拭く。
「あ、ごめっ」
「良いのよ」
「あり、……くっ、ありがと」

 呼吸を整えながら上鳴はお冷を少しずつ口に含んだ。何度かそれを繰り返して、ようやく落ち着くことができた。安堵のため息をついた後に、はっと我に返る。全然落ち着けない。
「ってか、え、マジ? 耳郎それ喋ったの!?」
「えぇ」
「マジで!?」
「マジよ」
「嘘だろ。あ、じゃあ他の女子も……」
「みんな知ってるわ」
 混乱している上鳴とは対照的に、梅雨はいつも通り平然としている。しかしどこか楽しそうだ。それに気が付いて上鳴はかっと顔が熱くなるのを感じた。

 耳郎の目の前に居たあの自分は、耳郎にだから見せることができる姿だった。これ以上ないほどの純情のかたまりだった。そんな素の部分を知らず知らずのうちに共有されていただなんて、裸を見られるより恥ずかしい気がしてくる。いや、裸も充分恥ずかしいが。
 何より、耳郎がこういう話題を友人たちに喋るとは思っていなかった。だから余計に衝撃が大きい。照れ屋のくせに、まさかのまさかである。
 頭を抱えかけたところで、嫌な予感が身体を駆け巡った。
「じ、耳郎もしかしてさ、……上鳴いきなり手繋いできてマジキモイとか、言って、た?」
 もしかしたら愚痴として披露した可能性があるのでは、と思い直した。あの夜の様子では全然そんな風には見えなかったし、実際今も本気で尋ねてはいない。ただ、自分の傷が広がらないように張る予防線は多い方が良い。あんなに優しい時間を過ごしていた間、実は気持ち悪いだなんて思われていたなら、自分はもう一生女の子を信じられなくなってしまうだろう。
 その不安をかき消すように、梅雨ははっきり首を横に振った。
「いいえ。嬉しそうだったわ」
「そ、そっか」
 上鳴は沈みかけた身体を起こした。きっぱりと否定してもらえて安心したが、今度は何だか照れてしまう。そうか、嬉しそうだったか……。にやけそうになったところで、ふと現状を思い出す。ならばどうして、耳郎は自分を避けるようなことをしてくるのだろう。

 寂しい気持ちを紛らわすように、上鳴は小さく息を吐いた。そして手つかずのシフォンケーキを一口食べる。気分が沈んでいても、美味しいものはちゃんと美味しかった。生クリームもすくって後から口に入れる。
「私たちに喋ったこと、怒らないであげて」
 ため息を梅雨は違う風に受け取ったらしい。ケーキを頬張りながら上鳴は慌てて左手を振る。
「いやいやいや、当たり前じゃん。怒んねえって。まあ、めっちゃ恥ずいけどな……」
 耳郎と梅雨以外のA組女子の顔がふっと思い浮かぶ。何をどう考えても恥ずかし過ぎて、叫びながら走り出したいくらいだ。気を静めるために食べることに集中しようと、シフォンケーキにフォークを入れる。

「響香ちゃんがこういう話を自分からしてくれるの、初めてだったの」
 梅雨の言葉に、上鳴はフォークをくわえたまま顔を上げた。コーヒーカップに手を添えている彼女は、目が合うと静かに微笑んだ。
「だから私たち、とっても嬉しかったのよ。しかも相手が上鳴ちゃんって聞いて、もっと嬉しかったわ。響香ちゃんも上鳴ちゃんも大切なお友達だから」
 梅雨はコーヒーを一口ゆっくり飲むと、穏やかな声で続けた。
「私たちの高校生活は学校や先生たちに守られて、とても恵まれていたと思うの。それでも、我慢したこともたくさんあったわね」
 彼女の語りかけるような口調が、すっと胸に染み込んでいく。上鳴はフォークを握りしめたまま、じっと梅雨を見つめた。
「だから今、みんなで集まって美味しいものを食べながら、自分たちの趣味や恋愛や好きなことを素直に話せることが、とても楽しいのよ」
「梅雨ちゃん」
 丁寧に紡がれた言葉のひとつひとつが、上鳴のさっきまでの居た堪れない思いを一枚ずつ剥していくようだった。
 上鳴は、女子会で自分のことを話した耳郎の気持ちを、初めて素直に思いやってみた。自分の好きな人が友人たちから大切に思われていることも、彼女の恋心が見守られていることも、すべてが嬉しかった。そして自分もまた、大切な友達と言ってもらえることも。今胸に湧いている優しさは、耳郎の手を握った時の気持ちとよく似ていた。

「……耳郎に、会いたいな」
 ひとりでに言葉が口からこぼれた。ケロッと梅雨が笑う。
「会えば良いのよ」
「でもさあ……。何でこんな微妙になっちゃったんだろ」
「きっと何か事情があるのよ。本当にただ忙しいだけかもしれないし。響香ちゃんはその日の気分でころころ意見が変わるような性格じゃないもの。それは上鳴ちゃんがよく分かっているんじゃないかしら」
 上鳴はぐっと言葉に詰まる。耳郎に関してそういう風に言われることは高校時代からあって、それを上鳴はちょっと得意気に受け入れていた。だけど、当時よりも親しくなったはずの今の方が耳郎のことが分からない。距離も近づいたのか離れたのかさっぱり不明だ。
「……俺は耳郎のこと、よく分かってる自信はねえよ。でも気分屋じゃないってのは、そうだな」
 耳郎が距離を取っているかもしれない、その違和感について上鳴は一度も彼女に尋ねていないことに今さら気が付いた。もしも意図的に避けられているのではと思うと怖くて、本当のことを聞く勇気がなかったのだ。
「本人に直接聞かなきゃ分からないわね」
「うん。そうだな」
 だが、こんな当たり前の確認をせずに悩み続けるのは、さすがに時間の無駄だとようやく思えた。それは今日梅雨に会ったからだ。耳郎ときちんと向き合えずにいて、何が好きな人だ。
「梅雨ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
 上鳴は久しぶりにすっきりとした気持ちになって、お礼を言った。それからはお互いの近況を話し合った。
 夕方、駅での別れ際、
「頑張ってね」
 と梅雨は笑った。上鳴は頷きながら、改札へ向かう彼女に手を振った。

 善は急げとばかりに、上鳴はすぐに耳郎へメッセージを送った。話があるから会いたいと。
 まだ夕方の五時頃だった。夜まで返事は来ないだろうと、自宅へ帰るために電車に乗り込んだら、意外にもすぐメッセージは返ってきた。




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