Chapter 1 / 第2話

 予約していたCDを買って店を出ると、街は休日らしく賑わっていた。
 服屋や雑貨屋、本屋にコーヒーショップといった色んな店が立ち並ぶこの通りは、いつも土日になると混雑している。
 それにしても今日はやけに人が多いなと思っていたら、この辺の道路が歩行者天国になっていることに気がついた。少し離れた広場で縁日のようなイベントをやっているらしい。
 もうちょっとぶらぶらしていこうと思っていたけど、人が多いし、もう帰ろうかと考え直した時だった。ウチは、ん? と思って立ち止まった。
 どこかから、聞いたことのある声で呼ばれた気がしたのだ。じろー、って。

 軽く周りを見渡してみたけど、誰が呼んでいたのかは分からなかった。すごく小さい音量だったし、もしかしたら気のせいだったかもしれない。そう思って再び歩き出したら、もう一度聞こえた。今度は幼い子どもの声で、さっきよりもはっきりと。
「ジロー!」
 って。
 どうやら自分の名前が聞こえたのは気のせいじゃなかったらしい。だけど、
(あ、やっぱりウチのことじゃなかったな)
 とこれで確信した。子どもの知り合いなんていないし、あの呼び方だとたぶん、犬とか猫のことかもしれないなと思ったからだ。たまにいるんだよね。家の近所にも子どもの頃、ジロウって名前の犬がいた。それでクラスの男子にからかわれて、ムカついて喧嘩したことがある。まあ、ありがちな話だ。
 でもペットに付けるなら今時古風な名前だよな。そうぼんやり思った時、また最初の聞き覚えのある声がした。

「あれ、人違いかぁ? いやでも、どう見ても……」
 どこかのん気で、抑揚のある声。それを追いかけてまた、「ジロー!」と子どもの声がする。子どもの方は知らないけど、もう一人は……分かった。
 ウチが振り返ろうとした時だった。それとほとんど同じタイミングで、
「おーい! じ・ろ・う・きょ・う・か!」
 めちゃくちゃデカい声で名前を呼ばれた。
 突然のことにびっくりして思わず肩が跳ねる。その声の方を見れば、道行く人の中に金髪の男子がいて、こっちに近づいて来ていた。なぜか幼稚園児くらいの歳の男の子を肩車して。
「お、やっぱ耳郎じゃーん。シカトすんなよ~」
 周りにいる人たちがチラチラとそいつ――上鳴電気――を見て、それからウチの方にも訝しげな視線を投げて、通り過ぎて行く。
 上鳴は白い襟付きのシャツにカーキ色のパーカーを羽織って、くるぶしが見える丈のジーンズを履いていた。私服は初めて見たけど、チャラチャラしてうるさいイメージとは違って、案外シンプルな格好をしていた。へらっと笑ってこちらを見ている。その顔を見て、ようやく遅れて恥ずかしさが込み上げてきた。一気に頭がカーッとなって、大股で上鳴に近づいて詰め寄る。

「ちょっと! デカい声で呼ばないでくれる!?」
「うぇっ、何キレてんだよ!? だってお前が気づかないから……」
「だからって、フルネーム叫ぶことないでしょ!?」
「いや、つーか、お前も声でけぇよ!?」
 そう言われて、ぐっと言葉に詰まった。気づけば上鳴に呼びかけられた時よりも周りに注目されている気がする。人々の視線がやけに刺さる。
 これ以上目立つのはごめんだから、ウチは落ち着くために深呼吸をした。身体中が熱くてたまらなくて、ブルゾンの袖を肘のところまでたくし上げる。上鳴はゆっくりしゃがんで、「ちょ、一旦下りて。肩いてぇ」と情けない声で言った。男の子はまだ乗っていたかったみたいで、しぶしぶといった感じで地面に足を付ける。
「いやあ、こんな小さくても結構重いもんなんだな」
 肩をぐるぐる回しながら上鳴が立ち上がる。
「その子、……親戚の子?」
 兄弟にしては歳が離れているし、見た目も全然似ていなかった。男の子の髪は黒いさらさらのお坊ちゃんカットで、ちょっと垂れ目だ。髪と同じ色の黒い瞳がウチらをぼんやり見上げている。
「いや、迷子なんだよ」
「迷子?」
「うん。さっきあの木の傍で会ったんだけど」
 そう言って上鳴は、自分が来た方向を指差す。そこには街路樹が何本か植わっていて、その下にベンチが並んでいた。
「お母さん探しながらきょろきょろしてっからさあ。一人だと危ないし、俺も一緒に探してんの。外だと迷子センターもないし」
「そうだったんだ」
 辺りをぐるっと見渡してみる。
「ヒーロー……は、いないみたいだね」
「さっき一人いたんだけど、道に迷ったっぽい外国の人に話し掛けられて行っちゃったんだよね」
「そっか」
 離れた広場の方から、マイクを通した可愛らしい声が響く。軽快な音楽も流れ始めて、アイドルでも来ているのかもしれないと思った。ヒーローも今は広場の方に集中しているんだろう。
「そしたら耳郎見つけて。もー良かったぜ。俺一人じゃどうしようかと思ってて!」
 上鳴がずいぶん親し気な調子で言うから、ちょっと驚いてしまった。こいつとは教室で席が隣だから、学校がある日は毎日必ず一回は喋っているけど、こんな風に会って安心されるほど仲が良いとは思っていなかった。そういえば、ウチの下の名前を認識していたのも意外だった。
 でもこいつは人懐っこいというか、初対面でもかなりぐいぐい話し掛けていくタイプだから、知り合いになればもうこういう距離感になってしまうのかもしれない。
(……あ、いや、違うか)
 ウチは耳たぶから下がるコードをくるくると指に巻いた。

 ウチらはとりあえず、二人が最初に出会ったという街路樹のところへ戻った。お母さんもこの子を探しているはずだから、あんまり場所を動かない方が良いと思ったからだ。ウチはイヤホンジャックをするすると伸ばして、だけど思い直して途中で止めた。
「でも迷子のためとは言え、やっぱここで個性使っちゃったらマズくない?」
「へ?」
 男の子を抱っこしてベンチに座らせた上鳴が、とぼけた声を上げてウチを振り返りじっと見つめてくる。数秒見つめ合っていたら、上鳴はハッと何かに気づいたような顔をした。
「……あっ! そっか! お前の個性、こういうのに打って付けじゃん!」
 今度はウチがぽかんとする番だった。
「え……、それでウチのこと呼び留めたのかと思ってた」
「いや、知ってるやついたから声掛けただけ」
「あ、そう。……まあそうか」
 高校に入ってから毎日当たり前のように個性を使いまくっているから、ウチはつい自然に使うことを考えてしまっていた。
 でも公共の場では原則個性の使用は禁止。他人に危害を加えない、本人がちょっと便利になるくらいの使用なら黙認されているような状況だけど、人助けだからと言ってヒーローを目指している身で法律を破るのは良くない。しかも使うのは、遠くの音も聞き取る個性。人を攻撃するようなものじゃないけど、プライバシーに関わることだからやっぱり使ったら駄目だ。
 普通に考えたら、個性を使うなんて全く思いもしなかったっていう上鳴の認識の方が正しい。けど、てっきりウチの個性を頼りにしたかったんだと思っていた。じゃあ、こういうこと抜きであんなに親し気な様子だったのか。そう思うと何だか調子が狂いそうだった。

「名前は?」
 とりあえず男の子とコミュニケーションを取ろうと、身体を屈めて視線を合わせる。でも口をぎゅっと結んだ男の子に首を横に振られてしまった。
「……」
「知らない人には教えらんないって」
「……しっかりしてるね」
 すでにこのやり取りをしたんだろう上鳴が横から入る。
 肩車をしてウチの名前を呼ばせていたくらいだから、てっきり打ち解けていたのかと思っていた。でも、そうじゃなかったのか。子どもって難しい。
「お母さんどんな格好してたって聞いても分かんないって言うし、もうこの子に見つけてもらうしかねえんだよな」
「あ、それで肩車してたんだ」
「うん」
 上鳴も男の子の隣の空いたスペースに腰を下ろす。
「お母さんとあっちの店にいたんだよな?」
 状況を整理しようとしたのか、上鳴が男の子に尋ねる。すると男の子は少しきょろきょろして、上鳴が指差した方向と反対を指してみせた。
「あっち」
「えっ、さっきこっちって言ったじゃん!」
「子どもなんだからしょうがないでしょ」
 ぱっと見て三歳くらいだろう。物心がつくかつかないかくらいの子なんだから、言うことがころころ変わっても仕方ない。どうすっかなあ、と上鳴がぼやくのを聞きながらウチもベンチに腰を下ろした。

「あ、その靴よく見たら13号先生じゃね?」
 上鳴の声に、ウチは視線を下ろした。男の子が履いている靴を見たら、確かにマジックテープのところに13号先生のイラストがプリントされていた。男の子が元気良く「うん、13号だよ」と頷くと、上鳴は興味津々で足元を覗いた。
「へえ、こういうグッズも出てんのか。子どもに人気あるもんなぁ。好きなん?」
「13号はやさしくてかっこいいから好きなんだ」
「確かに、先生優しいし格好良いよなあ」
 同意する上鳴に、男の子がきょとんとして見せる。
「先生じゃないよ、ヒーローだよ」
「いや、ヒーローだけど先生でもあるんだよ。俺らの通ってる学校の先生なの」
「えー、ほんと?」
「ほんとほんと」
「ぼく、一緒に写真撮ったことあるよ」
「すげえじゃん。俺はねえや」
 二人のぽんぽん続く会話を、ウチは黙って聞いていた。上鳴が子どもと接するのが平気そうで良かったと心から思いながら。泣いたり警戒されたりしたら、ウチはどうしたら良いか分からないし。
 男の子が上鳴に指先を向けて、「ブラックホール!」と言う。それで上鳴が吸い込まれる真似をしていた。それを横目にウチは立ち上がった。上鳴がこの子の相手をしているんだから、ウチも何かしなきゃと思ったのだ。
「ん、耳郎どした?」
「ちょっとこの辺見てくるよ。二人でそこにいて」
「おう、分かった。よろしく」
 とりあえず男の子がさっき指差した方かな、と思いつつそっちに足を向けた時だった。ふいに焦った女性の声が聞こえた。雑踏に紛れて何を言っているかは判別できなかったけど、声の調子からして誰かを呼び掛けている感じなのは分かった。

「ねえ、今それらしい声したよね!?」
 慌てて振り返ったけど、上鳴には聞こえていなかったようだった。個性の影響か、ウチは普段から耳がかなり良い方だから、ここからだとたぶんウチにしか聞こえなかったのかもしれない。
 上鳴の方を見ている間に、さっきよりも近づいた距離でまた女性の声が聞こえた。
「あっち! 絶対そう!」
「お、マジ!?」
「おかあさん?」
 声がした方向を指差すと、上鳴はベンチから降りて身体を屈めた。
「おっし、じゃあもう一回いくぜ!」
 その背中に男の子がよじ登る。しっかり肩に座ったのを確認してから、上鳴は立ち上がった。
「どうどう? いる? 呼んでみ!」
「おかーさーん!」
 今までで一番大きい声で男の子が叫ぶ。何度も何度も呼ぶのを聞きながら、ウチも背伸びして人混みの中を覗く。

 するとすぐ、「たくみ!」と声を上げた女性が人波の間を縫ってこちらにやって来るのが見えた。上鳴に担がれた男の子も、「あ、いた!」と嬉しそうに叫ぶ。今にも飛び降りそうな勢いでじたばたし始めたから、慌てて上鳴がその場にしゃがむ。転ばないようにウチも脇に行って男の子に手を添えた。でも本人はウチらの焦りはお構いなしに、いそいそと上鳴から降りてお母さんの方へ走っていった。
「もう、どこ行ってたの!」
 涙目になっているお母さんにさっそく抱き上げられ、男の子はその首元にぎゅうっとしがみついた。それを見て、ウチも安心して気が抜けた。あまり人見知りせず上鳴と遊んでいたし、結構肝が据わった子だなと思っていたけど、やっぱりすごく不安だったよね、と思う。
 隣を見てみたら、上鳴もウチと同じようにほっとした様子だった。




2021.06.29



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