Chapter 1 / 第3話

 男の子のお母さんから何度もお礼を言われたけど、大したことはできていないからどうも申し訳なくて、隣の上鳴もそんな雰囲気だった。ウチらは恐縮しながら親子と別れた。

 あてはないけど何となく二人で同じ方向に歩き出す。すると不意に上鳴が「あ、」と何かを思い出したような声を出した。
「呼び止めておいて何だけどさ、耳郎用事なかった? 大丈夫?」
 時刻を確認すると十二時を少し過ぎた頃だった。上鳴と会って何だかんだもう三十分くらいが経っている。
「うん、もう帰るとこだったから」
 ふーんと上鳴が相槌をうつ。そして続きを待っているような表情でこっちを見てきたけど、ウチは言葉に迷ってすぐに返事ができなかった。
 CDショップで買い物をしていただけだから人に言えないことなんてないけど、それを上鳴に教えたら、「どんなCD買ったん?」とか「どんな音楽聞いてんの?」とか色々聞かれそうな気がして、それが面倒だったから言わなかった。人によっては大した話題じゃないかもしれないけど、好きな音楽を教えるって、ウチにとっては自分の内面を見せることと同じ気がして、あんまりペラペラと喋る気分になれないのだった。

 そういえば、と思ったこともあったからウチは話題を変えた。
「ていうかあんたこそ、今日他のクラスの女子と遊びに行くんじゃなかったの?」
 昨日の昼休み、教室前の廊下での光景が頭に浮かぶ。
 上鳴は普通科の教室の前で見知らぬ女子と喋っていて、ウチとヤオモモがそこを通り過ぎる時、めちゃめちゃテンション高く「えっ、マジ! じゃあ明日とかどう!?」と言っていたのだ。その女子が「良いよ~」と返事した声も背中の方から聞こえた。
 ウチの質問を聞いて上鳴の唇がちょっと引きつった。
「……っ、待ち合わせ二十分前にドタキャンされたんだよぉ! もうここに着くって頃に連絡来てさあ」
「あぁ……」
 しょっちゅう女子をナンパしているのはどうかと思うし何なら若干引いていたけど、約束の二十分前に到着しているっていうのは意外に健気だ。いつも振られているところしか見たことがなかったから、たぶん高校生活で初めて成功したナンパだったのかもしれない。
 憐れみを込めた眼差しで見つめていると、上鳴の悔しさが滲みまくった表情がふと元に戻った。きょとんと瞬きを繰り返しながら見つめ返される。
「……あれ? つーか何でそれ知ってんの?」
「あんなデカい声で廊下で喋っておいてよく言うよ」
「えー、そうだったかな」
 ちょっと気まずそうに上鳴が頭を掻く。
「でもまあ、遊んでたらあの子に気づかなかったかもしれないし、これはこれで良かったか」
 そう言って今度は吹っ切れたような顔をする。表情がころころ変わる忙しい人だなと思った。
 上鳴は腕を上げて大きく伸びをする。
「もうやることねえし、マックでも寄って帰るかな。耳郎も行く?」
 真っ直ぐ見つめてくる黄色い瞳と目が合う。
 あまりに自然で気軽な調子だったから、何かを考えるよりも先に、気づいたらウチは頷いていた。頷いてから(え、上鳴と二人でマック行くんだ?)と今さら他人事みたいにびっくりしている。
 上鳴も上鳴で一瞬、「おっ?」って顔をしたから、ウチがOKするとは思っていなかったのかもしれない。じゃあ何で誘ったんだよと思いつつ、上鳴ってこういう感じの性格だろうなと妙に納得する自分もいた。
 上鳴に気まずそうな様子はなくて、次の瞬間にはもう楽しそうな雰囲気になって、
「何食おっかな~。耳郎何にする?」
 とのん気にウチに話し掛けていた。







 日曜日のランチ時だから当然店内は混んでいて、ちょうど空いたカウンター席にウチらは並んで座っていた。正面に向かい合うのは何となく気まずいと思っていたからこれで良かった。
 窓ガラス越しに見える道行く人達を眺めながらフライドポテトをつまむ。窓に映っている隣の上鳴は、ダブルチーズバーガーを頬張り満足げな顔をしていた。ウチも自分のテリヤキバーガーの包みを開けてかぶりつく。

「あー、帰ったら掃除と洗濯しなきゃ。めんどくせー」
 ストローでコーラを吸った後、上鳴がぼやいた。
「あぁ、一人暮らしだっけ?」
 ウチがそう言うと、上鳴はもう一口コーラを飲みながら頷く。
 一人暮らしをしている高校生って一般的には珍しいだろうけど、雄英高校では結構普通のことだったりする。ヒーロー科に限らず全部の科がそうだ。全国から生徒が集まるから、学校の近辺で一人暮らしや下宿をしている生徒が大勢いる。そういえば上鳴は埼玉出身って言ってたっけ、と入学初日に交わした会話を思い出す。
「やる気出ねえとマジで面倒なんだよな」
「全部自分でやんなきゃだもんね。一人って大変そう」
 上鳴が一人暮らしをしているのって、全然想像がつかない。
 よく宿題をやってくるのを忘れたり(やったけど家に忘れたと本人は言っている)、授業が分からなくて頭がショートしていたり、演習中にドジなことやったり、上鳴はとにかくおっちょこちょいだから自分一人で身の回りのことをしている姿が思い浮かばない。まあ、どんなに苦手だとしても自分自身でどうにかするしかないんだから、やるしかないんだろうけど。ウチは自宅から通っているからその苦労は想像でしか分からない。

 上鳴はコップを置いて、ウチの言葉に深々と頷いた。
「大変、マジで大変」
 あまりにも実感のこもった言い方に気を取られて、ウチは口に近づけたバーガーを持つ手を止めた。
「最初はさあ一人暮らしって憧れてたし、自由で良いじゃんって楽しみにしてたんだけど。今思えば楽観的だったなあ」
「学校から帰ってから家事やんないとだもんね」
 特に演習授業があった日はしんどいだろうなと思う。疲れていてお腹もめちゃくちゃ空いているから、そこから家でもう一仕事なんて怠過ぎる。
「うん。まあ、家事がめんどいっつうのも勿論そうなんだけど。それより何より、結構寂しいんだよな」
 上鳴は窓の外に視線をやりながらそう話すと、ポテトを二本つまんで口に放り込んだ。それを見てウチも思い出したように食べるのを再開する。
 味の濃いテリヤキバーガーを口に入れたはずなのに、何だか味がよく分からない。胸の辺りがどぎまぎして、そっちに気を取られてどうも落ち着かなかったのだ。
 だって同年代の男子の口からこんなに素直に、「寂しい」なんて言葉が出てくるなんて思いもしなかったから。高校生の男子って、自分の弱気な部分を表に出すのは恥ずかしいとか格好悪いとか思っているもんなんじゃないの。ていうか男子に限ったことじゃない。ウチだってそうだ。しかも、付き合いの長い友達相手にこぼすならともかく、正直友達ってほどでもない同じクラスの女子にそんなこと言う?

 頭の中で忙しく一人でツッコミを入れつつも、上鳴にびっくりさせられるのは初めてじゃなかったから、正直なところ、また驚かされたなっていう印象だった。
 入学したての頃、上鳴が演習の授業でビビりまくって騒いでいるのを見た時も、ウチはこんな風に内心かなり驚いていた。というかまあまあ衝撃だった。え、こいつ何言ってんの、って。
 こっちは雄英高校のヒーロー科に合格できた嬉しさと緊張感が混ぜこぜになって、自分のみっともないところなんて意地でも周りに見せないって意気込んでいたのに、そんな感情とは真逆のやつがすぐ傍にいたから拍子抜けしたというか何というか。雄英高校のヒーロー科はギラギラした人しかいないと思っていたこともあって、とにかく上鳴の存在はウチの目に異質に映った。

「……あ。で、でももう慣れてきたぜ。それに俺以外も一人暮らしいっぱいいるし、大変でも皆同じだよなって思って!」
 上鳴は突然急ぎ足でそう言い、残りのバーガーを口の中に押し込んでくしゃっと紙を丸めた。そしてもぐもぐしながらなぜかわざとらしい笑顔を作り、右手の親指を立てて見せる。ウチが無言だったから気まずかったのか、それとも寂しいなんて言うのは恥ずかしいと後から思い直してこの空気を誤魔化したのか、どっちだろう。
 どちらにせよ、きっといつも思っている本音だから、あんなに簡単にぽろっと口から出てきたんだろうということだけは分かった。知ったらいけない内面を覗いてしまったような、変な居心地の悪さがあった。
「うちのクラスも結構いるもんね、一人暮らししてる人」
 話題を逸らしたくてそう言うと、心なしか上鳴もほっとしているような気がした。
「ん、そうそう。この間初めて切島のアパート行って、一緒に焼きそば作ったんだけど」
「え、あんたら二人で料理とか危なそう。怖い」
 ウチもあと残り一口になっていたバーガーを口に入れた。
「おい何だよそのイメージ! や、でも、実際色々やばかったんだけど」
「ほら」
「だって切島がさあ~」

 上鳴はどうしてヒーロー科に来たんだろう、といつも思っていた。
 チャラチャラしていて、抜けていて、ものすごく怖がりで頼りない上に自分の個性の使い方はよく分かっていないし、勉強も苦手みたいだし。なのに何で雄英高校を受験したんだろうって思っていた。ぶっちゃけ、こんな心構えでもヒーロー科に受かるんだって思ったこともある。
 電気系の個性はめちゃくちゃ強いけど、上鳴はそれを見せつけたいとか俺がやってやるとか、そういう感じが全然ない。演習の授業で自分から前に出ることもなくて、むしろ頼りになりそうな人に喜んでついていくタイプだ。いくら強個性持ちだからと言って、さすがに個性だけを理由にヒーローを目指す人がいるとは思えない。ヒーローにとって個性が重要なのは勿論だけど、性格だって向き不向きがあるんだから。

 上鳴がどうしてヒーローになることを選んだのかは、やっぱり分からない。けれど、わざわざ実家を離れて慣れない一人暮らしに耐えているんだから、上鳴なりに決意があるんだろう。今日初めて、そんな風に思えた。
 それに、困っている子どもを見つけて迷わず助けるあたり、気質はしっかりヒーロー志望だ。こういう些細な手助けって簡単に誰でもできそうな気がするけど、案外素通りする人が多いから。




 食べ終わってすぐにウチらは店を出た。
 上鳴も寄り道しないで帰ると言ったので、駅まで一緒に歩いていくことにした。この入学してからの数週間で分かっていたけど、上鳴は本当によく喋るやつだということが改めて分かった。そのおかげで二人きりで過ごしていても、気まずい沈黙みたいなものはあの「寂しい」と上鳴が言った時以外は特になかった。喋り疲れたくらいだ。

 話がひと段落した時、ウチは今日意外に感じたことを聞いてみた。
「そういえば、ウチの下の名前知ってたんだ」
「ん?」
「知らないと思ってたから、デカい声で呼ばれた時意外だった」
「え、何だよそれ」
 上鳴にとってはウチの言葉の方が予想外だったみたいで、ははっと笑った。
「知ってるだろ、そりゃ」
「だってみんな耳郎って呼んでるし」
「それとこれとは別だろ」
「そっか」
 見ていないようで、案外周りのことを見ているみたいだ。適当に頷くと、上鳴はバッと自分を指差して見せた。
「えっ、じゃあもしかして俺の名前知らねえ!?」
「……えーっと、何だっけ」
「うわ、マジかよ!」
「知ってるよ。電気でしょ」
 リアクションがデカすぎて面倒くさかったから、結局すぐに答えた。上鳴の名前は、入学初日に配られた名簿を見た時に印象に残った名前の一つだった。
「んだよ、知ってんじゃん! あー良かった。席隣なのに覚えられてないとか虚し過ぎる」
 それって席が隣とか関係あるのか。上鳴の気にするポイントがよく分からなくて、それがツボに入って笑ってしまった。どうしてウチが笑ったのかは分からないだろうけど、上鳴もそんなウチを見て笑った。
「俺はもう、入学してすぐにクラス全員覚えたからな!」
「へえ、言ってみて」
「じゃあ一番からな。えーっと、青山は優雅だろ。それから、芦戸三奈」
 上鳴は指を折って数えながらA組の皆の名前を名簿順に呼んでいく。時々たどたどしくなるところもあるけど、ちゃんと間違わずに言えていた。その横顔は無邪気に楽しそうで、今まで上鳴に対して抱いていた「チャラいやつ」っていうイメージとはちょっと違った。
 こういう表情もするんだ、と思いながら駅に着くまでウチらはずっとこんな感じで喋り続けていた。




2021.08.01



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